第19話 19、ゴラン州知事の吾蘭
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その日、診療を終えた千は白のブラウスに紺のタイトスカートと黒エナメルのハイヒールという出で立ちでゴラン洲庁舎を訪れた。
肩を越える長さの細く艶のある黒髪は乳房辺りで内側にゆったりとカールさせ、頭には高さの低い、控えめのティアラが載せられていた。
ブラウスの袖から出ている長い指の華奢な手首は薄いピンクの透明感のある象牙色で細かい肌理(きめ)の皮膚で腕に続いていた。
千は州庁舎への移動に新たに作った自動車を使った。
千が日頃使っていた古風な自動車とフライヤーは帝都から運んで診療所の芝生の下の駐車場に置いてあった。
万は新しい自動車を作って千に新しく作った自動車で州庁舎に出かけるように言った。
新しく万が作った車は黒のワンボックスで恵の誘拐犯が使ったワンボックスと似ていたが、おそらくこの星での最強の装備を持っていた。
千は自動車を州庁舎の駐車場に止め、数人の自動小銃を構えた衛兵を配した入口に向い、知事からの招待状を提示して中に入った。
入口の向こうは広いホールになっており多くの警備員が重武装で壁に付いていた。
ホールの中央にはカウンターがあって受付の女性職員二名と男性職員一名が座っていた。
州庁舎は厳重に警備されているらしい。
いざと言う時には中央の受付は職員も含めて集中砲火の的になるのだろう。
警備員と受付を結ぶ射線の向こう側には警備員は配置されていなかったからだ。
千は真直ぐカウンターに進みカウンターの上に招待状を無言で置いた。
「どのような御用でしょうか。」
受付の女性が言った。
「私にも良く分かりません。そのような招待状らしきものを受け取りましたが本物か偽物かわかりません。確認していただけないでしょうか。」
受付の女性は招待状を開き、内容を読んだ。
「一見すると本物のように見えますが秘書室に確認させますからしばらくこのままでお待ち下さい。」
受付嬢は電話連絡をとってから千に言った。
「係の者がここに確認しに来るそうです。ここで暫くお待ちください。」
30秒もしないうちにエレベーターホールの方から一人の男が足早に受付に近づいて来て千に丁寧に頭を下げてから言った。
「千先生でしょうか。私は秘書室長の丸秘と申します。この度はこちらの勝手な申し出を受けていただきありがとうございます。州知事も千先生とのお話を心待ちに致しております。」
「千です。その招待状は本物だったのですね。」
「はい、もちろんでございます。何かありましたでしょうか。」
「私の診療所は電気も水道も電話もありません。郵便物も受け取り拒否と郵便局に申し出てあります。それで届いた郵便物には不審を持ちました。でも郵便配達さんが意を汲んでがんばって届けてくれたようですね。」
「さようでございましたか。州知事が先ほどからお待ちしております。どうぞこちらにいらっしてくださいませ。」
「この州庁舎は厳重に警備されているのですね。」
千は上に登るエレベーターの中で丸秘に聞いた。
「はい、最近は胡乱(うろん)な者が動き出している様なので警備を厳重にしております。」
「秘書室長さんも大変ですね。」
「はい。でも庁舎内は完全に安全ですから。」
「安心しております。」
エレベーターは最上階の三階前で止まり、千達は向かいにあるエレベーターでさらに一階だけ昇った。
エレベーターを出て廊下を左に進んで突き当たりが知事室であった。
知事室は最上階の一階下にあった。
知事室に入ると奥の重厚な机に座っていた小太りの男が立ち上がり笑顔を作りながら近づいて来た。
「千先生でしょうか。ゴラン州知事の吾蘭(ごらん)です。よくいらっして下さいました。ありがとうございます。千先生とお話しできることを楽しみにしておりました。」
「ご招待ありがとうございます。名誉なことと思っております。」
千は右手を胸につけ、左手を後ろに伸ばしてから片膝をゆっくりと少しかがめて小さく軽く頭を下げた。
その仕草は優雅で色香に溢れていた。
州知事は一瞬衝撃を受けた様に一歩下がったが、気を取り直して会話を続けた。
「どうぞ、こちらに来てお座り下さい。」
州知事は部屋の中央に配された背の低い細長のテーブルとソファーに千を導き、自らはテーブルの端に置かれた肉厚の椅子に座った。
千はソファーに浅く腰掛け上体を真直ぐに立て知事の方に首を僅かに向けて州知事を眺めた。
その仕草は州知事の心に再び衝撃を与えた。
自然と頭が下がって下を見てしまうのだった。
州知事はそのような経験はこれまでなかった。
だれしも州知事を仰ぎ見ていたものだった。
「千先生の診療所は評判になってます。奇跡としか考えられないような治療をなさると評判になっております。」
千は何も言葉を発しなかった。
普通なら『ありがとうございます』とか『たいしたことではありません』との返事が返って来るのだが千からの応答はなかった。
「どうかなされましたか、千先生。」
「いいえ、どうもしておりません。何か失礼をしましたか。州知事が質問の形式をおとりにならないので発言を控えておりました。」
「失礼致しました。先生はどこであのような優れた医術を習得されたのでしょうか。」
