第壱部 第九話 老兵の懐古

さて、どこから話せばいいか。

記憶の断片を繋ぎながら、落ちていく意識の中で忠重は考える。


我が主人である輝虎様とその弟君の影虎様は、父君である為景様の遺言どおり、平等に愛を受けて育った。

後見人として、為景様と懇意にされていた関東管領の上杉様がお二人の面倒を見ることで話は進み、この時代の武家に生まれた双子としてはかなり順風満帆の人生を送ると思われた。


お二人はいつも一緒で、容姿も瓜二つ。輝虎様は今は眼帯で隠されているが左目が炎のように赤く、その影響か極度の弱視だった。違いといえばそれくらいのもの。

お二人とも、その剣技や軍略の才は幼い頃からずば抜けており、高名な僧侶は彼らを毘沙門天の生まれ変わりとまで言うほどだった。

しかしそんなお二人にも、成長するにつれて少しずつ違いが見え始めた。

一つは、わずかに輝虎様の方が影虎様よりも剣技の才に秀でていたのだ。そのなによりの証拠として……影虎様は、日輪を体得できなかった。


何日も、何ヶ月も。

手にできたマメが潰れ、さらにその上からマメができるほど修練されていたのに。

一方の輝虎様は齢九つにして日輪を習得し、そこから次々に独自の技を派生させていった。これは歴代の日輪習得者の中でも間違いなく史上最年少。

まさしく、神に選ばれた才能の持ち主である。


これに対して影虎様が体得できたのは、集団戦を想定して作られた日輪とは対極の抜刀術。対将のみに有効な剣技だ。


影虎様はこれを日輪と対を成す技、月光と名付けた。

が、将は後方で指揮を取るのが当たり前のこの戦国の世では、一対一のみで有効な月光はかなり使い途が限られてくる。

この頃からだろうか、家臣たちの間では輝虎を次期当主にと支持する者たちが増え始めることとなる。

そんな空気を感じ取られたのだろう、影虎様もお一人でいることが多くなった。

そしてそんな折、今度は輝虎様が不思議なことを仰るようになった。

なんでも、ほとんど見えないはずの左目に何かが見えたと言うのだ。


そう話している間にも「あ、また見えた」と言うので何が見えたのですかと聞いてみると、じいの頭に石がぶつかると言う。

不思議に思っているのも束の間、こつんと頭に何かがぶつかった。それは、小指の爪ほどの小さな小石。


最初はただの偶然だと思っていたそんな現象が、何度も起こるのだ。

とうとうこの方の左目は未来を見通すという話になり、家臣たちは輝虎様を当主にということで勝手に話をまとめ。

東北の伊達氏の娘に、影虎様を婿に行かせる話まで取り付けてしまった。


その数ヶ月後には、影虎様は齢十一にして半ば追い出されるように伊達氏のもとに婿養子として迎えられ、それまでの期間、輝虎様と影虎様の間に会話は全く無いまま。


もはや二人が出会うことは、二度とないように思われた。


しかしその二年後、お二人が十三になった年に事は起きる。


伊達氏が、三万の軍勢を興して突然越後に攻め込んできたのだ。

そしてその上、軍を率いていたのは成長した影虎様ご本人。


東北の統一に駆り出されて数多の戦を経験したのだろう、その剣の腕や軍略は、幼少期とは比べようもないほどに研ぎ澄まされていた。


比べて当時まだ輝虎様は戦の経験が少なく、頼みの綱の強部隊『暴雷』『白虎』も上杉氏に随伴して甲斐の武田との前線地に出ていた。

おそらく、その情報も含めた上での襲撃。

家臣たちが、降伏するか上杉方の援軍を待つかで揉める中。


「俺が、道を外れた弟を成敗する。…もともと、俺やお前たちが蒔いた種だ」


家臣たちに向けてそう言い放つと、輝虎様は国内に残っていた越後軍10000を率いて、倍以上の伊達軍を迎え討った。 


共に武術に秀でた猛将の素質を持つお二人だ。

奇しくも、御自らが先頭を走る事で後ろを牽引するという戦い方を、お二人ともが取っており。

奇しくも、輝虎様が敵はここから奇襲を仕掛けると睨んだ森林地帯で二人は出会う。


抜刀術の打ち合い。

勝負は、一瞬で決した。


私はこの場面を直接見届けたわけではない。全て、後に輝虎様ご本人から聞いた話だ。

私はあの時夜の森で輝虎様を見失い、必死に探し回った末に瀕死の影虎様を抱き抱えているところを見つけたのだ。


景虎様との一騎打ちによって、輝虎様は左眼に開けられないほどの重傷を負っていた。

後に名医だという男に見せても「その傷では何もできません」と門前払いを受けるほどの。


一方の影虎様は腹部に致命傷を負って、既に息も絶え絶えという状態。


「…トドメを刺すから先に行ってくれ。後から追いつくから」


そう言った十三歳の少年は、一体どんな気持ちだったのだろうか。

あれ以来あの方は二度と刀を握らなくなり、太陽のように明るかった性格も内向的になられてしまった。


一方は未来を見通す力を失い、もう一方はその未来を失った。


誰が悪いというわけではない。戦国の世の常と言ってしまえばそれまでだ。

 

