第参部 第五話 堕ちる
「謙信様は、地下納骨堂にいらっしゃいます。…とても気が立っておられるようで、誰も近づけないと……」
「……分かった。俺が話を聞くから、お前たちは休んでいろ。…クマが酷いぞ。あまり眠れていないだろう」
「ハッ……うぐっ、う……申し訳ありません、兼続様…本当に、申し訳……ありません…!!」
「…顔を上げろ。お前たちは何も悪くない。……それに、まだ確定したわけじゃないんだ。気を強く持て!…あいつだって、そう言うだろうさ」
高楼に降り積もった雪が、バササッと音を立てて落下した。
羽織りの間を抜けるのは、骨の芯まで凍てつかせるような寒風。
つい数ヶ月前までは活気に満ちていたこの御靖城も、今では耳が痛くなるような静寂に包まれている。
身震いするような十二月上旬の寒さに、兼続は思わず背中を丸めた。
突然の休戦、その翌日に寺野高地を離れてから、すでに一月が経過している。
本来なら、休戦後の後処理や死傷者の正確な把握など、総大将としてのやるべき作業が山積みであるはずの兼続である。
ではそんな彼が、どうして本国越後の本拠地、御靖へと帰国しているのか。
その答えを知る者は、ドス黒いクマの刻まれた右目を瞬かせ、ゆっくりと口を開いた。
「……死体が見つかった。死後20日と少し。……腐敗が進んでいて明確に本人だと断定はできないが、衣服と背格好からして…ほぼ間違いない」
その、言葉に。
眼前の男——謙信と同じく満身創痍の兼続は、膝から崩れ落ちた。
ひと月前。
休戦の報せを伝えに来た伝者から、兼続とその側近数名にのみもたらされた理外の凶報。
きっと誤報であると、ただその一念だけを心の支えにこの一月を過ごしてきた。
その”拠り所”が、たった今。
彼が最も信頼している人間の言葉で、完全に打ち砕かれた。
「ほっ、本当に……そうですか。…そう、ですか」
言葉が出ない。思考がまとまらない。
視界が、グルグルと巡るようだ。
今日この場所に呼ばれた時点で、ある程度の覚悟はしていた。
しかし、まさか本当に。
呆然と床を見つめるしかできない兼続の、力無く落ちた肩をがっしりと掴んで。
上杉謙信は、低く落ち着いた声で言い放つ。
「顔を上げろ、兼続。……すぐに軍議を開く。今度こそ、完全に断ち切るぞ。…亡霊との因縁を」
納骨堂に深い影を落とす、松明のかがり火。
薄明かりに照らされて、龍の隻眼が妖艶に光る。
一片の光もない漆黒の瞳、その奥でとぐろを巻く、決して消えない憎悪とともに。
この時代の日本では珍しい、一国が同じく一国を相手取った年単位での大攻勢。
第一次・陸奥越後大戦の顛末は、その希少性からか歴史書に大きく取り上げられている。
曰く、越後は三万から四万の軍勢を興して陸奥を攻めた。
ただでさえ国力が下火になっている陸奥に、これを迎え撃つ余裕などない。
大戦のペースは中盤まで終始越後が握り、前線での迎撃では早々に敗戦すると悟った陸奥は、とある作戦に出た。
持ち前の広大な国土と東北地方ならではの山間地の多さを活かした、持久力頼みの人海戦術である。
これなら、北方戦線に多く戦力を割かなければならない陸奥でも、充分越後に対応できる。
と、思われていた。
しかしそんな起死回生の戦術ですら、越後軍を率いたこの武将には通じなかった。
北畠義銘。
彼と彼の私兵たちは、行手を阻む陸奥兵を蹂躙し、わずか一年足らずでその領土を大いに削り取った。
勢いそのままに進撃する越後軍は、ついに陸奥国最後にして最強の砦、奥羽山脈攻略へと入った。
その時点で、越後側の残存戦力は少なくとも二万五千ほどだったとされている。
対する陸奥国の西部防衛線はすでにズタボロになっており、これを迎え撃ったのはたったの二万。
結果は当然、越後軍の圧勝——と、本来ならそうなるはずであった。
実際この当時、有能な武将が悉く敗れ去った陸奥国西部軍にはもう、義銘の猛攻を止める手立てなど残ってはいなかった。
そう、西部軍には。
しかし別の歴史書、というより伊達氏の軍事記録を記した文献には。
奥羽山脈攻略戦が始まるわずか数日前、北方戦線から——北で勢力を伸ばしていた周辺諸国と、北方大陸の異民族である蝦夷との壮絶な激戦地から、”悪鬼”が西部戦線へ参戦したと記されている。
悪鬼とは、伊達軍きっての智将とされていたとある男の二つ名。
伊達時宗。
その優秀すぎる頭脳と”武士道精神”に基づく非道な戦い方から、危険人物として中央から遠ざけられた武将であり。
かつて、影虎が婿養子として陸奥にいた二年、彼の軍事面での養育係を務めた男だ。
そして因縁深い両国の大戦、暗雲渦巻くその最終決戦とされた奥羽山脈攻略戦の顛末は、歴史書にはわずか数行でこう記されていた。
陸奥破越後。
越後御大将死。
陸奥は奥羽山脈で越後を破った。
越後の総大将であった北畠義銘は、その戦いで戦死した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます