第5話 中期目標を立てるという結論の先送り
カチャカチャという物音で目を覚ますと、リビングでは宇佐木と深波が朝食をとっていた。
「あ、今日は起きたんだ」と深波がにんまり笑う。
「おはよう、クロ。こっちに来て一緒に食べるかい?」
「……うん」
起きたのか、と乾がキッチンから顔を出す。「待ってろ」と言って五分後、金子の分の朝食を持ってきた。
「宇佐木は学校の先生だっけ」
「ああ。そろそろ家を出ないとな。義文、ごちそうさま」
「おー。片付けておくからそこ置いとけ」
そんなことを言われていたが、宇佐木は皿をキッチンに運んでから鞄を持って「行ってきます」と家を出て行った。
「ミナミは? どこか行くの?」
「見ればわかんだろ」
そう言って深波は学ラン服をちょっと伸ばして見せる。「学校行くんだよ」と言った。
「……宇佐木と同じ学校?」
「違うよ。あの人、高校の先生でしょ。おいらは中学校に行くの!」
皿を空にして、深波は「ごちそうさまでした」と手を合わせる。食器を回収した乾が、「そろそろ行くぞ」と深波を見た。
「乾も学校?」
「乾さんはおいらのこと送ってくれんの。昨日はおいらの家のが送ってくれたけど、いつも乾さんにお願いしてんだ。おいらってば御曹司ってやつだからね」
「たまたまオレが今行ってる現場が、こいつの学校の近くだからな」
「御曹司……? 現場……?」
「オレは警備員で、色んな現場に行く。今は施設警備だ」
身支度をした乾と深波が、「じゃあ行ってくる。そろそろ熊野のこと起こせよ」「じゃあねー。熊野さんのことよろしく!」と言って家を出ていく。ぽつんと残された金子は、トーストをかじりながら考えた。
(同じ家に住んでるから家族だと思ってたけど、もしかして違うのかな……)
口の端についたジャムを舐めながら、腕を組む。この家の人たちの関係性がよくわからない。家族じゃないなら、なんだろう。仕事もバラバラみたいだし。
そんなことを考えていると、ギシギシと階段を下りてくる足音が聞こえた。金子はパッと顔を輝かせ、「熊野さん!」と立ち上がる。
リビングに入ってくる熊野を見て、金子はキラキラした目で駆け寄った。しかしすぐに、「そういえば」とちょっと顔を曇らせる。
「熊野さんはおれのこと、家に帰したいの?」
「……まあ、できれば」
しょんぼりする金子を見て、「ホノカちゃん、だっけ?」と熊野は頭を掻く。
「嫌いなの?」
「嫌いじゃないよ。ホノカちゃんには、ずっと面倒見てもらってたから」
「妹に面倒見てもらってたの?」
「よくわからないけど、たぶんそうだと思う」
「ふうん。ホノカちゃんのことは嫌いじゃないけど、家には帰りたくないんだ?」
「……ちがうから」
「違う?」
金子は俯いて、綺麗なフローリングをじっと見つめた。
「あの部屋にずっといるのはちがうから。あの部屋にいるおれは、間違ってるから」
へえ、と熊野は笑う。「その道が間違っていることはわかるんだ。聡明だね」と金子を褒めた。
「じゃあ、僕のペットになる道は間違ってないの?」
「わからないけど、間違ってたら違う方に行けばいいから」
「なるほどね。選択肢を増やすために踏み台にしたいわけだ」
「あの部屋にいたら、あの部屋しかない。それは間違ってると思う」
「賢い子だ。僕もそう思うよ、かといってここにいることが正解かは別の話だけど」
どこか楽しそうに目を細めた熊野が「そういうスタンスなら僕も協力したいってもんだ。ここまで連れてきた責任があるしね」と言う。
「このままじゃ僕もずっと飯抜きだし、中期的に方向性ってやつを決めようじゃないか」
「中期的?」
「君んちのことはこっちで調べさせてもらう。それで君の身元がわかったとしても、君が帰りたくないってんなら君の意思を尊重する。その間次の君の居場所ってやつを見つけようじゃないか。捨て猫拾ったからには譲渡先を見つけるまで世話をしないとね」
「……つまり?」
「僕は一時的に君の飼い主だ」
よくわからなかったが、「ふーん」と金子は頷く。
「ところで熊野さんはなんの仕事をしてるの?」
「…………」
「えっ……なに、してるの……?」
「テディベア」
「テディベア……」
「テディベアを生業にしている」
「そうなんだ」
ふう、とため息をついた熊野が話題を変えるかのように「牛丼でも食いに行くか」と雨の降る外を眺めた。
*****
「と、いうわけだから」と熊野が言う。「何が?」と純粋な目で深波が訊き返した。
一方で宇佐木は「みなまで言うな」とそれを制す。
「つまり――――てっぺんを狙うんだな? お前の、一輪車で」
「あんた、僕が一輪車乗ってるとこ見たことあるのかよ」
「なかったか?」
「ないよ。そもそも僕が一輪車に乗ったことがないよ、人生で一度も。あんたが一輪車で世界とれよな」
「……? なぜ一輪車で世界を……?」
「シラフであんたと話してると疲れる」
ハッとした様子の深波が「妙だな……?」と顔を上げる。
「まるでシラフじゃない時があるみたいだ……!」
「話進めてもいいかなぁ? 僕がボケたのが悪かったからさ」
呆れた顔で乾が「早く言えよ」と促した。
「ありがと乾ちゃん。愛してる。チュッチュ」
「キショすぎる」
「熊野さんって乾さんには隙あらばウザ絡みするよね」
「隙だらけだぜ、乾ちゃん。僕がいつでもその唇を狙っていることを忘れるな」
「こいつ殺していいか、そろそろ」
「ごめんて。自分の番が来たと思ったら息するようにボケてしまう。病気なんだよ僕らはもう。頼む、乾ちゃんはこちら側に来ないでくれ」
「オレはガン〇ムで行く」
「一輪車の世界大会にガ〇ダムで参戦していいわけないだろ、一輪じゃないんだから」
顔を両手で覆った熊野が「ああ~~~これを楽しいと思えてしまう自分が嫌だ。人間やめてえ~~~」と天を仰ぐ。それからテーブルを叩き、「発表しまーす!!」と強行した。
「金子くんはしばらくうちで面倒見るのでよろしく!!!! 異論は受け付けません!!!!」
宇佐木が拍手し、「よろしくなー」と笑っている。「まあ、宇佐木がいいなら構わんが」と乾はあまり興味なさそうに頬杖をついた。深波だけがむっとして、「別にいいけど立ち位置をハッキリさせてよね。熊野さんのペットならおいらもそういう感じに扱うんだから」と眉根を寄せる。
「僕のペットだから君より立場は上」
「どういうこと????」
「そのままの意味。君の立場は僕のペットより下ってこと」
「キレそう」
男子中学生と喧嘩を始めた熊野を尻目に、「というか本人はいいのか。こんなところでやっていけるのか、お前は」と乾が金子を伺い見る。
金子はにっこり笑い、ここぞとばかりに主張した。
「おれは一輪車乗れるよ。もっとがんばれば世界大会もいけます」
「まあ、大丈夫そうだな」
飯にするか、と乾は立ち上がる。未だ喧嘩をしている熊野と深波を見ながら、「週末には部屋を用意するからな」と宇佐木は微笑んだ。金子はよくわからないながら頷き、『ごはんなに食べさせてくれるんだろうな』と考えていた。
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