第33話それぞれの思い

 最近の王宮の人々が口の端にのせる噂話は、決まってひとつだ。それは王太子が初めて踊る相手は一体誰になるのだろうかという話題であった。王太子には未だ婚約者がいない。そのため、一番初めに踊った人物が王太子妃になる可能性が高いのではないかとの声が、もっぱらの見解だった。


 年頃の令嬢はもちろんのこと、王宮に仕える廷臣、騎士やメイドに至るまで、寄ると触ると、どこかの令嬢の名を言い合い、予想し合うのに忙しい。


 年頃の令嬢をもつ親たちや、王太子に憧れる令嬢たちは、なんとかしてその座を射止めようと必死で、お互いを牽制し合うも、その肝心の張本人が一向に姿を見せない。そうなると、もう既に相手は決まっているのかという話題になり、隣国の王女の名が出たり、王妃と親しい公爵家の令嬢の名が出たりと、噂に新たな要素が加わった。


 そのように好き勝手に噂されている当の張本人はというと、あいも変わらずの普段を過ごしている。


 ふたりが、気分転換に騎士たちと剣を交えた帰り、前方に令嬢たちの姿を見つける。どういうわけか、最近、こういうことが多い。アレクシスが立ち止まる。しかし、方向転換するよりも前に、令嬢たちがアレクシスたちに気付く。




「まあ、殿下ではございませんか。こんなところでお会いできるなんて、嬉しゅうございます」




 令嬢たちが近付いてくるのを、アレクシスは気付かれないようにそっと溜め息を吐く。偶然を装っているが、明らかに待ち伏せだ。




「もしかして、剣術の帰りですか? あら、汗がこんなに。――わたくしが拭いてさしあげますわ」




 最初から用意されてあったハンカチで、アレクシスの額に手を伸ばす。触れられる前に、アレクシスは断った。




「いや。お気持ちだけで充分です。あなたのハンカチが汚れてしまうのは申し訳ない」




「汚れるなんて、そんな。殿下の役に立つなら、ハンカチのひとつやふたつ、惜しくないですわ」




 令嬢がにっこり笑う。




「それでは言い方を変えましょう。あなたのような綺麗な方に、触れられると思うと、心臓がはねて、みるみる顔が赤くなってしまいそうです。そんなみっともない姿をお見せしたくないのです」




「まあ――」




 令嬢の頬がぽっと赤く染まる。端正な顔立ちのアレクシスに微笑まれて、ほかの令嬢たちも恥ずかしそうにはにかむ。




「それでは、ご機嫌よう」




 アレクシスは軽く一礼して、のぼせあがった令嬢たちをおいて、その場を去っていく。


 一部始終を後ろで見ていたクリスティーナは、アレクシスの変わりように感心した。




「はあ、疲れた――」




 前を行くアレクシスがぼそりと呟く。クリスティーナはくすりと笑った。




「大変だね、アレクも」




「待ち伏せされるのは、これで何回目だ!? うかつに道も歩けない」




「代わる代わるだもんね」




 令嬢たちの顔ぶれはいつも違う。どこで聞きつけたのか、アレクシスが騎士の演習場で度々剣術をしていると知ってからは、騎士舎と内廷の道すがらに令嬢たちが待ち構えるようになってしまった。行く日は不定期だから、剣術しに行かない日も、きっと待っているに違いない。今日の一行は、アレクシスに会える幸運を授かったようだ。


 アレクシスが再び溜め息を吐くのを聞いて、クリスティーナは口を開く。




「そんなに嫌なら、早くダンスの相手を決めればいいのに」




 アレクシスが振り返って、クリスティーナに目線を向ける。




「知ってる? 今王宮のもっぱらの噂だよ。アレクが誰を選ぶのか、みんな興味津々なんだよ。宿舎では誰に決まるか、賭けの対象にもなってるんだから」




 実のところ、クリスティーナ自身も気になっていることだった。アレクシスが一体誰を選ぶのか、興味がないわけではない。むしろ、存分にあるかもしれない。この自慢の親友が選ぶ、誉れある最初のパートナーは一体どんな令嬢だろうか。それを想像すると、もやもやするのはきっと、自分のそばから離れて遠くに行ってしまう気がするからだろう。


