第八週「旅行」
大学4年生の夏、友達のNと2人で卒業旅行に行くことにした。
学生生活最後の夏休み。行き先は沖縄と決めていた。
ところが、Nも俺もお世辞にも優等生とは言えず、いざ4年生になると、就活や卒業のための単位取得や卒業研究に追われ、それどころじゃなかった。
金もないのにバイトする時間もない。
親や親戚に頼み込んで金を集め、何とか内定や単位取得の目途が付いた時には、もう夏休みもあとわずかだった。
大慌てで旅行会社に飛び込み、なんとか2人分の航空券やホテルの手配を済ませ、2泊3日の沖縄旅行が決まった。
いざ旅行が決まると、男2人で行く自由な卒業旅行に、気分は有頂天だった。
家族旅行や修学旅行以外で、自分らでいちから計画した旅行ははじめてだった。
まぁ、今思えば、計画と言っても航空券とホテル以外は何も決まっていない、行き当たりばったりな旅行だった。
---そして、それが災いした。
沖縄に着くと、まず地元の食堂でチャンプルーや豚足等、食べたことのない料理に大はしゃぎし、きれいなビーチの海水浴で遊びまくった。
学生生活最後の夏休みの男の2人旅。学業からの解放感もあり、気分は無敵だった。
……で、気が付いたら荷物がなくなっていた。
財布と携帯は辛うじて身に着けていたが、それ以外の荷物が入っていたリュックが持ち去られていた。ビーチに荷物を放り出して、俺もNも完全に油断していた。
近所の派出所に泣きつくも、見つかる可能性はまずないだろうと、言われた。
しかも悪いことにホテルの宿泊料などの大きな金は荷物に入れており、手持ちの金だけではホテルに辿り着けたとしても泊まることができない。
昼までの気分が嘘のように、夕方のビーチで途方に暮れていた。
「なぁ……これからどうする」
さっきまで、荷物が盗まれたのを互いのせいにして、言い争いをしていたNが声をかけてくる。
「どうするったって……最悪、野宿かなぁ」
「マジかよ……」
最悪の気分だった。
夏の沖縄なら凍死の心配もないだろうが、とんだ卒業旅行になってしまった。
2人でため息をついて、落ち込んでいると……
「お、兄ちゃんらどうしたんだ?」
振り向くと、恰幅のいいおっさんが立っていた。
短く刈り込んだ髪にサングラス、色黒の肌、派手な柄のポロシャツに金鎖のネックレスという、いかにも怪しい風体をしていたが、俺もNも疲れ切っていたし、かと言って何もすることもできなかったしで、つらつらと事情を説明した。
「あー、そりゃ災難だったな。そんならちょっとついてこいよ」
と、言われておっさんについていくと、ステーキハウスに連れて行かれた。お金のことを話すと、「気にすんな」と奢ってくれた。
自己紹介もそこそこに、おっさんは自分のことをAと名乗った。
「兄ちゃんら、どうしてここに来たんだ」
「〇〇大学の4年で、卒業旅行に来ました!」
肉の塊を頬張りながら、Nが威勢よく答える。
「おお! 〇〇大学か。昔、仕事の都合で近くに住んでたわ。懐かしいなぁ」
「なんで俺らを助けてくれたんです?」
「ん?」
自分は夕飯を済ませてる、と言って、ステーキは食わずに煙草を吸っていたAさんに俺は聞いた。
「いや、夕飯奢ってもらっておいてアレなんですけど、なんで俺らみたいな見ず知らずの人を助けてくれたのかな、って」
「あー……実はね、俺も君らと同じ年くらいの時にリュックひとつで、ここに旅行に来たんだよ。まぁ俺は一人旅だったけどね」
Aさんはつらつらと自分のことを語り出した。
学生時代に一人旅で沖縄に来たこと。
その時、荷物をなくすものの、地元の人に助けてもらったこと。
その事と沖縄の自然に感動し、最近になって自分で会社を興したこと。
今はここに居を構え、半ば引退生活を満喫していること。
「え、じゃあ社長さんってことなんですか!」
Nが目を輝かせて食い入るように聞いた。
話を聞くうちにステーキを平らげ、さらにはオリオンビールを何杯も飲み干し、俺もNも完全に出来上がっていたし、Aさんともかなり打ち解けていた。
