第44話王太子の執務室

 外廷のニ階にあるのがアレクシス専用の執務室だ。


 直線的な木彫りがされた樫の扉をくぐると、明るい雰囲気の部屋が現れる。窓は大きめに二つとられ、斜光がたくさん降り注ぐ。


 足元には王妃の生国シドナから取り寄せた、遊牧民族が織った、伝統的な模様の絨毯が敷かれている。色は落ち着いたモスグリーン。厚手のため、足音を吸収して、耳につかない。年数が経てば経つほど、艶の出る毛織物だ。


 執務机は木目も美しい欅材。そのくっきりとした木目は他にはない格調の高さを伺わせる。引出しや足元、前面に職人の手によって緻密な植物彫りがなされ、艶をはなっている。その後ろには仕事に必要な様々な書物が並んだ本棚が置かれている。


 中央に置かれたローテーブルは明るめの色調の胡桃材。客人を招いた時や、一休みしたい時にはその色合いが目に優しい。


 様々な気遣いがなされたこの部屋がクリスティーナは好きだった。


 そして窓とは反対の壁には、この国の、そして王家の紋章である双頭の鷹を描いた旗が飾られている。


 両翼を広げ、片方の鷲が掲げているのは一本の剣。もう片方の鷲が交差するように一輪の百合を咥えている。アレクシスとともに勉強してきた今のクリスティーナなら、旗の意味をもう理解できた。


 剣は不動、勇猛、不屈の精神を表し、百合は平和、気高さ、公明正大を表している。


 この二つを胸に、相応しい人間となることを、王家の人間は志している。


 アレクシスなら、きっと成し遂げることだろう。その時が来たら、堂々と翼をはためかせ、自由に飛んでいく姿が目に浮かぶようだ。


 そして、その鷹が勇壮に舞っている空の下には、きっとクリスティーナたちが暮らしているアルホロンがあるに違いない。


 この旗を見るたび、クリスティーナはそんな思いに馳せる。




 部屋に入ってすぐに、飾り台の上に手紙が何枚も置かれていることに気付く。おそらく、会議中に侍従がおいていったものだろう。


 送り元を見ると、外国語で書かれていた。


 アレクシスの仕事は外交に関することだ。交易はもちろんのこと、各国の王族や重鎮が現れたときのおもてなしから、他国の建国祭や誕生祭にはお祝いを贈ったり、または挨拶に伺う廷臣を手配したり、既に結んだ条約の改正をしたりと、様々な外交に関することを一手に担っている。二年も経つと慣れたもので、今やアレクシスは誰の助けも借りず、自分で判断し、こなしている。


 成長する姿を見る度、クリスティーナはアレクシスに対しての尊敬の念を増やしていった。


 クリスティーナは手紙を手に取り封を開けると、一枚一枚中身を確認していく。


 全て違う言語で書かれていた。アレクシスと共に学んだ語学の勉強が、ここでこんな風に役立つとは思わなかった。自分の教養を活かすことで、アレクシスの役に立つならば、これまでの努力は無駄ではなかった。クリスティーナは当時の教師に感謝した。


 手紙の内容を確認し、急ぎかそうでないかに分けていく。それを全て分けたら、アレクシスに渡す。


 執務机に座っていたアレクシスはそれを受け取って、今度は隅にあった手紙をクリスティーナに寄越す。




「この手紙の返信に、来月の五日で日取りを合わせたい旨を書いてくれないか」




「この前、届いたのだね。わかりました」




 クリスティーナは手紙を受け取った。


 アレクシスの執務机の横に置かれた小さな机に移動する。最初は遠慮したが、アレクシスが強引に用意してくれたものだ。


 北の国エリルバ語で筆を進める。時候の挨拶から始まって、言われた日付を記す。最後に封筒の宛先と名前を、受け取った手紙を見ながら書き写す。


 アレクシスの仕事の代わりはできないが、こういった細々としたことがクリスティーナの役割だった。




「できました」




「ありがとう」




 アレクシスは手紙の内容を確認すると、最後に自分の署名を手紙の下に記すと封に閉まった。




「さて、仕事も一通り終わったし、久々に気分転換でも行くか」




 アレクシスが椅子の上で、伸びをする。


 本来、じっと座っているのが性に合わないアレクシスだ。それなのに、日々執務机の前で真面目に仕事をしているのは、王太子としての役目をちゃんと果たさねばと自覚しているからだ。それでも、やはりたまの気分転換はアレクシスにとっては欠かすことのできない重要な習慣だ。


 クリスティーナはくすりと笑った。




「今日はどっち? 剣術? それともマルク?」




「マルクだな」




 アレクシスが愛馬を選択する。クリスティーナは窓の外を見やった。




「でも、何だか雨が降りそうだよ。東の空があやしいけど」




「なに、降る前に帰ってくればいいんだ。――行くぞ」




 クリスティーナの心配を跳ねのけて、アレクシスが立ち上がる。一度決めたら、意見を覆さないのが、アレクシスの性格だ。


 クリスティーナは止めるのを諦めて、嘆息した。




(こうなったら、絶対聞かないんだから)




 そう思うのに、結局従ってしまう自分も自分なのだが。




「待ってよ」




 先に部屋を出るアレクシスを追いかけ、クリスティーナも部屋を飛び出したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る