風に吹かれて
小原光将=mitsumasa obara
1 風に吹かれて
ついこのあいだ、といっても、半年以上前のことになるけれど、僕は生まれてはじめてレコードショップというものの中にはいった。新潟駅の周辺には何軒かのレコードショップが存在するが、そのうちの三つの店舗を僕たちは時間をかけてめぐったのだ。いま、「僕たち」と書いたけれど、もともと僕個人はレコードに大した思い入れを持っておらず、ではなぜそこに行ったのかというと、ある日(つまり、半年以上前のある日のことだ。)突然女の子に「一緒にレコードショップに行ってくれないか」と頼まれたからだった。
要するにデートの誘いだった。少なくとも僕はそう受け取った。そう受け取らないことには物事は進展しなかったし、もし僕があの日、女の子と一緒にレコードショップをめぐっていなかったら、僕はウチノという男のことなどすっかり忘れたまま、まるで自分が作り物であることを忘れてしまったアンドロイドのようにのうのうと暮らしていたことだろう。
僕と女の子はその日、昼の十一時に越後線の内野駅に集合し、十一時十二分発の各駅停車新潟行きに乗り込んで新潟駅で降りた。万代口の改札を出てすぐに僕たちは古町方面行きのバスに乗り込んだ。ここまでのことは、書くまでもないほどに洗練された手続きで進んだ。その日の予定はすべて女の子のほうが考えてくれていたから、僕はひたすら女の子の後を追っかけていればよかった。僕の中に迷いという感覚が入り込む余地はほとんど残されていなかった。だから僕は彼女のとなりを歩きながら、ほとんど関係ないことを考えているということもできたのだ。たとえば今日はすこし寒いなとか、風が強いねとか。
レコードショップのほとんどは古町、西堀町にあるのだと女の子は言った。確かにあの辺りは時代から取り残されているという感が強い。でもそれは決して悪いことだとは思わない。世の中には、時代に取り残されることによってしか形を保てないものが存在するのだ。たとえばなんだろう。レコードがその最たる例なのかもしれない。
その日は日曜日ということもあってか、バスの車内は混雑していた。僕たちはバスの右側の二人掛けの席に座って、僕たちの後ろには七、八歳くらいの男の子とその父親が二人で座っていた。男の子は窓側にいて、そして僕も窓側にいた。彼らはこれから漫画アニメ情報館に行くらしく、父親のほうは息子の興味を引こうと一生懸命に漫画やアニメの話をしていたが、男の子は新潟の都市景観にこそ興味があるようで、窓に額と鼻をくっつけんばかりに窓外を眺めまわしていた。僕はそれを横目で楽しんでいる。
「古町で降りるのよ。忘れないでね」と女の子は言った。
バスはゆるやかに発進し、駅前を離れた。東大通の緩やかなカーブを抜けて、信濃川を渡ろうというとき、男の子の興奮がよりいっそう高まるのが僕にはわかった。厚ぼったいビルの立ち並ぶなかから抜け出して、我々は川の上に出る。すると、視界は水平線まで一気に突き抜けた。空は白い雲に覆われていたが、水平線はそれらの雲を間断なく吐き続けるくちびるの縁のようだった。雲はあの向こう側から湿気をたっぷりこしらえてやって来るのだ。この橋を歩いて渡るだけではおそらくこの景色の緩急は楽しめないだろう。男の子はそのことを知っている。
「あれが万代島ビル」、僕の後ろで男の子は言った。
「よく知ってるね」と父親は言った。
僕はどれがそれだかわからない。
次に男の子はいった。「入船みなとタワーと山の下みなとタワーも見えたよ」
これには父親も「そうかい」と答えるだけでそれ以上何も言えない。この少年にはいったい何が見えているんだろう。
信濃川も数十秒で渡り終えてしまう。結局男の子が見つけられたビルディングは三つだけだった。しかもそのうちの二つは、苗字の違う兄弟みたいなものだった。遠くまで見通せるということにいったい何の意味があるのだろう。
バスが橋を渡り切る寸前、少年は「レインボータワーは?」と父親に聞いた。「レインボータワーはどこにあるのかな?」
「レインボータワー?」と父親は言った。
レインボータワー? 僕はすこしびっくりする。
レインボータワーのことを僕は知っていた。昔、僕はレインボータワーという塔に登って、そこから景色を眺めたことがあった。そのときの眺めは今でも覚えている。ほんの二三年前のことだ。しかし、レインボータワーがどこにあるのかについて僕は何も知らなかった。レインボータワーから新潟駅が見えたことは覚えている。そしてタワーは万代の方面に立っていたはずだ。なぜなら新幹線が滑っていく線路の向こうに幾重にも連なった山々が見えたのだから。そのときも新潟の空は曇っており、西から風に乗って押し寄せてくる雲の大群は山脈に堰き止められてだまになっていた。山の中腹よりうえは霞に飲まれて見えなかったが、彼らは十分に嶮しい態度を持って、押し寄せる雲に歯止めをかけていることは明らかだった。僕はその光景に多少の抑圧を感じながらも、同時に安心感も抱いていた。
僕は男の子にこの話をしてやりたかった。僕はレインボータワーがどこにあるかは知らないけど、そこから見た景色はすごいものだったよ、と。しかしそれよりも早く、父親が子どもを納得させるためには十分に具体的で簡潔な回答を放った。
「レインボータワーはもうどこにもないんだよ」と彼は言った。「レインボータワーは何年か前に取り壊されちゃったんだよ」
「どうして?」と男の子。
「いらなくなったんだろうね。いらなくなったら立てている意味はないんだよ」
「でも立っているだけでいいじゃん」と男の子は言った。そしてそのまま男の子は思いつくままに何かを話し、必死にレインボータワーを弁護した。彼の使った言葉はコミュニケーションのツールとしてはほとんど不適切な、個人的なものでしかなかったが、僕にはその意味するところがよくわかった。もちろん、そのほとんどはもろい意見に過ぎなかった。しかし気付かされる点もいくつかあった。彼のいわんとしたところを言い換えるとするなら、このようになる。
「人が塔を認識するのはどのようなときか。それは人が塔の外側、とりわけ離れたところにいるときである。人は塔に登って景色を眺めることができるが、そのとき人は景色を見ているのであって塔を見ていないし、見ることもできない。逆にいえば塔を見るためには塔の外側にいなければならない。塔の根元ではだめだ。塔の根元においては塔の根元が見落されるからだ。さらに、人は塔の上にいるとき、『自分は塔の上にいるのだ』とは思わない。なぜなら、塔は高くて怖いからだ。塔の上にいる人は誰も怖がっていない。塔は高くて怖いはずなのに、誰も怖がらないのはおかしい。これは、塔の上にいる人が、自分が塔の上にいるとは思っていないからだ」
ここまででは何が言いたいのかわからないだろう。このあとも、もしかすると訳がわからないかもしれない。
「塔をしっかりと認識するためには、しっかりとその価値を判断するためには、塔から十分離れる必要がある。しかしそのとき塔はとても小さくなっているに違いない。そうなってはじめて、人は塔の全体像を見ることができる。しかしその全体像は小さくなった塔の全体像でしかない。もとの大きさの、等身大の塔の全体像ではないのである。つまり、遠く離れたところから塔を判断しようとするとき、判断するのは小さな全体像であって、そのまんまの塔ではない。小さな全体像と塔そのものは、かたちは似ているけれど、相異なる。かたちが似ていれば同じだと考える人は多いけれど、少なくとも我々(男の子と僕)はそうは考えない。かたちは似ていても違うものは時としてあるのである。よって、塔を認識するということはできない。近くからでも遠くからでも、塔の中にいても、我々は塔についてまったく何も知らないのである」
僕は男の子の話に感動していた。感動していた、というあまりに端的な言い方を避けるなら、心を動かされていた。いや、これも違う。わかりやすい言葉に逃げずに、回りくどくても正確にこの心情を表現するなら、いままでうすうす気づいてはいたが言葉にすることが難しかったことを男の子が言葉にしたために、僕のからだのなかにある透明な何もないような液体の中に結晶ができ上っていくような感覚を覚えたのだった。それはあまりにも静かな喜びだったので、僕以外の何者も、僕が高ぶっていることに気付かなかっただろう。
いうべきことをすべていい終えた男の子は、黙って窓の外を見つめていた。自分のいったことなんてわかってくれなくてもいいし、誰もわかってくれないだろう、という風に。
「たしかにその通りかもしれない」と父親が優しく言った。「でも、レインボータワーが取り壊されてしまったのは、仕方のないことなんだ。お前が生まれるよりもずっと前に大きな地震が起こって、レインボータワーのからだがすこし壊れてしまった。壊れたのはすこしだけど、重要な部分だった。そのまま放っておくと、塔は倒れてくるかもしれない。塔が倒れたら下にいる人たちが大変なことになる。だから仕方なく、レインボータワーを取り壊すことになったんだ。別に誰も、取り壊したくて取り壊したわけじゃない」
男の子は、そうなんだ、とそっけなく答えた。
「世の中には立っているというだけで、誰かを傷つけるかもしれない塔もあるんだ。そういうものを取り壊すのは仕方ないことなんだよ」、父親はまた優しく言った。
バスの中に沈黙が流れたように記憶している。まるでバスの乗客全員がこの親子の会話に耳をそばだてていて、次に男の子が何をいいだすのかを楽しみにしているみたいだった。でも実際にはそんなことを考えていたのは僕だけだった。
そして次に男の子が口に出したのは、
「ネクストニジュウイチ」
目の前にある大きなビルディングをさしてそういった。
「どこでそんなもの覚えて来たんだ?」と父親はきく。男の子はそれにこたえるつもりは毛頭ないらしい。
僕の中に立ち上がりかけていたレインボータワーの概形が、すっと消え失せていくのが僕にはわかった。さっき僕はレインボータワーのことを知っていると書いたけれど、やはりまったくもって知らなかったのだ。男の子の論に従ってもそういえるだろう。また僕は、レインボータワーの偽物の像さえも思い浮かべられなかった。
「ボタンを押して」と隣に座っていた女の子が僕にささやいた。
そうだ、僕はこの女の子とデートしているのだった。
どうやらバスは古町に到着するらしい。料金を表示するLED掲示板の零番目の数字が210に切り替わった。僕はボタンを一回だけ慎重に押した。二分も経たないうちに僕たちは古町に降り立ち、三軒のレコードショップを回って、けっきょく彼女は四枚のLPを買うことになるのだった。そしてそのうちの、あるLPのA面の五番目に収録された曲が、僕に六年前のことを思い出させた。
ところで、レインボータワーというからには、それは七色に色付けされていたのだろうか?
今、この文章を書いている時点からちょうど六年前、僕たちは高校二年生だった。高校生活の半分を終えて、残りの後半戦に向けてやや辟易しながら立ち上がった九月の中ごろのことだ。僕のクラスにはウチノという男がいた。さしあたって交友関係の広くなかった僕が学校で唯一気の許せる相手がそいつだった。
ウチノはほとんどの側面で普通の男だった。毎朝学校には遅刻せずにちゃんと来るし、昼食に食べるのは学食のパンか誰かの手製の弁当で、高校の近くの平均的な立地のアパートに四人家族で住んでいた。授業中に教師に質問されても平均的な回答を与えるし、友人が多すぎるわけでも少なすぎるわけでもなかった。少なくとも十人くらいは互いに気兼ねなく話しかけあえる友人を持っており(その十人のうち一人が僕だった)、特別誰かと敵対することもなく、生活は至って平穏な感じで、こんなシナリオをテレビドラマの脚本として持ち込んだら一目見ただけで机に投げ出されて追っ払われてしまいそうな常人的な個性を持っていた。背は僕よりもすこし高く、体はだいたいの日本人がそうであるように太っていない。得意教科が何だったかは思い出せない。
ウチノの、人よりも大きく異質だった点を、僕はひとつ知っている。ウチノの好きな食べ物はガムだった。これを知ったのは彼と仲良くなってからだいぶたったときのことで、どうしてそれまでいつもウチノがガムを食べている(あるいは噛んでいる)ことに気付かなかったのだろうと驚いたものだ。僕が何かの拍子に、
「おまえの好きな食べ物は?」と聞いたのだった。
「――ガム」と内野は答えた。
「ガム?」
「そう、ガム」
「おまえはガムを食べ物だと考えているのか?」
「そうだけど」とウチノは言う。「ガムは食べ物だよ。ほら口の中に入れるじゃないか」
「口の中に入れるものが食べ物なんだとしたら、歯磨き粉だって食べ物になるじゃないか。でもそんなのおかしいだろ?」
「ガムと歯磨き粉は明確に違う。歯磨き粉は一定の時間のあとで吐き出すことを前提としている。でもガムはいつまでたっても吐きださないかもしれない」
「ガムだって味がしなくなったら吐きだすさ」
「――甘いね」とウチノは言った。
これ以上この議論について書いても紙幅の無駄なのでやめにしておく。とにかく彼の好物はガムで、いつ見てもガムを噛んでいた。右の会話をしている時だってずっと噛んでいたのだ。
彼は自分がどれだけガムを噛んでいるか、そしてその正当性について細かく僕に語って聞かせた。
キシリトール・ガムの製品表示の隣にはこのようなことが書いてある。一日の摂取目安として、一回に二粒を五分間噛み、一日七回これを行うことを推奨します、と。ちなみに、どこにでも売っているキシリトール・ガムの棒状の袋の中にはちょうど十四個のガムが入っている。要は、一日一本これを消費し、三百六十五日続けろよ、という企業からの指示なのだ。ウチノはこの指示に律儀に従っていた。一本百円とするなら、それだけで三万六千五百円の支出となる。ウチノのような奇特な人間が世界に百人でもいれば、年間三百六十五万円の利益となる。
思わず、僕もガムを作ろうかなあという気になってしまう。
「でもどうしてそうまでしてまで歯を大切にするんだ? 別にガムを噛まなくても歯は守れるだろう。しかもおそらくその指示は、企業が儲けるために過剰に設定してあると思うよ」
「歯を守りたいからじゃない。噛むのが好きなんだよ」と彼は言った。「噛んでいると集中できる。野球選手みたいに。それに常に口の中が空っぽじゃない。もの寂しくないんだ」
「ということは、おまえは毎日三十五分間、一日の約二パーセントのあいだ、ガムを噛んでいるわけか」
「――甘いね。一回につき、三十分から一時間だよ」
ウチノにもまったくもって普通ではない側面が存在したのだ。
これはあとからまた明らかになったことなのだが、ウチノがガムを噛んで捨てるとき、それは必ず元の銀の包み紙に捨てなければならないのだという。一度に二個噛み始めるから、包み紙は二枚ある。ウチノはその二枚ともを使ってガムを完璧に包み込んでごみ箱に捨てる。だから彼の手元に残るのは容量が二個分減ったキシリトール・ガムの袋だけなのだ。
そんなことにいちいち気を使って生きるのは、窮屈じゃないのか? とぼくは訊いた。
「それはキリスト教徒にキリストを信じるのは窮屈じゃないのか、ときくのと同じことだよ」と彼は言った。「人は常にどこかしら生きることに窮屈を感じているものだけど、今の時代、自分の好きな、窮屈な生き方を選ぶことができるんだから」
「お前が選んだのは、ガムを毎日七時間噛んで、二枚の包み紙に完璧に包み込んで捨てる生き方なのか」
うん、と屈託なく彼は言った。
「俺にも一つくれないか?」と僕が言うと、
「自分で手に入れろよ」とウチノは言った。
