第21話
「今日も、病院に行くの?」
放課後。帰り支度すませた私の前に現れた鈴の問いに「うん。今日は少し遠くにいってみようと思ってるの。ほら、明日から冬休みだし」と、これから部活かバイトにでもいくような気軽さで応えた。鈴はかすかに眉間に皺を寄せ、最後には諦めたように小さく溜息を吐いた。
「黒条にも出来なかったんだ。僕の説得じゃ効果はなかったみたいだね」
「ごめん‥‥‥。だけどいいの。私は、私のやるべきことをやるだけだから」
「その結果、君の家族が悲しむことになってもかい?」
「昨日、姉さんに話したの」
動かしていた手を止め、机の上に視線を落としながら私は昨日のことを鈴に話した。
「たぶん、姉さんは最初から全て知っていたんだと思う。じゃなきゃ、凜からの手紙を預かれるハズないもの‥‥‥」
刑事である姉さんと、警察に自首したという凜の関係性は、少し考えれば容易に想像できた。
そして、凜を調べていく内に、凜の唯一の友人であった私のことも調べたに違いない。
「そうか。まぁ、君が決めたコトなら、これ以上部外者が余計な口をはさむべきじゃないな」
「ごめんね、色々と気をつかわせちゃって」
「いいさ。僕はただ自分の知らない謎を解き明かしてみたかっただけだからね」
いつもの無表情を崩し、口端を微かに緩めた。
「鈴は、これから部活? たしか科学部だっけ?」
「部じゃなくて、同好会。部員が僕一人だけだから正式な部として認められていないんだよ」
愚痴っぽく呟き唇を尖らせる鈴の姿は、普段の大人びた様子から一転して、同年代の少女らしく見えた。
「じゃあ、そろそろ行くね。今日は魔法を使わないで電車で移動するから」
「こっちこそ止めて悪かったね。僕もそろそろ行くとするよ。じゃあまた来年」
白衣の裾をはためかせ、鈴がその場を立ち去ろうとした時だった。
鞄の中にしまったスマホから突如、けたたましい警報音が鳴り響いたのは。
周囲を見渡せば教室に残っていた全員のスマホからも同じ警報音が鳴っている。
「えっ⁉ ちょっ、何?」
「地震?」
「ちょっと何これ、画面固まったんだけど」
口々に騒ぎ出すクラスメイトたちを尻目に、私は同じく警報音の鳴るスマホを片手に立ち尽くす鈴の方を見つめていた。スマホの灯りが反射して眼鏡をかけた鈴の双眸を伺い知ることは出来ない。しかし、凜にすごまれた時でさえ余裕を崩さなかった彼女が、この時ばかりは怯えるように口元を手で覆っていた。
「鈴、どうかしたの? 一体何の警報?」
「‥‥‥華、自分のスマホを早く見た方がいい」
「え?」
その答えに戸惑いながらも、私は鞄からスマホを取り出した。
画面にはモノクロの花が一凛表示されている。これと同じ花を、私は以前にもどこかで見たことがある。そんな気がした。だけどすぐには思い出せない。
記憶の糸を無理やりにでも手繰り寄せようとすると、頭に鋭い痛みが走った。
とても我慢できるような痛みじゃない。私は頭を抑えながらその場に崩れ落ちた。
「華、大丈夫⁉」
慌てて鈴が駆け寄る。しかし、私は低いうめき声を洩らすばかりで何も答えられない。
と、その時だった――――スマホから無機質な声が流れたのは。
『東京の皆さん、こんにちは。今日は皆さんに大事なお知らせがあります』
「え? 何なのこれ?」
「悪戯? ちょっと何かヤバくない?」
「電波ジャック? このあいだ映画で見たよ」
『皆さんは、四ヵ月前に起きた連続集団自死事件を覚えているでしょうか? 覚えている方も、覚えていない方もいらっしゃると思います。あれをやったのは私です』
瞬間、騒然としていた教室が背中に冷や水をかけられたように静まり返った。
誰もがこの突然の告白の真偽を計りかねていた。
当然だろう。正体不明の殺人犯が、匿名ではあるが、自らの罪を告白しているのだから。
後に判明したが、この時関東一円のスマホ、パソコン、タブレットを含む電子機器全てが、同時に操作できなくなっていた。電源を消しても予備電源に切り替わり声が途切れることはなかった。否、大多数の人間がこの謎の声に耳を傾けていた。無機質な声ではあるが、耳に残る不思議な心地よさに陶然と聞き入っていたのだ。
独白は続く―――。
『私には特別な力があります。私がひと言、死ねと命じればその人は死にます。抵抗は出来ません。逃げることも出来ません‥‥‥』
