第16話 バースデーソングラプソディー
「何あれ」と車の中から深波が指さす。「あ?」と横目で見た乾も、「なんだ、あれ」と首を傾げる。
ヘリコプターから垂らされた縄梯子に熊野がしがみついており、かろうじて落ちそうな宇佐木の腕を掴んでいるという状況である。
「楽しそうにしてる?」
「少なくとも楽しそうにはしてないな。お、熊野のやつがなんか言ってるぞ」
「乾さん、目がいいね。なんて?」
「……恐らくだが、『カメラを構えろ、YouTubeにアップしてバズるぞ』だろうな」
「それほんと??」
しばらく目を細めて見ていた乾が、「まだ何か言っているな」と呟く。
「“なにみてんだ” “はやくなんとかしろ” か」
顎に手を当てた乾と、目を丸くした深波が顔を見合わせ――――どっと笑った。
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「信じらんねー。笑ってやがる……」
僕らが死んでもいいのかよ、と熊野が毒づく。ぶら下がっている宇佐木が「すまない、壮汰」と声を張り上げた。
「もう本当にダメなときは、俺の手を離してくれ」
「当たり前だろ。あんたと一緒に死ぬ気なんてさらさらないからな」
ため息を付きながら熊野が「せっかく押収した弾も落ちていきましたよ。まああいつらに持たせてるよりはいいが」と呟く。
それから熊野は「おい変態ども!!」とヘリの中に声をかける。しばらくして顔を出した男が、「え……なんでついてきてんの……?」と面倒そうな顔をした。「僕が聞きたいよ」と熊野はキレる。
「縄梯子しまわないとここ閉められないからやめてほしいんだけど」
「じゃあ僕たちを中に入れるか着陸するかしてくれる?」
「それは無理」
「いいのか? このままだと僕たちは死ぬぞ? お前たちは人殺しになりたいのか?」
「事故は知らんよ」
「ねえ~~~お願い助けて~~~なんでもするから~~~」
「事ここに及んで命乞いに意味があると思ってるのか?」
「命乞いっていうのは案外、最後の最後まで有効なんだよ」
ぴょこっと顔を出した金子が「そんなところにいたら危ないよ」と言ってくる。ちょっと待っててね、と奥へ引っ込んでいった。しばらくして、誘拐犯が何人か顔を出した。
「金子きゅんがどうしても助けたいと言うので中に入れてやることにする」
「! やったぁ!!!」
「まずそっちのぶら下がってるイケメンを引っ張り込むから、近くまで引き寄せろ」
熊野が黙って宇佐木を見下ろし、死んだ目で「そんなファイト一発みたいなシチュエーションに出会うとは思わなかった。さすがの僕もこいつを片手で持ち上げるのは無理」と首を横に振る。「じゃあ無理だ」と誘拐犯たち奥へ引っ込んで行ってしまった。
残った金子が、困った顔をしながらも懸命に手を伸ばす。それをふっと笑いながら見た熊野は、「僕らはしばらくこのままでも大丈夫だ。君もそんなに身を乗り出しちゃ危ない。どこかに着陸するよう連中を説得してくれ」と言う。金子はこくこくと何度も頷いて顔を引っ込めた。
「……なあ、宇佐木」
「うん」
「綺麗だな、景色」
「ああ、そうだな」
「ふざけんな!! お前もなんとかしようとしろ!!」
「びっくりした。急に大きな声を出すな、体力が削られるだけだぞ」
「何を他人事のように……」
ふう、とため息をついた宇佐木が「じゃあ俺も頑張ってみるよ。お前の体を伝って上に登ってみる」などと言う。「えっ、ちょっ」と言っている熊野を無視して、宇佐木は熊野の腕から胸の辺りを掴んだ。
「いでででで、肩外れるって」
「後で嵌めてやる」
「お前ほんとふざけんなよ」
仕方なく空いた片腕を足場にして支援してやりながら、宇佐木をヘリの内部に送り込む。ヘリの中から「おーっ」「すご!」「やるねー」と声が聞こえてきた。
熊野も縄梯子を伝い、ヘリの内部に侵入する。