しかしそれでも。

闇に沈んでいく意識の中で、忠重は考える。


もっとやり方が違えば。

私がもっと、影虎様のお話を聞いていれば。

違う未来が、あったのではないか。

今も輝虎様の横で、影虎様が笑っている未来があったのではないかと。


そう思ってしまう。

ああ、輝虎様。

じいはあなたを、恐れ多くも亡くした孫のように想っておりました。

まだまだこちらには来ないでくださいね。本当に、ご武運を。

さようなら。




すまない、影虎。

すまない。


そんな声が聞こえた気がした。それを認識したのと同時にハッと目が覚め、急いで体を——起こそうとした瞬間に腹部に走ったとてつもない痛みに、輝虎は顔を顰めた。


一度落ち着いて辺りを見回すと、そこは本拠地である御靖城の一角、輝虎の私室。


次にまだ余韻が続く腹部の方を見ると、そこには裸の上半身にぐるぐると何重にも包帯が巻き付けられ、その一番上の包帯まで血が滲んでいる。

落馬したところまでは覚えている。その際に頭を地面に強打してからの記憶が無い。

これは……

ガタンっと廊下から音が聞こえた。音の方向に振り向くと、そこには長尾家お抱えの医師団筆頭、寺本鄴部が立っていた。

水に浸した手拭いを桶ごと取り落とし、幽霊でも見たような表情で口をパクパクと開けている。


「……て、て、輝虎様…!おいみんな、殿の目が覚めたぞ!」


すると、向こうにある広間からワッと声が沸く。

そしてドタドタとした足音とともに、大勢の召使いや臣下たちが輝虎の元へ駆けてきた。


「殿、ご無事でしたか!もう何度も心臓も止まりかけ、今度ばかりはダメかと…うう…」

「…心配をかけたようですまない。だが、まずは先に報告を頼む」



そこで輝虎は、彼が敵の凶弾に倒れてから丸一日が経過していること、彼を逃すために飯田忠重ら白虎の古参隊員たちが戦死したという報を聞いた。


「そうか、じいが……そうか」


現実感の無さからか涙こそ出ないものの、長く自分を支えてくれた忠重の死は、満身創痍の輝虎の心に重くのしかかった。

しかし、嘆き悲しんだところで死者は生き返らないのだ。まずは自分がしっかりしなくては。


「…分かった。それで、4日目の戦況はどうだ」

「芳しくありません。指揮官の不在で白虎隊が動かせない、中央への予備隊が底を尽きつつあるなど原因は多々ありますが……最も大きいのは、孝景自らが本隊を率いて中央を押してきていることです」


その言葉に、輝虎の額には思わず冷や汗が浮かぶ。

最も恐れていたことが、立て続けに起きてしまった。


副長として指揮を取れたはずの忠重が死に、自分が動けなかったせいで最大戦力である白虎隊が動けず余計に死人が出た。

それに何よりまずいのは、あの孝景がついに討って出たということだ。

副将らがかなり策を用いて戦うのを好むのに対し、朝倉孝景の直接率いる軍の戦い方はいつも単純明快。

圧倒的な武力で、敵を正面から捻り潰す。後方で味方を動かす軍略にも秀でているが、先頭を走って敵を殲滅する孝景の武勇は輝虎に勝るとも劣らない。


「中央の余力はもうないのか……現場の将は、何人生きてる」

「中央軍ですが、左右の山地や内地に温存していた予備隊までもを投入してやっと保たせている状態です。ただ幸い、実践経験の豊富な将たちに死者は出ておりません」


その言葉に、輝虎はほっと胸を撫で下ろす。

どうやら、中央軍の総崩れだけはまだなんとか防げているようだ。


「……義道の指揮か」

「いえ、息子の義銘様が指揮をとっているようです。予備隊の犠牲が増える代わりに、主力に犠牲が出ないようにと」


その報せに輝虎は内心、心底驚いた。

この先の展望を知っている義道なら分かるが、おそらく兼続と同い年ほどの義銘がそのような戦い方を。


「…よし、俺もすぐに白虎を率いて中央に向かうと各将へ伝えろ」

「む、無茶です輝虎様!腹部の銃弾は取り出せましたが、まだ傷口が塞がっていません!今無理にお体を動かせば、今度は取り返しのつかない裂傷に繋がります!」


なおも起き上がろうとする輝虎を必死になって止める医師たちに、輝虎は言う。


「…なあ鄴部、このままでは傷口が塞がらないんだよな」

「は、はあ…それはまあ、その通りです」


もうなりふり構ってはいられない。

きょとんとしている鄴部の胸ぐらを掴んで、周りの者には聞こえないように囁く。


「俺の傷口を焼いて塞いでくれ、今すぐにだ!」


そのとんでもない頼みに、鄴部は仰天しながらも同じく小声で言う。


「そんなことをしたら、痛みに耐えきれず死んでしまいます…!どうかあと数日お待ちください!」

「それではこの国が滅ぶ。…今、すぐだ!」


二人の小さな押し問答を遮るように、縁側から大声で輝虎の名前が呼ばれた。


「輝虎様はどちらにいらっしゃいますか!」


格好を見ると、どうやら兼続の私兵らしき男が輝虎を探している。


「ここだ。……どうした」

「ハッ、これを我が主から預かりました。どうぞご確認ください」


渡された書簡を開いて目を通す。読み終わったころには、輝虎は目を見開いて小さく震えていた。


「……おい、鄴部」

「はっはい、どうされましたか。あっ、考え直してくださいましたか!」


嬉しそうな鄴部の言葉に、輝虎が返すのは無言の笑みだけ。

その不気味な笑みにたじろぐ鄴部を無視して、周りにいる召使いや部下たちに伝える。


「状況が変わった。他の者は表に俺の馬と鎧を用意しろ!」


輝虎の気迫に押され、言われた通りに馬や鎧を取りに行く臣下たちを横目に、輝虎はまたも笑顔を浮かべながら。

今度は、涙目の鄴部の首を直接掴んで言った。


「傷を焼くか今この場で死ぬか、選べ」



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