ここまでがウチノという男の紹介であって、本題は次のことである。先に書いたことではあるけれど、これは六年前の九月、僕たちが高校二年生のときの話になる。僕たちは修学旅行で東京に出かけていた。裏日本の雪国で育った人間の典型として、僕たちは表日本、とりわけ関東というところを南国かどこかのように夢想しているところがあった。残暑の新潟から旅立った僕らは(僕たちの学年は、という意味だが)、新潟とは正反対の寒気に包まれた東京駅に放り出されて、一斉に肌に寒イボを浮かび上がらせた。たまたま僕たちが訪れたのが、関東が夏から秋に切り替わる境目のころで、そういうアンビバレントな季節は新潟には存在しないのだった。新潟の季節は夏から冬へ一足飛びに切り替わる。僕たちに欠けていた想定は、秋の存在、あるいは夏と秋の境界の存在だった。
僕たちの学年のほとんどが薄着で東京にやってきたのに対して、ウチノだけが丈の長いコートを羽織っていた。風が防げる程度の薄っぺらなものだが、東京をやり過ごすには十分だった。ウチノはコートのポケットに両手を突っ込んで、肩を縮こませて、ガムを噛みながらすたすたと歩く。気取っているように見えて、自然体なのだ。修学旅行中の彼には、普段とは違う奥行きのようなものがあった。
彼はどこにいっても自分の戒律を守っていた。移動するバスの中、新宿駅の雑踏の中、明治神宮の参道の上でも、つねにガムを噛んでポケットの中の包み紙を握りしめていた。こんな男を神様が見たらなんて言うだろう。ガムの神様として新しく認めてくれるかもしれない。ガムの神様はガムの包み紙を失くしてしまった人の前に現れて、新しい包み紙を授けるのだ。そうすればいくらか東京の街並みもきれいになるだろう。
東京での四日間のうち、もっとも冷え込んだのが三日目の夜で、僕たちのクラスは東京タワーに登るために長いエスカレーターの列に並んでいた。列の中には、ほかの学校の生徒の姿も見えた。彼らはちゃんとみんなあたたかい格好をしていた(たぶん南からやってきたのだ)。僕たちと言えば、虚空を見つめるような目で東京タワーを見上げている。寒さを我慢してまで見る東京の景色にどの程度の価値があるのだろうか、と考えていた。でも、価値がないとも言い切れない。
クラスの何人かが列から抜け出して、近くのスターバックスでコーヒーを買って来よう、と言い出した。全員分買ってきて、それで何とか寒さをしのごう、という魂胆だった。賛成はすぐに得られた。旅のしおり的には脱法に近いのだが、この場合やむなしという意見が多かった。それを最初に言いだしたのが、クラスでよく目立っている背の低い女の子で、本質の問題よりも皮相の問題に目を向けることが多い人格だった。より端的に言えば、実際的なのだった。とはいえ、スターバックスのコーヒーを飲んで実際に温まることができるかどうかはよくわからないけれど。
十人くらいが代表してコーヒーを買いに行くことになった。そのときにウチノがコートを着ていて暖かそうだというのが見抜かれて、お前も来い、ということになった。「あったかそうなんだから、来い」である。ウチノは構わないよと言って遠征隊に加わった。彼は古くなったガムを包み紙に慎重に吐き出し、コートの右のポケットからキシリトールの棒を出してガムを二粒出し、包み紙を剥いでそれをむしゃむしゃと噛み始めた。二枚の包み紙は左側のポケットに入れた。そして両手は両ポケットに収める。女の子たちが、クラスメートのそれぞれに何が飲みたいかを聞きだしていくが、だいたいカフェラテとかホットコーヒーに落ち着く。抹茶クリームフラペチーノを頼んだあほが一人いたが、それも結局カフェラテにされた。コーヒーが飲めないものは紅茶になった。僕はココアを頼み、あっさりと受け入れられた。金はあとで回収するらしい。彼らはちょっと誇らしげにスターバックスに向けて歩いていった。
ライトアップされた東京タワーを見上げると、首筋に冷たい空気がなだれこんでくる。それまで僕は東京タワーを赤色だと思っていたが、実際はオレンジ色に近かった。写真や映像で見たすがたは実物とはどこか違っていたのだ。僕は本物を真下から見ることによって、東京タワーを理解した気になっていた。東京タワーを理解することによって、東京、ひいては日本の表側のことを理解した気になっていた。
東京には無数の光がある。その数は人間の目に見ることのできる星の数より多いのかもしれない。光は等間隔に一定の明るさで並んでいる。その光の出どころには必ず人がいて、彼らはみんな画一化されているから、どれか一つの状況を知ってしまえば、全体を理解することができる。すべての電球が電流を原因として光るように、東京のすべての光は、何かしら一つの原因を背景として光っている。そしてその原因は黒ずんだコンクリートやアスファルトの中にあるのだ。僕たちは自然と光に目を向けがちだけれど、むしろ光っていない部分に目を向けることも重要なのではないだろうか。そんな風に僕は考えた。注文したスターバックスのココアが運ばれてくるまでのあいだに。