「ファイト一発じゃん! すごいね、あんたら」
「すごいだろ? こんな芸当だってできるぜ」
熊野は近くにいた男の腕を掴んで座席にぶつけ、銃を落とさせる。すかさず落ちた銃を拾い、操縦士の頭に向ける。
「動くな、僕の言うとおりにしろ。ヘリを今すぐ着陸させるんだ、さもなくば
誘拐犯の一人が、言いづらそうに口を開く。
「俺も思わず構えちゃった手前、アレなんだけど……。その銃、弾入ってないよ」
「……クソ! 誰だよ全弾使ったやつ。普通、事が終わるまでは一発くらい残しとくだろ!」
あんたなんだよなぁ、と誘拐犯が戸惑いの声を出す。「わかってるからキレてんだよ!!」と熊野は頭を抱えた。
@@@@@
ハンドルに寄りかかりながら乾が「あいつらヘリに入っていったよ。大した根性してんな」とヘリを見る。
「大丈夫かなー、ヘリの中で袋叩きにされてないかな」
「それは見てみたいが」
「黒猫と宇佐木さんもいるんだよ?」
じゃあまずいか、と乾は呟く。「とはいえ、できることもないが……」と言った瞬間、携帯電話が鳴り響いた。液晶を見て、「宇佐木だ」と驚いた顔をする。
「もしもし?」
『ああ、もしもし。現状を打開するようなアドバイスが欲しくて電話をしてみたんだが』
「そうか。かける相手を間違えてるぞ。警察とか消防にかけるといい」
『なんだかんだこちらは丸腰なので、ヘリをジャックしきれていないところがある』
「ヘリジャックなんかしてどうすんだよ」
不意に電話口でガサゴソと物音がして、『乾ちゃーん?』と熊野の声がした。
『今からこのヘリ落とすから何とかして』
「何言ってんだお前は。死にてえのか」
『なるべくこう……海とかに落とすからさ、船で迎えに来て』
「あ? いくら海に落としたって死ぬっつうの」
『じゃあ、よろしくお願いします』
と言って、電話が切れた。もう何も言わない電話を見ながら「クマカスが……」と乾は呟く。嬉しそうな深波が「船? いいえー、じゃあ船動かしちゃうかー」と不穏なことを言った。
@@@@@
頭を掻いた熊野が「というわけだから、このヘリを今から落とします」と宣言する。
「はあ? どうやって」
「銃なんかなくたってあれだよ? 操縦士の首をへし折るぐらいできるんだよ?」
「大体、そんなことをしたらお前も死ぬんだぞ」
「あんまりナメないでほしいな。僕はね、いつだってヤケクソなんだよ。やっちゃったらやっちゃった後でどうなろうが知ったこっちゃないね」
ふん、と鼻を鳴らした操縦士が「なら落とそうか? 今すぐ。こっちだって生半可な覚悟でやってないんだ」と言い出す。
「は? 僕のヤケクソとお前らのヤケクソ、どっちがよりヤケクソか勝負する、ってコト? やっちゃおっかなー、今。手当たり次第に」
ハッと笑った誘拐犯たちを横目に、熊野も「なーんて」とへらへら笑った。
それから、誰も反応できない速さで操縦士の首に後ろから腕を回し、絞めながら引きずり下ろす。
全員が固まっている隙に操縦席に座り、「僕が勝つ僕が勝つ僕が勝つ」と言いながら操縦桿のようなものを触った。
ヘリの中はパニックに陥る。
「嘘だろオイ!」
「こ、このイカレ野郎! 離れろ!」
「あんたからもなんか言ってやれ!」
宇佐木は平然と、「まあ、仕方ないんじゃないか。このままヘリに乗ってても俺たちに得はないし」なんて吐き捨てた。「いやいやいや!」「死ぬんだぞ!?」と誘拐犯たちが騒ぐ。
「このヘリ、落ちるの?」と金子が訊ねた。
「落とすらしいな」
「落ちたら、熊野さんも宇佐木も、死ぬんじゃない?」
「そうかもな」
「落とさない方がいいよ」
「落とさない方がいいらしいぞ、壮汰」
「いいや、落とすね! ヤケクソバトルに勝つのはこの僕だー!!」
誘拐犯たちが「ひいっ」「ダメだこいつ、格が違ぇ」と言いながら立ち上がった。それから次々とヘリから飛び降りていく。パラシュートが開き、ゆっくり落ちて行った。
