孤独の老人と突然の別れ……
来た道とは反対の山を越えようと、車は進んだ。クミちゃんの旅館よりもさらに深い山を登りつづけた。ときには崖ギリギリのところをゆっくりと進み、落ちるのではないかと冷や冷やしながら進んだ。ようやく頂上までたどり着き、あとは下るだけだ。
いったん、頂上で下を見下ろした。
朝早いため、地上は靄がかかり、神秘的だった。そんな中、山の中腹辺りに、靄とは違う煙が立ち上っているように見えるところがあった。おじさんに双眼鏡を借りて見てみると、ほんのわずかな土地に、小さな家がポツンと建っていた。
私がみんなに教えると、行ってみることになった。もちろん、人間ではないかもしれない。色々なゾンビを見て来て、たき火をするゾンビがいてもおかしくはない。
昨日の夜中に、大雨が降ったみたいで、道がぬかるんでおり、たびたびタイヤがはまった。動けなくなった時は、リョウカさんに運転を変わってもらい、おじさんとクギョウくんが後ろから押していた。
私だって手伝おうと、車を降りたけど、汚れるからと、おじさんが言って手伝わせてくれなかった。
「汚れるから、というのは建前だぜ」
リンが言った。
「お前が力を加えたって、あまり変わりないからな」
「もう、知ってるよそんなこと。だけど、私だって力になりたいじゃん」
「変身するか? それよりも、そのうちゾンビと戦うことになるだろ。その時に、奴らの役に立てればいいんだよ」
「わかったよー。その時はお願いね」
「任せとけ」
なんとか、舗装された道に戻るも、ガタガタだし、道幅がほとんど車幅と同じでゾクゾクした。このスリルがなかなかたまらなくて、楽しかったけど、おじさんはとても神経を尖らせてたと思う。クギョウくんなんて、目をつぶってずっとお経を唱えてたもん。
シカが横切ったかと思うと、野ウサギがピョンピョンと飛び跳ね、草むらへと消えてった。あの子たちも、リンのゾンビ判定では真っ白だった。
色々なテーマパークが混ざったような山道で、飽きることなく時間が進んだ。
窓を開けてたせいか、煙の臭いが鼻をついた。もうすぐだって思っていると、目の前に一台の車が停まっていた。車の先には、それなりに大きな家が建っており、家の前で煙がモクモクと立ち上っていた。火は消えているみたい。
車を、家の前まで進めようとしていると、運転席の横でお年寄りが猟銃を構えていた。
「降りろ」
お年寄りが、低い声で言った。
おじさんは、両手を挙げながら降りていく。中を確認するお年寄りと目があい、お前たちもだ、と言われ、両手を挙げながら降りた。
「ふむ。ゾンビじゃなさそうじゃな。ゾンビなら、わしの言うことに従うはずがないからのう」
お年寄りが、猟銃を下ろしながら言った。
「手も下ろしてもいいのか?」
おじさんが訊く。
「ああすまんかった。かまわんぞ」
お年寄りはハチロウと名乗った。私のお祖父ちゃんよりも、少しだけ上のように見えたのは、腰が曲がっているからか、それとも背が低いからかな。
念のため、リンにゾンビ判定をお願いした。見ての通り白だと教えてくれた。
ハチロウさんの家の周りには、畑があり、田んぼも一面だけあった。野生の動物も結構目にしたため、食料には困らなさそうだ。
家の中にも入れてもらった。居間には囲炉裏があった。この辺りは夏は涼しいが、冬はとても寒いため、重宝しているみたい。座布団の上に座り、のんびりとしていると、奥からハチロウさんがお茶を人数分運んできた。
「裏山で採れたお茶じゃ」
いただきますと言って、お茶を飲んだ。
香りがとてもよく、涼しいこともあって、体が温もった。
「爺さんは一人なのか?」
おじさんが訊いた。
「ああ、ばあさんは、ちょうどゾンビ騒動がはじまった頃に死んだよ。なんせ医者がおらんのじゃからどうしようもなかったわい。火葬もできんし、裏に墓を作ってから埋めた」
「そうか、それはご愁傷さまでした」
いきなり重たい話となり、私たちはしばらく沈黙した。
「お前さんたちは、これからどこかあてはあるのか?」
ハチロウさんが、口を開いた。
「一応な」
と、言って、おじさんが概要を説明した。
「なるほどな。そうじゃ、そろそろ昼じゃが、一緒にどうじゃ」
断る理由もないし、車に保存してある缶詰の節約になるのなら、大歓迎でもあった。
私とリョウカさんでハチロウさんを手伝った。
畑では、キュウリにナス、それからトマトなどがたくさんできていて、家の裏には、鶏小屋があり、そこで今朝産みたての卵も昼食に出された。山に仕掛けた罠に引っかかったシカやイノシシ、ときにはウサギ、それからクマといった肉なども食べているそうだ。このあたりは、ハイテクな電気類は通っていないため、ロウソクの火や、薪などで補っており、水は湧き水があるため、十分に確保できていると言った。なんだか、祖父母の家よりも原始的な生活で新鮮だった。だけど、こういうのもいいなあって思ったよ。