スターバックスのコーヒーカップを抱えたクラスメートがすこしずつ帰ってきた。提供された順番に持ってきているのだった。彼らが震えながら持ってきたコーヒーはとんでもなく熱いらしい。抹茶クリームフラペチーノを頼んだあほは猫舌だったようで、ひどいやけどを負った。コーヒーを受け取った人は飲もうと思っても飲めずに、ただ手を温めるのに使った。
クラスの雰囲気がすこし良くなっていくのが分かった。それまでみんなして黙然と東京タワーを見上げていたのが、地上に視線を落とすようになり、目が合った仲間ととにかくなんでも、普段学校で話すような当たり前のことを話すようになった。両手で包むように持ったコーヒーからは白い湯気が立ちのぼり、みんなはその湯気越しに、誰かと話をしている。湯気は何食わぬ顔でひととひととの間をぼあぼあと流れていく。感じていた寒さはどこかに消えていた。
ウチノが帰ってきたのは、一番最後だった。彼は最初にこの案を言い出した背の低い女の子とふたりで歩いていた。が、着ていたはずのコートがどこかに消えていた。ウチノは制服のスラックスとワイシャツという出で立ちで、それはすこし幼く見えた。よく見ると、ウチノのコートは、背の低い女の子が着ていた。しかし、ウチノのコートは、その女の子に着せるにはあまりにも大きすぎた。コートの裾が地面にこすれるかこすれないかのところで揺らめいていた。
女の子はカフェラテを三杯持っていて、ウチノはココアと自分のぶんのカフェラテを持っていた。ウチノはまっすぐこちらに近づいて来て、僕にココアを渡した。女の子は別のグループの中に入っていった。
「ありがとう」と僕は言った。「めちゃめちゃ熱いじゃないか」
「いちばん最後に頼んだからね」とウチノは言った。「たぶんこれは、彼女が今まで下した中でもっともすぐれた決断だよ」
「これ?」
ウチノはガムを口に含んだまま、ホットコーヒーを静かにすすった。
僕がココアを飲み終えるころに行列を抜けることができた。我々はエレベータに乗り込んで東京タワーの展望台に上がった。エレベータの扉が開いてまず目に入ったのは濃紺のスカイラインだった。それが視界の端から端までずっと伸びている。クラスメートは散りぢりになり、自分のみたい角度から東京を眺めはじめた。でも、どの角度から眺めても東京は同じだった。東京の地上は晴れていた。空も晴れていた。ここには晴れしか存在しないのだった。それを俯瞰することによって、僕たちのこころは日常の中にあった。
個人的な話をすれば、僕はさきほどの考え、つまり東京の光は何かを原因として輝いているということに確信を持った――持ってしまった。展望台はまったく新しい観点であった。そこにいる限り何もかも分かってしまいそうな感覚にとらわれて、さらにその感覚は多幸感とともにやってきたものだから、しばらくそこから抜け出せそうになかった。
僕は振り返って、展望台の中を見た。人群の中にクラスメートがちらほらと見える。背の低い女の子はすぐに見つかった。一人だけコートを着ていたからだ。しかも明らかに丈があっていない。まるで、日のあたたかさを目いっぱい吸い込んだ洗濯物の中に潜り込んだいたずらな子犬みたいだった。彼女は両手をポケットにつっこんで、コートの前をぴったり閉じていた。彼女は展望台の内側にいて、あまり景色を見ようとはしていなかった。
ウチノはひとり、手すりに寄りかかって北西の方角をながめていた。僕が近づいていくと、彼は手すりに背をもたせて、僕に向き直った。
「感傷的になってるのか」と僕は訊いた。
「なってるよ。旅の醍醐味だから」
金言めいたことを言う。
「どうしてコートを貸そうと思ったんだ?」
「なんだよ急に。今は明治や大正じゃないんだよ」
「僕はけっこう古めかしい性格をしてるんだよ。……ほら、ボブ・ディランとか好きだし」と僕は言う。「それで、どうしてだ?」
「寒そうにしていたから。ただそれだけ」
ウチノはもう一度向き直って、手すりに両手を乗せた。空には飛行船が浮かんでいて、自分で自分のからだをライトアップしている。からだには大企業の広告がのっている。
「関東はどうしてこんなに風が弱いんだろう。新潟と比べてっていう話だけど」
「単なる地理の問題だろ。まあ、よく知らないけど」
ウチノは何も言わなかった。自分の求めていた回答がえられなかったことに拗ねたように、ぐっと口を閉ざしていた。
僕は言った。
「まあ確かに不思議だよな。新潟ではとくに嵐ともいわれないのに、風に吹かれて飛んでいきそうになる時がある。明らかに不公平だ。風っていうのはもっと平等に吹くべきだよ」
「それには同感できる」
「悪党に襲われて自分の来ているものがひっぺがされるような気分だよ。お前が着ていたみたいなコートだと、風が内側に入り込んで外側に向かって吹き抜けるから、そのうち風船みたいに浮き上がっていくんじゃないかって気がする」
「確かに」
「あの背の低い女の子だったら、ほんとに飛ばされるかもね」