 しかし、現時点ではアレクシスが誰も選んでいないことは知っていた。その話題を口にしないし、令嬢の名前の一文字だって聞かないからだ。


 クリスティーナが見つめると、アレクシスが目を反らして、回廊の外を見る。




「そんなに俺のお披露目の最初の相手が重要か? そんなの、誰と踊っても一緒だ」




「アレクはそうかもしれないけど――」




 クリスティーナが言い募ったときだった。




「あら、殿下ではごさいませんか!」




 ふたりがいる回廊とは外れた庭のほうに、令嬢たちが五、六人立っていた。そのうちのひとりがアレクシスに気付いて、声をかけてきたのだ。




「まさか、偶然お会いできるなんて、嬉しいですわ」




 令嬢たちがこちらに近付いてくる。アレクシスはクリスティーナと向かい合っていた体の位置を変え、体を庭に向ける。令嬢たちは前まで来ると、揃って、膝を曲げて優美に一礼する。アレクシスも一礼した。




「こちらこそ、ここで出会えるとは奇遇ですね。揃って、どちらへ?」




 真ん中のひとりが顔をあげて、嬉しそうに微笑む。




「わたくしたち、これから王妃さまのお茶会に行くところなんですの」




 アレクシスは口元に笑みを貼り付かせたまま、思い出す。




(そういえば、母上がそう言っていたような)




 例によって顔を出すように言われていたが、はなから参加する気のないアレクシスはすっかり忘れていた。




「よろしければ、殿下もご一緒しませんこと? 殿下がお茶会にいらっしゃったら、それだけで、場が沸き立ちますわ」




 にっこり微笑んで誘われるも、残念そうに首を振った。




「申し訳ない。これから所用があって行けそうにありません」




 もちろんそんなものはない。だが、相手は信じたようだ。




「まあ、そうなんですの。それは残念ですわ。ぜひ、この機会にと思いましたのに」




 残念そうに眉を下げる。


 こちらは本当に残念そうである。




「仕方ありませんわ。またぜひ、次の機会に。――では、失礼いたします」




 一礼して去っていく令嬢たちを見送る。クリスティーナはその中に、先日見たマリアーナ・ユニイテがいることに気付いた。ほかの令嬢たちと比べるとやはりそのドレスは控えめだ。


 後ろ側に立つのは、あえてアレクシスの目にとまらないようにしているのか、それともほかの令嬢に遠慮しているのか。


 去っていく時も、ほかの令嬢たちは横目でアレクシスに視線を送るも、マリアーナは恥ずかしそうに伏し目がちに去っていく。影のような控えめさがいじらしくて、何だか色々手助けしたくなってしまうような、不思議な感覚を覚える令嬢だ。


 クリスティーナがその背を無意識に見つめていると、隣から声がかかった。




「誰か、気になる令嬢でもいるのか」




 その場から動かないクリスティーナを不審に思ったのか、アレクシスが問いかける。




「べ、別にいないよ」




 クリスティーナは我に返り、慌てて首を振る。アレクシスが目を細めた。


 アレクシスがクリスティーナの視線を追って、もう離れてしまった令嬢たちに目を向ける。クリスティーナが見つめていた先、一番最後に歩くマリアーナに目をとめる。




「あの、桃色のドレスの令嬢か?」




 図星を指されて、クリスティーナは仕方なく認める。




「う、うん」




 頷いたクリスティーナに、アレクシスが目を丸くして声をあげる。




「まさか、好きになったんじゃないよな?」




 責めるような口調に、クリスティーナは慌てた。




「違うよ!」




(もしかして誤解させたのかな!?)




 アレクシスの婚約者になるために選ばれた令嬢のひとりだ。極端に言えば、アレクシスが半分所有しているようなものだ。アレクシスの一言で、アレクシスのものになってしまうのだから。そんな相手にクリスティーナが横恋慕したと思って、怒ったのかもしれない。




「ただ、可愛いなあって思って見てただけだよ。本当にそれだけ!」




「ふーん」




 尚も疑わしそうに、アレクシスは見下ろしてくる。




「本当だよ。信じて」




 必死に言い募る様が、より一層怪しく思えるとは考えないクリスティーナだった。


 クリスティーナがひとり、誤解を解こうと言葉を選んでいる間、アレクシスがすっと顔をあげて、既に小さくなってしまったマリアーナの背を見つめる。下を向いていたクリスティーナは、その表情がとても冷たいものであることに気付かなかった。


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