お昼は、卵かけごはんに、キュウリとナスのお漬物だった。
「結構、ぜいたくな生活ができているようだな」
おじさんが感心するように言った。
「ああ、おかげさんでのう。ここまではゾンビもやって来ん。来るのは、獣たちと、生き延び、逃げて来たお前さんたちのような人間だけじゃ」
「ほかにも来たのか?」
「ああ、一度だけじゃがな。半年前じゃったか、婆さんが死んで、さびしくて仕方が無かったところへ、若いアベックがやって来たよ」
と、しみじみ言った。そのことを聞いた私たちは、一様に顔を見合わせていた。「二人とも、とても明るくてのう。しばらく畑仕事なんかを手伝ってくれたりして。三日目のことじゃったかな。なんか、あの山の向こう側にあると言う旅館に行ってみると言って、行ったきりじゃ。どうなったのかはわからん。あまり考えたくない事じゃが……」
おそらく、クミちゃんの旅館で見た、ミイラ化したカップルのことだろうと思った。ハチロウさんも、どうやら察しているようだ。
再び、沈黙が走った。
「そうじゃ、今晩は泊って行ってくれんか」
と、ハチロウさんが言った。
「そんなに急ぐ旅でもないんじゃろ? だったらもう暗い話はなしじゃ。挽回させてくれんかのう。いい酒もあるし、一晩でいいから、この寂しい年寄りに、少しだけ付きおうてはくれんか?」
答えは決まっていた。私たちは、ハチロウさんの家で一晩お世話になることになった。
イノシシ肉と畑で採れた新鮮な野菜で鍋をした。クギョウくんは、またまた涙を流しながら食べていた。
「僕、もうすぐ死ぬのかな。こんなにおいしいものが食べられるなんて」
大げさな子だね。
おじさんとリョウカさんは、ハチロウさんとっておきの日本酒を堪能していた。五年ほど前に大量に買っておいた純米吟醸を、ずっと湧き出る山水でできた池の奥深くに沈めていたものだそうだ。
外ではドラム缶風呂が用意され、私とリョウカさんが先に入ることになった。露天風呂とは違った解放感があり、とても気持ち良かった。ハチロウさんは、久しぶりに若い女の裸が見られてご満悦そうだった。って、なに見てるのよ。
おじさんたちもドラム缶風呂に入り、ミイラに戻りかけていたクギョウくんは、美少年の状態を保ち続けることができて、ホッとしていた。
お風呂のあとも、おじさんたちはお酒を飲みつづけ、私はとても眠たかったから、リョウカさんの太ももの上で横になっていた。
クギョウくんも、お酒を飲んだ。そして、なにかを決断したような顔をしていた。
「ハチロウさん。あなたさえよければ……僕をこの家においてはくれませんか?」
突然のことで眠気が吹き飛んでしまった。
「ええのか? ここは、都会のような便利さなど皆無じゃぞ」
「どのみち僕は過去の人間でもあるし、とっくに死んでいるはずだった。毎日の修業が苦行の日々だったのに比べれば、ここでの生活は極楽浄土のように思える」
いいのだろうか。坊主が苦行だとか言っても。
「うれしいのう。ほんとうは全員残ってくれと言おうかと思ったが、お前さんたちには、目的があるんじゃろう?」
「僕にはありませんよ。それに、ゾンビに追われる世界では、僕は足を引っ張るだけだ。きっと自分の身を守ることで精いっぱいになることもあるはず。なんと言っても怖いし。ここなら、ゾンビの集団に出くわす心配もなさそうだし、お爺さんの生活に、僕は深く感銘したんだ」
「そうか、そうか。わしはうれしいぞ」
と、ハチロウさんの目に涙が浮かんでいるように見えた。
クギョウくんとは知り合ったばかりで面白い人だけど、突然の別れというのは寂しいもんだね。
その夜は、みんな深夜まで飲んで、飲んで、飲みまくったみたい。私は早々にお布団に入って眠ってしまった。ふかふかのベッドもいいけど、ふかふかのお布団で眠ると、田舎のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家みたいで、ぐっすりと眠ることができた。
翌朝、銃声で目が覚めた。
おじさんとリョウカさんが枕元にあった銃と剣をもって、部屋から飛び出て行った。そういえば、クギョウくんの姿がない。なんだか嫌な予感がしていた。
私も眠たい目をこすりながら、廊下に出て行くと、お腹から血を大量に流して倒れているミイラがいた。クギョウくんだった。
「おいしっかりしろ」
おじさんが、クギョウくんに声をかけている。
でも、クギョウくんの目は虚ろで、口からも血が流れていた。傷口を押さえているおじさんの前には、猟銃を持っているハチロウさんが立ち尽くしていた。銃口からは煙が出ていた。
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