「まぁね。社長だけじゃなくて、手広くやってるけど。とりあえず、最近になってサラリーマン生活とは、さよならできたよ。毎朝、早起きして通勤ラッシュに揉まれることもない」
「すげぇ……いいっすねぇ……」
Aさんの話や、その生活ぶりは、最近までそのサラリーマンになるために就活に奔走していた俺やNには、すごく刺激的で魅力的だった。
日銭のためにあくせく働き、会社の歯車になるのではなく、あくまでも自分のために働き、会社のためでなく、自分のために金を稼ぐ。
今まで聞いたことのないような会社に媚びへつらうような志望動機や、自己PRを並び立て、何十社と面接を受けて回る就活の日々と引き換えに得られる社畜生活……それと比べてAさんは何と自由で有意義な生き方をしているんだろう。
「2人とも泊まるところないんだろ。ウチに使ってない部屋があるから、そこに泊まるといいよ」
ステーキハウスの会計を済ませると、Aさんが何の気なしに言ってくれた。まさに天上からの蜘蛛の糸だ。
そして駐車場に行くと、見たことないような黒塗りの高級車が止まっていた。これが本当の金持ちってやつなのかと驚いた。
「そう言えば……」
Aさんが運転を始めると、後部座席の俺たちに口を開いた。
「さっきの俺の仕事の話、2人とも興味ある?」
「Aさんの仕事ですか? そりゃ興味ありますよ! 俺もAさんみたいになりたいっす!」
Nが酒の勢いもあるのだろうが、即答した。
「お、いいね。この仕事は決断力が物を言うからね。チャンスを逃がさない姿勢が何より大事だよ」
確かに、Aさんの生き方は聞けば聞くほど、自由と金の匂いがした。
自分らの親より二回りは若いだろうに、ずっと金持ちで充実してそうだった。
もちろん、俺も興味はあったが、酒のせいか、どちらかと言うと眠気が強かった。
対するNはAさんが口を開くたびに露骨に驚き、興奮しっぱなしだった。
「実はこの辺りに俺の友達がいてね。そいつも俺と同じような仕事で、今は悠々自適の生活を満喫してる。そいつがオーナーのビルが近くにあるから紹介するよ。俺みたいな生き方したいんだったら、そう言う人たちとコネクションを積極的に作らなきゃダメだ」
「Aさんみたいな人、他にもいるんですか?」
「はは、俺くらいのレベルなら、日本でも掃いて捨てる程いるよ」
「でも……俺、Aさんみたいな凄い人のマネできる自信ねぇっすよ」
「何言ってるんだよ。10年ちょっと前は俺も君らみたいに、リュックひとつで貧乏旅行する学生だったんだ。俺にできて君らにできないことはないさ」
15分程走らせただろうか。
「さ、着いた」
車内でうつらうつらしていた俺は、その声で目を覚ました。
半分、寝ぼけた頭で車から降りて、目を疑った。
確かに車から10メートル先にビルがある。
が、そのビルと言うのがどう見ても廃墟のような雑居ビルだったのだ。
しかも周囲には他に建物も人の気配も電灯もなく、ぽつんと一軒だけ。
どんな豪勢なビルのオーナーなのかと思っていた俺とNは顔を見合わせた。
そんな俺とNの表情を見て、Aはにやりと笑った。
「はは、驚いたろ。実はこのビルを買い取ったばかりでね。これから建て替えたり、周囲に家や店を募集する予定なんだ。でも3階には仮設のオフィスがもうできてるし、実は地下1階にはプライベートのバースペースまであるんだ。そこで酒でも飲みながら話そう。さ、行こう」
入口以外、電気がひとつも点いていない、闇の中にそびえるビルに委縮しながらも、俺とNはAさんの後を追った。
その時、俺はNの異常に気が付いた。
さっきまでテンションマックスだったNの顔がどことなく落ち込んでいる。今までの勢いなら目をキラキラと輝かせながら、その背中を追いかけるはずなのに、どこか足取りも重い。
「どうしたんだよN。せっかくのチャンスなのに緊張してんのか?」
「……いや」
「なんだよ。もしかして今になって飲み過ぎで気分悪いとかか?」
