もうこの手から零さない
naff
プロローグ
雨。世界を灰色に染め上げる雲、どこか人の心を無機質にするようなそんな暗い天気。
怠惰を誘い、天気を理由にその日家を出ない者も多かった。
そんな
世界を塗り替えるように降り注ぎ、体を冷やす雨すら気にも留めず、少年はただ何をするでもなく道の脇で、小さく蹲っていた。
その目は無機質で、世界の何も映してはいない。
このまま外にいれば風邪を引いてしまう。そう考えるも、体が動くことはない。自分がまるで、石像になってしまったような感覚に少年は陥っていた。このまま死んでしまえ。そう思っていた方がきっと幸せだから。自死する覚悟もない少年はこのまま雨に溶けて、凍えて、消えてしまいたかった。
「おい、こら待ちやがれッ!」
雨の中、暗い空を裂くような怒声が聞こえた。
どこかから走り近づいてくる複数の足音を、その敏感な耳ははっきりと捉える。
いつの間にか身に付いた鋭い感覚は、衰えることなく少年に情報を与えた。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
激しく雨水を飛ばしながら聞こえる足音、恐らく幼い子供。大きな足音で一歩の感覚が大きいおそらく大人の男。
聞こえてくる足音でこの二人が近づいてくることは理解するも、少年が動くことはなかった。
徐々に距離が縮まる二つの足音は遂には少年のすぐ近くで止まり、聞こえてきたのは男性の憤慨する声と、怯え泣き出す少女の叫びだった。
「こいつッ、盗んだ商品出しやがれ!戦争孤児の分際で舐めた真似しやがって……!」
「嫌……ごめんなさい……ごめんな、さい……。殴らないで……」
「ああ゛?何が殴らないで、だ!お前みたいなやつはしつけなきゃわからないんだ。こっちへこいッ」
地面に倒され手首を捕まれ一方的に殴られる少女。辺りには、盗んだ商品と思われるパンがいくつか散らばり、降る雨と泥水によって汚く濡れていた。
目の端で行われる一部始終に気づくも少年は何もしなかった。
この時代何度も見た光景であり、その蛮行はこの世界の愚かさを物語っているようだった。きっと世界は変わらない、少年にとってこの世界の醜さはまるで膿のように心を蝕む、汚れきった汚物のようだった。
「さぁ立て。ったく商品もダメにしやがって、……どうしてやろうか!犬の餌にでもしてやろうか、あ!?」
ボロボロになった少女の腕を引っ張りあげ無理やり立たせる男。ボロボロの少女、薄汚れた灰色の髪に隠れる今だ幼い顔立ち。
頬を濡らす涙も気にせず、男性は少女を引きずるように歩きだす。
引きずられる少女、彼女はどうしてこんなことをしたのか。光のない目はいつしか少女を捉えて離さない。助けたって無駄。愚か愚かと思う自分が一番愚かで傲慢あると、少年は笑った。
どうせ意味はない、何もかも無意味。
少年は、視線を少女から地面へ戻し、先程のように静かに眺める。何も考えない、動かない、静かに、石像のように、何も無いように。
「―――や、いやぁ、やだよぉ……」
耳に聞こえる悲しげな声は少しずつ遠く離れて行く。
少年は雨の中消えていく少女たちから、意識すら離していく。
やっと静かになる。そんな言葉を少年は、なぜか口に出した。まるで自分に言い聞かせるように。
「―――けて、助け――て……」
強くなる雨、少女の泣き声はもう聞こえることは――――
「―――――お兄ちゃん」
――――――そのときその場に大きな雷が轟く。
空気を裂くような雷は近くに落ちたのか、町全体を一瞬、明るく照らす。轟雷が過ぎ、瞬く間にまた雨音が周りに響き出す。
「……びびった。でけぇ雷だったなぁ、っておおお!?お、お前いつから立ってた!?」
驚いた様子の男。男の目の前には先程まで誰もいなかったはずなのに、そこには少年が立っていた。
少年はその無機質な目を男性に向ける。
「……その子、離してください」
「あぁ?……お前さん知らないかもしれないけど、こいつは盗人で俺の商品をだな―――」
「いくらですか?」
少年は男と目線を合わせることなく項垂れたまま話を続ける。少年の雰囲気と投げやりな態度に男は違和感を覚える。
「いや、いくらって―――」
「いくらですか?」
「……そーだな、迷惑料含め金貨一枚だな」
そう言って、笑みを浮かべ男性はハッタリとわかるような値段を口に出す。そこには少年に対する侮りと茶化しが含まれていた。身なりを見てもこの少年も少女と何ら変わらない戦争による浮浪者だろうと男は考える。
しかし少年は胸をまさぐり何かを取ると指で弾いた。
「これでいいですか」
「な、は?え?」
何でもないように金貨を指で弾いた少年。宙を舞い男の上から降ってきた金貨を両手で受け取り、金貨を見ては目を白黒させる。
少年は戸惑った様子の少女を優しく抱き抱えるとその虚ろな眼差しで少女を見る。少女と目が会った瞬間、少年は自嘲するような笑みを浮かべた。
「本物ですよ、それ」
「ま、ちょ、待て、待ってくださいぃ!」
金貨を軽々と渡すような少年を見逃すまいと手を伸ばす男性だったが、少年はあっという間に見えなくなり、その場にいた事が幻のような感覚を男は覚える。
―――――――――
雨が降る暗闇を駆ける影。雨宿りができそうな大きな建物の下につくと少年は立ち止まる。
雨が止む気配はなく、風は濡れた肌を冷やし体温を奪っていく。
少年は抱き抱えていた少女を下ろすと濡れるのを気にすることなくその場へ座った。少女は変わらず戸惑った様子で自分を抱き抱えた少年のことを見つめる。
少年は少女へ話しかける。
「お前……家族はどうした」
少年の目は雨が降り続ける地面へ向けられており、顔を上げることもしない。
「……お父さんは、戦争に行って帰って来なくて、それでお母さんは攻めてきた人から逃げてる時にいなくなった。お兄ちゃんは……私を逃がすために……」
当時のことを思い出したのか少女は泣き出す。少年は顔をあげ、少女に視線を向ける。そこには、もういないはずの何かの姿が重なって見えた。少年は苦しげに顔を歪ませる。
「はは、何してんだ俺……。
誰に言ったかもわからないその言葉は暗闇へ消える。
しばらくの沈黙の後、その目には僅かな光が戻り少女を映す。
「助けたんだ、責任は果たさないとな」
少年はそう言うと、泣いている少女に目を合わせ、優しく頭を撫でた。
「お前、いくとこあんのか……?」
「え?……ない。どこにもない」
「……俺も一人なんだ、一緒にいくか?嫌なら、いい」
「……行く。一人は嫌」
「はは、俺もだ」
少年は笑う。笑みを浮かべる少年に、少女は首を傾げる。その笑みが本当に苦しげに見えたから。
建物の窓から漏れる光が2人を照らす。まるで安物のスポットライトが二人を照らすように。しかし、ここは世界の中心でもなければ劇のステージ上でもない。
雨は変わらず降り注ぎ、世界を汚す。その世界から色、温度、涙すら奪った。
すでに二人の姿は跡形もなく消え、そこには何も残っていなかった。
まるで幻想だったかのように、何もない。
少年の名はユレン。
この世界で
彼の物語は希望と絶望、勝利と敗北、そして栄光と無念に溢れ、人々から渇望の目を向けられることもあれば罵倒、侮辱を受ける。彼は生きていく、死んでいく。
物語は動き出す。
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