第61話継承争い
貴族の館の主人―名をヨッヘムと言った―は王太子であるアレクシスの姿を見て、仰天した。
慌てふためく館の主に代わり、シルヴェストが冷静な指示を出し、アレクシスはすぐに寝台へと運ばれた。
応急処置の道具を用意してもらい、服を脱がせ、肩の傷を診る。
切り裂かれているものの、深手ではなかった。すでに血も止まっていた。
「傷が浅いのが幸いしたようだね。矢が刺さっていたら、命に影響したかも」
シルヴェストの言葉に、クリスティーナは傷の手当をしながら、指が震えた。
顔色の良くないアレクシスの頬にそっと手を伸ばした。今は気を失っていた。
「どうして、殿下は狙われたのですか」
クリスティーナは、振り返った。
シルヴェストは立ったまま腕と足を両方、組む格好をした。
「わたしはあの国では命を狙われていてね」
「どうして――」
思わず息を呑んだ。
(王太子が自分の国で狙われることなんてあるの?)
にわかには信じられず、目を見開いた。
物騒な言葉を口にしたというのに、シルヴェストは至っていつもと変わりなく、飄々とした態度を崩さない。
「後継者争いか――」
「アレクッ」
背後で力なく呟かれた言葉に、クリスティーナは振り返った。アレクシスが細く目を開けた。
シルヴェストが腕を解いた。
「気がついたね。――さすが王太子だ。話が早い」
「後継者争い……」
クリスティーナは頭の中から、ザヴィヤの王族の家系図を引っ張り出した。確か、王子がふたりいたはずだ。ひとりは目の前にいる、正妃が産んだ王子、シルヴェスト。もうひとりは側室が産んだ王子だ。
「わたしには六つ上の兄がいてね、ずっと兄とその母親、それからその実家である侯爵家から命を狙われてるんだ」
「そんな――」
ザヴィヤでは産まれた順に関係なく、正妃が産んだ子に継承権が優先されると聞く。
そのせいで狙われてきたのだろうか。それなら産まれた時からということになる。当時の幼かったシルヴェストの気持ちを思うとたまらなかった。
「何故、捕らえない?」
アレクシスが問う。
「これがなかなか敵もやり手でね。なかなか尻尾をつかませないんだ。毒が仕込まれても、証拠が見つからないことが多くて、襲ってくる刺客はいつも下っ端の下っ端でね。それらを捕まえても初めから捨て駒なんだ。裏で手をひく連中までにはいつも手が届かない」
シルヴェストは肩を竦ませる。伝える内容は物騒なのに、当の本人からは全然緊迫感が伝わってこない。泰然として、どこか人ごとである。そうでもなければ、やっていけないのかもしれない。なにせ狙ってくる相手は血の繋がった兄なのだ。幼い頃からのことだから日常茶飯事として、馴れてしまったのだろうか。
「ちなみに、ここに来る前に従者が体調を崩したって言っただろ。それも、そのせいだ。わたしが口にするはずだった飲み物を代わりに飲んでしまってね」
クリスティーナは目を丸くした。
その言葉に怒ったのは、アレクシスだ。
「お前! そんな危ない役を、クリスに頼んだのか!」
寝台から起き上がろうとするのを、クリスティーナは慌てて止める。
シルヴェストが、両手をつきだす。
「そんな興奮したら、体に良くない。安静にしないと」
「お前――」
急に動いたせいで、アレクシスが、ぜいぜいと肩で息を吐く。
シルヴェストが溜め息を吐いた。
「この国は安全だと思ったんだよ。だから、クリスに従者を頼んだ時も、危険はないと思ったんだ。本当だ」
シルヴェストは神妙に口元に手をあてる。
「まさか、ここまでわざわざ来て、騒ぎを起こすはずはないと思ったんだ。敵も友好国である大国アルホロンを敵にまわせば、どうなるかわかっているはずだ。そこまで馬鹿じゃないと思ったんだけど」
はあと溜め息を吐く。
「どうやら思い違いだったみたいだ」
「理由は?」
「おそらく、父の年齢が関係しているんじゃないかな。高齢だから、わたしにいつ王位を譲ってもおかしくはないから。王位を継ぐ前に始末したいんだろう。そのために、こんな危険をおかしてまで、追ってきた」
アレクシスが盛大に顔をしかめる。力を抜いて、寝台に倒れる。
「はた迷惑だ」
「それは本当にすまないと思ってる。だが、連中はそんな冷静な判断もできないほど、追い詰められているんだろう。なんとか証拠を掴みたいが、今回も徒労に終わるだろうな。賊は死んでしまったから」
「ひとりとは限らない」
「わかっているよ。一応、館には見張りをつけたし、騎士には周りを探ってもらう」
シルヴェストが姿勢を正した。
「とにかく、君はその体を治すのが先決だ。これ以上話をするのは、体に障ると思うからもう出ていくよ。ゆっくり休んでほしい――それから、わたしをかばってくれてありがとう」
「――おまえのためじゃない」
憎まれ口を叩いたアレクシスにくすりと笑うと、シルヴェストは部屋から出ていった。
部屋にはクリスティーナとアレクシスが残された。
クリスティーナはアレクシスを見下ろした。
いまさらながら、命を取り留めて本当に良かった。
でなければ、クリスティーナもあとを追ったことだろう。
「傷、痛む?」
「痛みはそんなでもない。ただ体が自由に動かせない。毒のせいだな――」
覇気のない溜め息混じりの声音に、クリスティーナは泣きそうになった。
「そんな顔、するな。大丈夫だから」
「本当?」
「ああ。――そんなに心配なら、してほしいことがあるんだが」
「なに!?」
自分にできることなら、なんだってしたい。アレクシスはクリスティーナの代わりに身を挺して、こんなことになってしまったのだから。自分にもできることがあるなら、今なら地獄にだって行けそうだ。
「口付けしてくれ」
「え?」
「前におまえの傷にもやったことを、おまえにもやってほしい。そしたら早く治る気がする」
「なんだ。そんなことなら、いくらだってやるよ」
あの時は恥ずかしかったが、恐怖に直面したあとのせいか、感覚が麻痺してしまったらしい。
クリスティーナは寝台にずいと乗り込むと、アレクシスの肩に唇を近付けた。
「あ、でも布が――」
「布の上からでいい。毒矢があたった傷だからな」
「わかった」
クリスティーナは反対の肩と、傷を負ったほうの腕にそっと手を乗せ、白い布が貼られた肩に唇を寄せた。
アレクシスがクリスティーナの頭に手を回す。
伝わってくる暖かな感触に、アレクシスが今生きて、ここにいることを実感する。
そのことがとても嬉しく、クリスティーナは滲み出そうになる涙を耐え、しばらくアレクシスに寄り添ったのだった。
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