「……………………」
Nはまるで別人のように、押し黙って、何も言わなくなってしまった。
「おーい、早く来なよ」
先にビルの入り口に着いたAさんが俺たちに呼びかける。
その時、Nはささやくように、俺に
「悪い。俺がこれから何かしても、俺のことを信じて欲しい」
と、訳の分からないことを言った。
ビルに着くと、電気はちゃんと通っているらしく、出入り口の自動ドアを抜けると、古ぼけたロビーが薄暗い蛍光灯に照らされていた。
ロビーの奥に小さなエレベーターがあった。五人も乗ったらぎゅうぎゅう詰めになるような小さなエレベーターだ。
先に乗り込んだAさんは慣れたように3階のボタンを押す。
ごうんごうん、と不気味な音と振動を立てながら、エレベーターが上に上がっていく。
「チーン」と昔ながらの音を立てて開いたドアの先には両開きの木製のドアがあった。ドアの上の立て札には「応接室」とある。
「じゃあ挨拶してから地下のバーで話そうか」
そうしてエレベーターから降りて先を行く、Aさんに対し、Nはエレベーターから降りず、口を開いた。
「あの……Aさん、俺たち先に地下に行ってもいいですか。このエレベーター4人乗るのキツそうだし、先に行ってお二人を待ちたいんです」
「「え……?」」
俺とAさんがほぼ同時に聞いた。
いや、確かに狭いエレベーターだが、4人までなら何ら支障はないはずだ。それが気遣いだとしても、ステーキ食いながらズケズケと失礼な質問もしていたNが今更、そんな事を言うなんておかしい。
「あー……まぁ、いいよ。じゃあ先に行ってて。地下1階ね」
そうして3階にAさんひとりを残して、俺とNの乗ったエレベーターのドアが閉じた。
Nは無言で「B1」のスイッチを押し、エレベーターはまたごうんごうん、と音を立ててゆっくりと下っていく。
「なぁ、N。お前さっきからおかしいぞ。どうしたんだ?」
2人きりになったタイミングでNに問いかける。
Nは何も答えずに、エレベーターの操作盤の前でじっと動かない。
エレベーターは2階を通過していく。
「何か答えろよ。さっきの態度、Aさんにも失礼だろ?」
Nは何も答えない。ずっと俯いたままだ。
「おい、ってば……」
その時、俺が見たのは真っ青な顔でエレベーターの操作盤の「1」のボタンを一心不乱に連打しているNだった。
次の瞬間、エレベーターのドアが開いた。
見覚えのある1階のロビーに着くと、Nは俺の手首を握り、いきなりダッシュしだした。
ビールで腹いっぱいな状態でのダッシュは堪えたが、有無を言わさないNの必死の様子に疑問を口にすることもできず、無理矢理、足を前に出してついていくことしかできなかった。
---どれだけ2人で走っただろう。
ビルが見えなくなって、道路を何本か横断し、気が付いたらビーチまでたどり着いていた。
止まった瞬間、2人して砂浜にゲーゲー戻し、しばらく動くことができなかった。走りまくり、嘔吐しまくりの酸欠からの頭痛に、どれくらい2人してうずくまっていただろう。
「一体、どうしたんだよ……」
俺はNにようやくつぶやいた。
「お前、あんだけ乗り気だったじゃん。いきなりどうしたんだよ……」
「あの人……おかしかったんだよ……」
息も絶え絶えでNは喘ぐように言葉を紡いだ。
「あの人さ……。俺らと同じって言ってたじゃん。「昔リュックひとつでここに来た」って……なんで、俺らがリュック持って来たって知ってたんだよ。俺とあの人があった時には、もう荷物なかったのに……俺たち、何も持ってなかったのに………」
---次の日、俺たちは朝一で親に頼み込んで、帰りの航空券を手配してもらった。もちろんキャンセル代やら何やらで余計に金はかかってしまったが、一刻も早くここから立ち去りたかった。
あの時、Aと一緒に3階で降りていたら……そしてあのビルの地下1階には、一体、何があったんだろう。
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