「……チキンレース雑魚だな、あいつら」
「チキンレースというのは、ギリギリで止まるものだと認識しているが」
「まだ全然行けんのにな!」
「でもお前、ここからどうするんだ?」
「あんたに言われたくないよ、それ」
どうするって、と熊野は口角を上げる。しばらくして真顔になり、「あれ、操縦士も飛び降りた?」と呟く。
「……詰んだ……?」
立ち上がった熊野が「やばい! 詰んだかも!!」と熊野は叫んだ。なぜだか宇佐木は『今こそ人生最高の瞬間である』というような嬉しそうな顔をして、声を上げて笑っている。「さて。俺たちも飛び降りるか」とヘリの出口に立った。
「えっ?」
「さっき俺もパラシュートをつけてもらったんだ」
「なんでだよ!!」
「俺とワンナイトのカーニバルしたかったらしくて」
「ずるいだろ! 結局この世は金か顔なのか?」
「熊野さん」と、金子が呼ぶ。熊野が振り向くと、金子は手を差し出して「行こ!」と言っていた。
「……君もパラシュートつけてもらったの?」
「うん。だから、おれと一緒に降りよう」
「まさか……僕と飛び降りる気か? 正気かよ」
そう言ってから、熊野は思わず「飛び降りるんだな。そうか、イカれてるな」と笑ってしまう。それから瞬きをして、熊野は首を横に振った。
「僕はこのヘリを海に落とす。それが責任ってもんだろう」
「死ぬのか?」
「いや、死なない。僕はパラシュートもないことだし、水面ギリギリで飛び降りるよ。その方が安全だしな」
「お前らしくない非現実的な案だな。そもそも操縦ができるのか?」
「こんなもんアレですよ。勘でやりゃあ一発ですよ。僕は天才なんでね」
ふーん、と言いながら宇佐木と金子が後ろから覗いてくる。「飛び降りろよ!」と熊野は青筋を立てた。
「俺たちだってもうちょっと高度が下がったほうが安全だと思わないか?」
「熊野さんのこと、置いていかないよ」
「置いていったじゃん、さっき。寂しかったんだぜ、君がいなくて」
「ごめん」
次は僕のことも連れて行けよな、と軽く言いながら熊野は顎に手を当てる。
「金子くん、どれが昇降に関係あると思う?」
「たぶんこのレバーだと思う。さっきここをぐいーって押して上げてたから、反対にこっち側にぐいーって押すのがいいと思う」
「天才だな」
そう言いながら熊野はためらいなくそのレバーを下にさげた。船首がぐいっと下がる。
「…………」
「下げ過ぎじゃないか?」
「こういうのもっと……硬いのかと思って……」
「自分の力を考えてくれ」
慌てて立ち上がった熊野が「ヤバい! なんだかわからないがこの勢いはヤバいということだけはわかる! 飛び降りろ!」と言い出した。「お前は本当に天才だ。いつも事を面白くしてくれる」と宇佐木が本気で感心したように言う。「うるせえ! 早く飛び降りろ!」と熊野は叫んだ。
ふと、金子が熊野に右手を差し出した。一瞬ぽかんとした熊野だったが、今度は苦笑して「わかったよ」と言いながら金子の手を取った。
「君が手を引いてくれたら、僕なんかでも天国に行けそうだ」
金子はきょとんとして、「天国に行きたいの? 熊野さん」と首を傾げる。それからへにゃっと笑い、「へんなの」と言った。
くすくす笑った宇佐木と三人で手を繋ぎ、ヘリから飛び降りる。風の抵抗を受け、髪と服が広がった。
声にならない悲鳴を上げながら、熊野が「全然無理!! ぜんっぜんむり!! 死にたくなさすぎる!!」と目を閉じる。ゲラゲラ笑いながら宇佐木が「すごい勢いで落ちていくな!」と叫んだ。「パラシュート仕事しろ!」と熊野は嘆く。
熊野は下を見て、「海だ……海だな、よし」と言いながら金子と宇佐木の手を振り払った。金子が「あっ」と言うがすぐに大きな水しぶきが上がる。
金子たちの落下の速度が下がる。熊野が海から頭を出して、「まあなんだ……なんてことなかったな」と言った。