「優れた医術とは思っておりませんが、帝都大学の医学部と工学部と理学部と農学部で学びましたが多くの治療装置は私自身が開発したものです。」
「左様でしたか。雑誌には奇跡を越える奇跡だと書かれておりました。」
千はまた言葉を発しなかった。
「失礼しました。また質問の形式をとっておりませんでした。千先生はゴラン洲に来られる前はどこにおられたのでしょうか。」
「帝都にある帝都大学に所属しておりました。」
「帝都大学ですか。この世界の最高学府ですね。」
千はまた言葉を発しなかった。
「またまた失礼しました。会話の方法を勉強しなければなりませんね。帝都大学では最近素晴らしい装置が発明されたと聞きました。ご存知ですか。」
「素晴らしい装置とおっしゃるのは重力遮断装置のことでしょうか。」
「そうそう、それです。重力遮断装置のことはご存知ですか。」
「知っております。」
「どのようにして重力が遮断できるのでしょうか。」
「当該論文を拝見した限りではその理由はまだ記述されておりませんが推測はできます。」
「重力を遮断できるとは素晴らしいことですね。っと。そう思いませんか。」
「ホムスク世界が宇宙に進出するための一つの科学エポックではありますがそれほど驚く事ではないと思っております。」
「千先生は重力遮断の原理を知っておられるのでしょうか。」
「知っているつもりでおります。」
「簡単に原理を話していただくわけにはいかないでしょうか。」
「話せません。重力遮断の原理を語る者は論文を発表した恵さんだと思います。私から言えることは重力加速度は電子の時間で補償されるのだろうと言うことだけです。」
「私には千先生の今おっしゃったことが全く理解できませんでした。それは皆が簡単に理解できることなのでしょうか。」
「この世界の大部分の科学者は理解できないと思います。」
「千先生は奇跡と言える医療をなされておられるし、重力遮断の原理も知っておられるようですね。」
千は何も言葉を発しなかった。
「またまた失礼致しました。千先生のあまりの造詣(ぞうけい)の深さに会話の原則を忘れてしまったようです。千先生はなぜゴラン洲に来られたのでしょうか。」
「お答えするには州知事に対して失礼なことを話さなければなりません。よろしいでしょうか。」
「何でもおっしゃって下さい。何でも甘受するつもりです。」
「左様ですか。怒らないで下さいね。私がゴラン洲を選んだのはゴラン洲がホムスク帝国の中で最も遅れている州だったからです。住民の生活レベルが他の州よりも劣っております。せめて最新医療の恩恵を住民に与えたいと考えゴラン洲を選びました。」
「確かにゴラン洲は他の州と比べると生活レベルは劣っていると思います。ゴラン洲は最も遅れて州になりました。従って生活基盤が最初から十分に整っておりませんでしたし、大きな産業も育っておりません。何とかしたいと思っておりますがなかなか難しいのです。千先生はどのようにしたら良いとお考えでしょうか。」
「これまで考えたことはありませんでした。現状を見て判断していただけです。政治は私のテリトリーには入っておりません。」
「そうですか。でもこれからも千先生の御意見を伺う機会を作らしてもらってもよろしいでしょうか。千先生は我々とは全く別の視点から物事を理解できる方だと感じました。」
「私の様な者の考えが州知事のお役に立てれるとは思いませんが、必要があれば呼んで下さい。今日はこれで失礼致します。顕彰の件は申し訳ないのですが辞退したいと思います。よろしいでしょうか。」
「はい、千先生がそうお望みならそうしたいと思います。秘書室長に出口までご案内させます。本日は貴重なお話をありがとうございました。」
「どういたしまして。州知事さんもお元気で。」
「私は州知事に失礼なことを言わなかったでしょうか。」
千は下りのエレベーターの中で丸秘秘書室長に尋ねた。
「そんなことはありません。千先生の威厳に押されたようではありましたが。」
「私の診療所には電話がありません。丸秘秘書室長にお願いしたいこともあると思いますので、携帯電話を購入しようと思います。丸秘秘書室長の携帯電話の番号は何番ですか。」
秘書室長は一瞬躊躇したが、あけすけな千の要求に断る術も無く秘密の携帯電話の番号を伝えた。
「記録しなくてもよろしいのですか。」
「はい、私は聞いたことは忘れませんから。」
千は秘書室長の見送りを受け、赤道直下の太陽を背に受けて庁舎を後にした。
秘書室長が州知事室に戻ると吾蘭州知事は言った。
「千先生は恐ろしい程の美形だな。雑誌に絶世の美女と書かれてあったが本当だった。完璧だ。あんな美人は見たことが無い。化粧も何もしていないのに色香に溢れている。皮膚も緻密で透き通っていた。赤子か子供の皮膚だ。あの顔で見つめられると目のやり場が無くなってしまうな。重力遮断の原理も理解しているようだ。帝都の恵先生に聞くよりもいいかもしれんな。それで、その後の連絡は入ったのか。」
「いいえ、実行当日から連絡は絶えております。でも恵先生は現在は通常通り大学に通っているようです。」
「そうか。また考えねばならないな。」
「御意。」
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