『これ以上、話し続けても皆さんに信じてもらえないと思います。そこで皆さんに私の力をお見せしたいと思います。よぉく目を凝らして見てください。それでは、始めます』
一拍の間を空け、声は秒読みを始めた。
『三‥‥‥、二‥‥‥、一‥‥‥―――』
『零‥‥‥』瞬間、キィィィィンと飛行機の音に似た耳鳴りに襲われる。
「‥‥‥ッ‼」
たまらず私はその場に崩れ落ちる。
「大丈夫かい⁉」
慌てて駆け寄ってきた鈴が、地面に膝をつく私の顔を横から覗き込んでくる。
「うぅ‥‥‥頭の中に、声が‥‥‥流れ込んで、くる」
「声?」
「‥‥‥この、声は‥‥‥凜の‥‥‥」
と、その時だった。おもむろに立ち上がった鈴が、白衣のポケットからカッターを取り出し、カチカチッと十センチばかり刃を伸ばした。
「?」
何をしているの? そう口にするより先に、鈴が自分の首筋に宛がったカッターの刃を勢いよく横へ切り裂いた。
カッターのような薄い刃で人間の首は容易に斬り裂けない。まして自分の首なら尚更だ。しかし鈴は恐るべき意思力を以て頸動脈を切り裂き、傷口からは勢いよく血飛沫が噴き出した。
私はそれを真正面から浴びた。ねっとりとした、けれど温かい血の温もりを感じた。
何が起きているのか、直には判らなかった。
他の生徒もそれは同様。皆、何が起こったのか解らずに呆然と立ち尽くしている。
一方、鈴は首を抑えながらフラフラと覚束ない足取りで後退ると、そのまま床に広がった赤い水溜まりの中に倒れた。
悲鳴が上がったのは、鈴が倒れた直後だった。
「きゃああああああああ‥‥――ッ‼」
咄嗟に、私は血だまりの中に倒れている鈴の元へ、疼痛すら忘れて駆け寄った。
「鈴‼」
横たわる鈴の体を抱きかかえ、肩を揺すって必死に呼びかける。紅く濡れた口元からはひゅーひゅーと弱々しい呼気が零れるだけで、いらえはない。
死なせるものか。制服が血で汚れることも構わずに私はきつく鈴の体を抱きしめる。
それと同時に殻の内側に彼女を包み込み、治癒を開始する。
出血が激しすぎる。救急車が到着するまで鈴の命はもたないと判断した私は、クラスメイトのいる前で、これまで秘匿し続けてきた魔法の行使に踏み切った。
無論、殻は魔法使いにしか視認できない。そしてこの場に居合わせた誰もが、眼の前で何が起こっているのか理解できていないだろう。
映画のフィルムが巻き戻されるように傷口も塞がっていく。それに伴い、青白かった鈴の顔に生気が戻っていく―――ケホッと血痰交じりに小さくせき込んだ。
「鈴、眼を開けて!」
必死の呼びかけが届いたのか、瞼が細かく震え、やがて持ち上がった。
「僕‥‥‥、一体何を‥‥‥?」
「よかった‥‥‥間に合ったよ‥‥‥」
自分でも驚くほど弱々しい声だった。これじゃあどちらが助けられたのか分からない。
そんな私たちを嘲笑うかのように、スマホから声が流れてきた。
『これで私の力が本物だと信じてもらえたと思います』
『皆さんの脳の奥深くに私の声は残っています。私がたった一言、皆さんに命じれば簡単に殺すことができます。皆さんは私の人質になりました』
『この世界は今、大きな岐路に立たされています』
徐々に声量を上げながら、声は続いた。
『生きるべきか、死ぬべきか、その答えを私は皆さん自身に問いたい。
三日です。三日以内にその答えを示してください。
方法や手段は問いません。相手は誰でも構いません。誰か一人を殺してください。
自分自身のためなら他者などどうでもいい。そのことを皆さん自身で証明してください。
繰り返します。方法は問いません。相手も問いません。でも必ず一人殺してください。
それでも誰かを殺す勇気がない人には、残念ですが死んでもらいます。
今、アナタの周りで起こったのと同じことが、今度はあなた自身の身に起こります。
三日後、全てが終わった後、この世界は生まれ変わっているはずです。
生殺与奪の権利を他人に奪われていることに皆さんは大変な恐怖と、強い怒りを抱いているかもしれません。ですが大切なことです。
孤独な世界に、自分自身の存在価値を示して下さい。
私は求めます――――同志を。偽物ばかりのこの世界に、本物を見出してください』
声はそこで途切れた。
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