第46話公爵令嬢(1)

 クリスティーナの従者としての一日は、アレクシスの執務室を訪れてから始まる。


 掃除は既にメイドによって、済まされているが、執務机の上に関することはクリスティーナでなければわからない。


 まずはインクを補充し、その横にペンを置く。昨日、途中までだった書類を引出しから出し、机に広げる。


 それから今日の会議で必要な資料を探して、隅に置く。飛ばないよう、どれも重しを忘れない。


 自分の机には決裁が必要な書類を積んでいく。アレクシスが判断しやすいように、分類別に分けていくのだ。


 最後に窓を開け、朝の新鮮な空気を取り込んだ。


 窓際に置かれた花瓶に自然と目が行った。飾られた花は赤、桃、紫、橙黄色と鮮やかだ。




「蕾が咲きそう――」




 柔らかな蕾の先を撫で、呟く。実はこの花は王宮の庭からクリスティーナが自らの手で剪定したものだった。最初の頃、執務室には花瓶がなかった。なかなか外にいけないアレクシスを思って、少しでも気晴らしになればと思い、クリスティーナが用意するようになったのだ。本当はメイドに言えば飾ってくれるだろうが、クリスティーナが選んだ花で、アレクシスの気持ちを安らげたかった。要は自己満足である。


 小さな蕾に心の中で声援を送り、自分自身も今日一日頑張ることを誓ったクリスティーナだった。








 




「茶葉の輸出はどうだ?」




 会議室でアレクシスが問えば、テーブルを囲んだうちのひとりが答える。




「はっ。ナット地方産からのものは減ってはいますが、代わりにビロック産が増えてきています。総合量は問題ないかと」




「理由は?」




「ブラッティ伯爵がどうやら茶木の品種改良に成功したようで、そちらのほうが今までのものより、渋みが弱く、味に深みがでたようです。また低地での生育が可能になったことから、運搬費もこれまでより安く抑えられた点が大きいかと。特にザヴィヤへの輸出が多くなっています」




「ああ。あの国は紅茶をよく飲むからな。ナット産のが減ったことには関しては問題あるか?」 




「いえ、これまではハイトラー侯爵がほぼ独占販売をしてきましたから、かえって均衡がとれていると思われます」




「わかった。――次は、陶磁器類などはどうなっている?」




 アレクシスが問えば、担当の部下が答えていく。クリスティーナはそれを、アレクシスの後ろで聞いていた。クリスティーナは執務には携わっていないため、座る椅子は与えられていない。


 しかし、会議のために集めた資料をもって、その都度、アレクシスに渡していく。口を出すことはないが、それでもこの重要な会議の場に居合わせることができ嬉しかった。




 その帰り道。庭に面した回廊を渡っていれば、反対側から人がやってくる。


 そのきらびやかな格好から、すぐに誰か知れる。


 絹タフタのドレス生地に、レース飾りや模造宝石がふんだんに使われていた。レースが動くたびにふわりと揺れ、模造宝石がきらりと光を放つ。


 その人物はアレクシスの前までくると、優雅に扇を広げた。後ろにいた侍女は、フリダとは離れた位置で立ち止まった。




「ご機嫌よう、殿下。偶然会えるなんて、嬉しいですわ」




「これはフリダ嬢。今日もご機嫌麗しいようで何よりです」




「そう見えたなら、きっと殿下と会えたからですわ」




 ふふと笑う。その笑みは女性のクリスティーナから見ても綺麗で、輝いていた。


 彼女の名はフリダ・セラジャ・コルペラ。コルペラ公爵の娘であり、祖母が二代前の国王の妹で、アレクシスとははとこにあたる。家柄、血筋ともに王太子妃に迎えるに相応しく、今アレクシスの婚約者の最有力候補と目されていた。


 アレクシスが苦笑する。




「そう言っていただけるとは、嬉しいですね」




 アレクシスが満面ではないものの、笑みを浮かべた顔を向けるのを見て、クリスティーナの胸がちくりと痛んだ。


 未だアレクシスは婚約者を決めていない。けれど、いつ決めてもおかしくない年齢だ。


 そうなれば、クリスティーナの居場所はなくなるだろう。


 これまで隣に立つのはおこがましくて、いつも半歩後ろにいるクリスティーナだった。けれど、王太子妃はそれより近く、アレクシスの隣に立つだろう。そうなれば、クリスティーナは一歩も二歩も下がらねばならない。一心同体となったふたりの背中を見つめるために。


 果たして、それに耐えられるだろうかと、クリスティーナが寂しく思ったところで、アレクシスが話を打ち切った。




「では我々は仕事がありますのでこれで。気をつけて、お帰りください」




 フリダが優雅に一礼して、見送る。その横をクリスティーナが通り過ぎるとき、何故かフリダがクリスティーナを見た。その視線が打って変わって、鋭く、クリスティーナはどきりとした。けれど、見間違いだと考え直し、クリスティーナはアレクシスのあとに続いたのだった。


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