ゆっくりと海の上に降り立って、金子と宇佐木は一瞬沈む。すぐに顔を出した宇佐木が、前髪をかき上げながら辺りを見渡した。
金子はというと完全にパニックで、水中でじたばた藻掻いている。「泳げないのかよ! なんで上では平然としてたんだ!」と言いながら熊野が金子の腕を掴む。
「もう自分で降りられないような高いところに上るなよ、猫ちゃん」
「海やだ! 海! きらい!」
「わかったわかった。暴れないでくれ。僕を道連れに溺れる気か?」
泳いできた宇佐木が「大丈夫か? クロ、落ち着くんだ」と金子の背中をさする。震えながら熊野の首にしがみついて、「しずむ……しずむ……」と金子は呟いた。そんな金子の頭を撫でながら、熊野はふと、金子の胸元に手を突っ込んだ。それからキラキラ輝くネックレスを金子の首から取り上げて、「君ってほんとに信用あついね。普通、こんなバカ高そうなもん、真っ先に没収されるんだけど」と肩をすくめる。
「あの人たち、優しかったよ」
「君の目に映る世界は素晴らしいな」
「なあクロ、就職はまだまだ考えなくていいよ。少なくとも俺たちに相談してからにしなさい」
金子は素直に「わかった」と言う。余程海が怖いらしく、普段より口数が少ない。
これからどうしようか考えていると、一隻のボートが近づいてくるところだった。ボートの上から深波が大きく手を振っている。
「乾さんってボートの操縦できんだー。どっかで習ったの?」
「俺も驚いている。どうして
そんなことを言いながらボートは金子たちの前で停まった。
「やっほー。みんな元気? 熊野さんが袋叩きにされたりしなかった? あ、てか熊野さんの髪が緑に戻ってる。あーあ」
「信じられないことに無傷だ。僕って天才なんじゃない?」
「そうだな」
「そっか~~~やっぱ僕って天才だったんだ~~~」
ボートに乗り込み、金子たちはほっと一息つく。
「もう帰ろ~。帰ってシーフードヌードル食べよ~」
「なんだ、お前も食べたかったんじゃないか」
「なんかもう安心を得たいんだよ、僕は。いつもの味でほっとしたい」
「シーフードヌードルって何?」
「金持ちはあの美味さを知らずにいろ」
「えー! おいらも食べたい!」
なんだかよくわからないが助けてもらったらしい。金子は「迷惑かけてごめんなさい」と俯く。すると全員がきょとんとして、「何が? 僕が今迷惑かけられたなーと思ってるの宇佐木しかいないけど」「オレは主に
すると突然宇佐木が「ハッピバースデイトゥーユー」と歌い出す。
「ハッピバースデイトゥーユー」
「え、なに?」
「ハッピバースデイディア……」
深波くん、と宇佐木たちが声を合わせた。これには深波も当惑した様子で「ここで? 頭おかしいんじゃない?」とちょっと後ずさる。
「ハッピバースデイトゥーユー」
「イエーイ」
「おめでとう!」
「誕生日おめでとう! これは僕と金子くんからの誕生日プレゼントです」
言いながら熊野が、金子の首から回収したネックレスを深波の首にかける。「これ元々おいらのでしょ」と深波が突っ込んだ。「金子くんが守り抜いたネックレスですよ」と熊野が言って、金子はなんだかわからないなりに「えへへ」と頭を掻いた。
その時強い風が吹いて、ボートが大きく揺れる。金子が思わず熊野に飛びつくと、みんな後ろを向いていた。途轍もない水しぶきが上がり、そこにそれがあった。十メートルほど先に落ちてきたヘリコプターだ。船は揺れるだけにとどまらず、波に攫われて流され始める。
黙って乾がボートのハンドルを切り、猛烈な勢いで陸を目指した。その間、全員が無言だった。「まあ、海に落ちてくれただけでも……」などと深波が呟いたりしたが、それでもみんな無言だった。
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