「そうだな」
「もしも本当にそうなったらどうする?」
「人が風に飛ばされたら」
「彼女が風に飛ばされたら」
「そしたら僕は、コートを貸したことに関して責任を追及されないように必死に弁明するよ。悪意でコートを貸したんじゃないって」
「あくまで過失である、と」
「過失? この場合は過失になるのか?」
「だってすこし想像すればわかるだろ。コートを貸したら彼女は飛んでいっちゃうって」
ウチノはしかたなく苦笑した風だった。
地上に帰る時間が来た。我々はエレベータに乗せられて、地上に戻った。空に浮かんでいた飛行船はビルの影に隠れてしまった。
我々はホテルに戻るバスに向かってすこしの距離を歩いた。僕はウチノの隣をあるいていたのだが、そのとき、あの背の低い女の子が近づいて来て、
「ありがとう。あたたかかったよ」と、ウチノにコートを手渡した。
ウチノは手渡されたコートをしばらくのあいだじっと見つめていた。どうやら女の子は風に飛ばされなかったらしい。ウチノに渡してしまうと、早足で前方に歩いていった。彼女のからだはすごく小さくみえた。
ウチノはコートを羽織って、ポケットの中に両手を入れた。さっきまでの感傷的でありながらクールな印象は消え去り、いつもどおりの普通の側面をたくさんもったウチノに戻っていた。
バスの中で僕はすこしのあいだ眠った。大きな動物のいびきのような、低く重たいエンジンの音がここちよかったのだ。体重をふかく座席に持たせかけると、体の中心を走る血管までがぶるぶると震えていた。ほかのクラスメートも三日にわたる旅の日程に疲れてきているようすで、水をかければすぐに溶けてなくなってしまいそうな内容のことしか話さなかった。僕はその中で短い眠りについた。
ホテルについたとき、僕はウチノの異変に気付いた。彼はホテルのラウンジで立ち竦んで、大理石の床を、化石をさがすかのように見つめていた。ウチノの前にまわりこんで彼の顔をのぞきこむと、そこには憔悴しきった、青白い色が見えた。
僕は彼の腕をつかんでゆすぶった。
「どうしたんだ」と問うと、
「包み紙がなくなった」と言った。
「包み紙? ガムの包み紙か」
「あれがないとダメだ」
僕はほんの一瞬だけ、こいつがふざけていることを疑った。でも、彼の顔には正真正銘の焦りが、隠そうともせずに現れていた。ウチノが多くを説明しようとしないのもそのためだった。
彼は東京タワーの下で二枚の銀紙をコートのポケットにしまったのだ。それは間違いない。僕が見ている。その後スターバックスに行って、帰って来るときには背の低い女の子にコートを貸していた。それからしばらくのあいだ、ずっと彼女はコートを着て、ポケットの中に手を突っ込んでいた。犯人(という言い方はおかしいかもしれないが)は間違いなく彼女だ。そしてたぶん彼女は、包み紙をくすねたわけではない。善意でもって、どこかのごみ箱に捨てていったのだろう。ウチノはそのことにすでに気付いている。彼がこのとき考えていたことは、彼女はどこのごみ箱に包み紙を捨てたのか、ということだった。
僕はウチノの考えていることがわかった。かりにいまから彼女を捕まえて、包み紙を捨てたごみ箱を吐かせたとしても、今からそこに行くことはできないし、ごみはすでに回収され、もはや燃やされてしまっているかもしれない。だから、もう彼女は無関係なのだ。彼女は原因を作った張本人ではあるが、責めることはできない。第一の選択肢として、諦める、というのがある。でもウチノはそれを考えない。あの包み紙に今噛んでいるガムを捨てることが、彼の行動規範だからだ。諦めた瞬間に彼はいまの彼ではなくなる。
僕はウチノに、ここで考えていても仕方がないから、自分の部屋に戻って、椅子に座ってゆっくり考えるんだ、と言った。ウチノはすなおに従って、ラウンジの奥へと入っていった。足取りはまだ平常だった。
焦っていたのは僕も同じだったが、ウチノと違っていたのは、本物の包み紙を見つけ出そうとは考えなかったところだ。僕はホテルの売店に入って彼がいつも噛んでいるのと同じキシリトール・ガムを買った。そして、ガムを二粒出し、包み紙を剥ぎ、ガムを口の中に放り込んだ。なかなかうまいじゃないか、と僕は思う。あいつがハマるのもわかる気がする。僕は銀の包み紙を握りしめて、僕たちが帰ってきたバスのところに引き返した。運転手とバスガイドがまだそこに残って話をしていた。運転手のほうは煙草を吸っている。
これがたぶん、僕がいままで下した中でもっともすぐれた決断だった。
翌朝、ウチノは何事もなかったかのように朝食のビュッフェに現れて、スクランブルエッグと厚切りのベーコン、トマトとレタスのサラダ、オレンジジュース、杏仁豆腐を食べた。それからなぜかコンビニでフライドチキンを買ってきて、それも食べた。
