第97話 真亜子の精神へ

 食後のほうっと気の抜けたひと時を、思い思いに過ごしていた。


 ビエさんが冷えた麦茶を飲む。

 ガラル氏がグラスを口に持っていくのだが、くちばしでは上手く飲めずダラダラと麦茶は零れ落ちていく。

 動物の誤った飼い方の見本のようで、見ていられない感があった。そして、茶を盛大に零しているし、ここは人の家だ。


『もういい、ゴフォ、もういいからっ、溺れるから、おぼ……』


「おや、ミネラルはもうよろしいのですか?」


 ビエさんが遠い目をしたところで、ようやくガラル氏はコップの麦茶をくちばしに注ぐのをやめた。


『お前、限度って言葉、知ってる?』


 ガラル氏は限度を知らないため、ポンと膝に手を打った。


「失念しておりました。お好きなようでしたので、つい」


『もぅ、気をつけてよね』


 ギャル谷が仕方なくおしぼりで畳を拭く。

 人間率が低すぎて、見知らぬ外国に来たような気持ちになるギャル谷であった。

 こんな時に頼りになる小夜子と若松は席を外している。真亜子を何とかするのに必要な道具を取りに行っていた。


『ねえ、そこの女は小夜子の友達なの?』


 ビエさんがギャル谷に言った。


「友達ですけど、そこの女とかって言い方よくないし。刈谷っていうんだけど、サヨちゃんはギャル谷って呼ぶから、お兄さんもそれでいいよ」


『オレに向かってその口の利き方は不敬だけど、本音で言うヤツは嫌いじゃない。ギャル谷は小夜子のことバケモノだと思ってねえの? あいつ、かなりエグいバケモノだけど』


「人のことバケモノなんて言ったらダメだよ。サヨちゃんのことは知ってるけど、サヨちゃんだから別に」


『ふーん、お前も相当変わってんな。友達がいてよかったよ』


「それ、本人の前でしないの?」


『あいつ調子に乗るタイプだからしない』


 ああ、そういうとこあるなあ。と思うギャル谷。そうなるとウザい絡み方をしてくる。

 ギャル谷が続けて言おうとしたその時、小夜子と若松が戻ってきた。


「待たせたのう。物置から、色々と持ってきたんじゃ」


 小夜子と若松が抱えているのは、人生ゲームやモノポリー、花札、ドミニオンなどのボードゲームと麻雀牌であった。

 ギャル谷は微妙な顔だが、だれもつっこまないので仕方なく口を開く。


「魔法の道具じゃないんだ……」


「待つ間はヒマじゃからのう。時間を潰せるものを持ってきたんじゃ。ファミコンは人数が多いとつまらんじゃろ」


 癖でゲームのことをファミコンと言ってしまう小夜子であった。


『えー、オレもそっちやりたい』


「兄上、仕事を済ませてからじゃ」


『終わったらその人生ゲームっていうのがやりたい。人生を盤面にするとか、冒涜的すぎて興奮する』


 真亜子とハジメは逃げ出したいが、小夜子とガラル氏が揃っている時点で無理だ。ハジメは何度も人を樹木に変える奇跡を行使しているのに、二人の魔人には効果が無い。そして、ビエさんという邪悪なゆるキャラがあまりにも強大すぎる。

 ならば、ギャル谷か若松を人質にしてはどうだろうか。それも無意味だ。そんなことをしようものなら、誰かの怒りを買う。


「間宮さん、わたしをどうするんですか?」


 ボードゲームを並べて何やら言い合っているところに、真亜子が言う。


「どうもこうも、そなたは人類の敵じゃ。その原因が精神にあるようじゃからの。兄上と共に精神の中に入って取り除いてやろう」


「精神? 心療内科の人には問題ないって言われてますよ」


 どうやら真亜子はヤブ医者にかかっているようだ。


「そなたは心の病気じゃが、そちらの治療は医者の仕事じゃの。わらわがやるのは、仙人が自分の中に潜る内丹ないたんじゃ」


「ないたん? もう放っておいてくれませんか、こんな訳の分からないこと」


 苛立った様子で言う真亜子だが、小夜子にはそれが芝居と分かる。必要な時に必要な仕草と声を出しているにすぎない。


「ほほほ、小鳥遊真亜子よ。わらわと出会ってしまったからには、それでは済まされぬ。兄上、やってたもれ」


 ビエさんはつぶらな瞳で真亜子を見据えた。

 水蛭子神ひるこのかみが召喚に応じてやったのは、暇つぶしだ。地獄の未来など、どうでもいいとすら思っている。


『小夜子、お前だけじゃつまんねえ。ガラルもダメだ。ギャル谷を連れていく』


 小夜子の顔が殺気を帯びる。


「兄上、気紛れで言うておるのか」


『オレはどっちの味方でもねえよ。それに、お前は純粋な人間とは言えないだろ。だから、人間に決めさせる。若松でもいいけど、今はあいつのえにしではないからね』


 和魂にぎみたま荒魂あらみたまのどれでもない偽りの姿で現世に出たビエさんという存在は、あくまでも中立だ。多少の贔屓は若松にしか適用されない。


 真亜子がきっとビエさんを睨む。


「いい加減にしてください。あなたが神様でもバケモノでも、わたしには関係ないんです! もう、帰らせて下さい」


 真亜子の芝居は、相手が人間であれば効果があっただろう。ビエさんには通じるはずもないものだ。


『オレにも関係ないね。ギャル谷、お前が決めろ。行くも行かないも、こいつの縁にあるのはお前だけだからさ』


 ギャル谷は何が起きるのか理解などしていない。だけど、これが真亜子に必要なことだというのは分かっている。


「いいよ、行く。サヨちゃんのしてる冒険ってちょっと気になってたし、行くよ」


 小夜子は苦い顔だ。


「ギャル谷よ、人の精神に入るというのは気分が良いものではないぞ」


「ここまで関わったんだし、無かったことにはできないっしょ」


 そう言って、いつもと同じ笑みをギャル谷は浮かべる。それは、力強くも無いのに、どうしてか人を安心させる笑みだ。

 小夜子はそれに見惚れてしまう。真亜子は目を見開いてギャル谷を見やる。一つの笑みがそれぞれに与えたものは全く違っていた。


「ぶさけんなよ、お前ら。気に入らないことばかり」


 真亜子の仮面が剥がれた。

 額には青筋が走り、血走った目で睨みつけながら言う姿は、普段の可憐な姿からは程遠い素の顔。

 真亜子の本質は人を羨む餓鬼だ。子供でもあり、地獄の餓鬼でもある。


『そっちの顔のがイイじゃない。キモくないぜ。それじゃあ、行くぞ』


 ビエさんが閃光手榴弾のごとくと突如として光り輝いた。


「兄上っ、光るのはやめいっ」


 ぱたりと倒れたのは、小夜子、ギャル谷、真亜子の三人だ。

 ビエさんによる精神潜行である。

 神は誘導こそするが、決して間違えない。間違えるのはいつも人間だ。

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