我々は十時にホテルをチェックアウトして、最後の観光へと向かった。渋谷のセンター街にはタピオカミルクティの専門店がたくさんあって、ウチノはそのうちの一つを食べた。それから秋葉原へ行ったときにはとんこつラーメンを食い、その直後に昼食として半地下の狭苦しいテナントに入っている洋食店でデミグラスソースのかかったオムライスを食べた。昼過ぎにはアイスを食って、三時ごろには牛タンの串焼きを食っていた。そして四時頃に我々は東京駅に集合し、新幹線に乗って新潟に帰った。その車内でウチノは鱒寿司を食っていた。そして、食事と食事とのあいだにウチノはこれまで通りガムを噛んでいた。もう包み紙を失くさないように自分の財布の中にしまっていた。越後湯沢から新潟までの区間を、彼は時間をかけて慎重にガムを噛んだ。それがその日の、七回目の摂取だった。
僕はあの日の夜、バスガイドにこんなお願いをしたのだった。
一日の業務を終えてバスの中の掃除をしていたら、座席と座席のすき間からガムの包み紙のようなものが出てきた。普通だったら黙って捨てるところだが、これは修学旅行であって、いわば学びの時間でもあるのだ。だから、誤りであったとしてもバスの中にごみを忘れて帰るのはよいことではない。この紙が見つかったのはちょうどあなたが座っていた席だから、あなたのところに来たわけだが、心当たりはあるか。別にこちらは怒ってはいないし、大した問題だとは思わないが、いちおう、学びのためとしてこれを渡さなければならない。以上のようなことを言って、ウチノにこの包み紙を渡してくれないか、と僕はガムを噛みながら言った。
「それはあなたからウチノくんへのいたずらってことですか」
「いたずらではなく、本気なんです。ウチノに、これが本物の包み紙だと思わせないといけないんです」
「本物っていうのはどういうことですか」
「ぜんぶを説明するのは難しいんですが、本物の包み紙というものが、いま、この世のどこかに存在していて、僕の友だちはそれを必要としているんです。でも、それは本物じゃなくてもいいんです。重要なのは、ウチノがこれを本物だと思うことなんです。ウソがばれたら、たぶん大変なことになります。僕は絶交されるかもしれないですし、ウチノはショックで死ぬかもしれない」
「それはまずいですね」とバスガイドは言った。
「ウチノは間違いなくこれを受け取ります。そしたらもう大丈夫です。心配いりません」
僕は必要ならお金も払うとまで言った。バスガイドはそれを拒んで、とにかく指示通りのことを言って包み紙を渡せばいいんですね、とホテルの中に入っていった。そのあいだ僕はバスの目の前に立っていたのだが、運転手が煙草を吸いながら僕のことをじっと見つめていた。
ものの数分でバスガイドは戻ってきた。彼女は「ウチノ君は飛びつくように受け取ってくれましたが、いったいあれはどういう儀式なんですか」ときいてきたので、「疑似的な禊ぎです」と、てきとうに答えた。
ウチノにはこのバスガイドが、ガムの神様に見えたのだろうか。
修学旅行の後も、ウチノはガムを噛み続けた。ガムは完全にウチノの日常と化して、彼の内面にまで食い込んでいた。
ときどき僕は、ガムを噛んでいるウチノを見て、いまだにあの日のガムを噛みつづけているんじゃないかと考えることがあった。僕に騙されたことを察し、バスガイドに貰った包み紙は無視したのだと。そういうときの彼はすこし物憂げに見えた。その顔には、咀嚼しているからかもしれないが、何かを苦々しく噛みしめた表情が浮かんでいた。彼は丈の長いコートを着て、ポケットに両手をおさめ、すたすたと早足で歩いていた。
僕がこのエピソードを思い出したのは、たんに女の子が買ったLPに入っていた五番目の曲のせいだけではない。そのまえに、バスの中で僕の後ろに座った男の子がレインボータワーのことを話したことも関係している。
高校を卒業した春、僕とウチノはレインボータワーに登っていた。僕は新潟の大学に進学し、あの背の低い女の子は東京のちょっと有名な商社に就職した。ウチノの進路はまだ決まっていなかった。
どのようなことの成り行きでレインボータワーに登ることになったのかはよく覚えていないが、彼は展望台の上でずっと、日本を縦に分断し内と外とに隔てた山脈をながめていた。海風が激しく吹き荒れて、展望台の窓ガラスをがたがたと揺らしている。雲は大挙して東に向かっていくが、山を越えるころにはそれは雲ではなくなっている。まるで除湿機のフィルターのように山々は水分を吸い取ってしまう。乾いた風だけがそこを抜け出ることができる。
足元で上越新幹線が南へとゆっくり滑り出していった。
僕は、ウチノに今後どうするのかを訊きだしたかった。でもその問い掛けは残酷さもいくらか含んでいた。彼はそのような質問に冗談めかして答えられるような人間ではなかったし、彼が突然戯画的な態度でものを語り出したら僕だって困惑しただろう。僕はしばしば、眼に見える大きな建物を指さして、あれは何の建物だろう、と彼に聞いた。彼は答えられたり、答えられなかったりした。
ウチノは進路に迷ったり行き詰ったりしていたわけではなく、純粋にいかなる選択も行わなかったのだ。あるいは傍目からはわからないだけで、どこかでこっそり自分だけの選択を行っていたのかもしれない。仮にそうなのだとしたら、彼のこれからやろうとしていることはなんとなくわかっていた。
彼は新潟ではないどこか別の場所に行こうとしている。僕はそう思った。
「たとえば五年後でも十年後でも、この町がどういう風に変わっていくか想像したことはあるか」と僕は訊いた。
「ないね。都市や風景にはあまり興味がないから」
「興味がないっていうのは美しさがわからないっていうことか?」
「そうじゃない」とウチノは言った。「景色を美しいと思うことはよくあるけれど、そういうのって美しい側面を切り取っただけなんじゃないかって、そう思ってしまうんだよ。本物と形がよく似ているものに人はよく騙されるだろう。偽札をつかまされたり、バンクシーにそっくりな絵を本物だと思い込んで、展覧会を開いちゃう女とかさ」
彼の言いたいことはなんとなくわかった。でもウチノの考えていることをはっきりと掴めたといった感覚は得られなかった。そして、いまではそれがあの男の子が言っていたのと同じことのように思える。ウチノと男の子とのあいだで異なる点と言えば、風に揺られて、つかみどころがないところだった。
彼はまたガムを噛んでいた。修学旅行のあの日に、自分が守ってきた行動規則の繋がりが途切れてしまっていたことを彼は知らない。僕はウチノにあのことをきちんと打ち明けて、謝ったほうがいいのかもしれなかった。謝れば、彼が日頃噛みしめている苦々しい何かを消し去れるような気がした。僕はおそらく言うべきだったのだ。だけど結局言わなかった。
あるいは今から考えれば僕はこうも言えたはずだ。塔はあらゆる判断から免れるのだ、と。つまり塔が立っているというだけで救われる人間もいるのだ、と。もちろんだれかを傷つけてしまうこともあるけれど。
僕たちは塔から降りてすぐに別れた。僕は白山神社に、ウチノは新潟駅に向かって歩いていった。彼はその日も修学旅行に着ていたのと同じコートを着ており、彼のからだを吹き抜ける風がコートの内側にもぐりこんで背中の布を大きく孕ませている。風に吹かれて飛んでいきそうな後ろ姿は、新潟の大地にちゃんととどまっていた。
白山神社の桜並木は満開で、風に振り落とされた花びらは境内の石畳の上で渦巻いている。風は花を玩んでいるようだった。僕の足元の花びらが、地面をころころと転がっていったかと思うと、軽くふいた風にさらわれて、瞬間のうちに消え失せた。アスファルトの上には踏み固められた桜の花が、うすい水玉模様を描いていた。
僕が女の子と一緒に訪れたレコードショップの一つ目は、東南アジアやアフリカの少数民族の音楽(ほとんどが打楽器に関するもの)をあつかう店だった。店内にはおそらくアフリカの部族のところに訪れて録音したものであろうレコードが流れていて、僕たちはその雰囲気にすこし気圧された感があった。一般的なレコードショップのイメージというものは、気取っていて、すこしおしゃれで、かなり排他的なものなのだ。でも、そこはおしゃれでもなかったし、気取ってもいなかった。排他的ではなかったが、居心地が悪かった。僕はせっかく訪れたのに何も買わずに帰るのは申し訳ない気がしたので、ダラー・ブランドのアフリカン・ピアノを買った。
二軒目に訪れたレコードショップについて書くことはほとんどない。そこはまあありきたりというか、今かいたように、気取っていてすこしおしゃれでかなり排他的な店だった。僕たちはそこを十分で出て行った。
最後に訪れた店は全国展開されたチェーン店で、レコードに限らず、管楽器やギター、オーディオ機器も売っていた。店の奥の方が中古のレコードの売り場になっていて、試し聴きができるようにレコードプレーヤーが置いてあった。僕は何が欲しいというのでもなかったのだが、一枚一枚レコードをめくってはジャケットをながめていた。品ぞろえは他の店とはくらべものにはならなかった。僕はアメリカンロックのコーナーをよく見ていたが、聞いたことがないような名前のバンドばかりだった。
女の子はレコードプレーヤーの前に座りヘッドホンをつけて、レコードを聴いていた。僕は彼女のほうに歩いていって、真横に立った。彼女は僕に気付かなかった。僕は歩きまわって疲れ切っていたし、バスの中で聞いた男の子のことばが頭の中でこだましていた。
女の子が顔を上げて僕が隣にいるのに気づくとヘッドホンを取ってにっこりと笑った。
「何を聞いてるの」と僕がきくと、
「ボブ・ディランの、風に吹かれて」と答えた。
レコードの針はA面の最後の曲の上を滑っていく。僕はその曲のメロディを思い出すのに、すこしばかりの時間が要った。
了
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