越後の龍、駆けるは戦国の空

鳶谷メンマ@バーチャルライター

第壱部 第一話 臥龍の目醒め



かつて、この日本にも大いなる戦乱の時代があった。

人々はその手に武器を取り、それぞれの目的のために壮絶に殺し合い、血を流した。


ある者は家族を守る為。


ある者は領土を広げる為。


そしてある者は、己の信念の為。


これは、とある宿願の為にその魂を燃やし、人生の全てを捧げた戦国の大天才。

「越後の龍」「軍神」と、その武名を400年以上語り継がれることになる漢。


上杉謙信が、歴史を捻じ曲げて天下統一を成し遂げるまでの物語である。





戦場は、良心と悪意の混在する場所だと誰かが言った。

だがそれは間違いだ。

戦場なんてものは、そんな高尚なものじゃない。


ここは——



「地獄だ」



自分自身の呟きで、ハッと意識が醒めた。

眠ってしまっていたのか。どんな状況だ?今は何をしてる?


「おい兼続、お前何ぼーっとしてんだ!すぐに準備しろって!」


兼続と呼ばれたその少年は、その驚きに任せてバッと起き上がった。

しゃなりと、戦場には不釣り合いな若紫が香る。


葉が落ち始めた、深い森林の中。

十年来の親友である橋本雄一郎の声で、直江兼続はようやっと今の状況を把握することができた。


そうだ、今は天文15年。

3年前から始まった逆臣・黒田秀忠との戦争も、佳境に差し掛かっている。

今や黒田側の本拠地である黒滝城の手前、一ノ瀬谷まで黒田本軍を追い詰めたところである。


ここまでくれば、後は袋の鼠だ。


今後の、詰め将棋とも言える選曲.

どれだけ犠牲を少なく勝利できるか。これは、彼らを率いる将の才覚に掛かっている。


そして、そんな中兼続たちに「あの方」から下された指令は……


「黒部の森で待機!!?なっ、なんでだよ隊長!」


正確には、待機ののち敵本陣を奇襲しろというもの。

作戦を伝えた時の、部下たちによる全力の狼狽が思い出される。

まあ、当然と言えば当然の反応である。


なぜなら、その場所は。


「黒部の森って言えば、殿の本陣がある場所よりも後ろ側じゃねえか!」


「殿は地図を読み間違えているのではないのか…?」


「……あのお方の思惑は、ご本人にしか分からない。今回も、きっと何か大きな戦略を練っておられるのだろう」


「いや、お前そうは言ってもな…」


つい1年前に元服を迎えたばかりの15歳ではあるものの、彼の主からその天賦の軍才を見出された兼続である。

名門・直江家の歴代最年少当主として、その小さな双肩にかかる重圧も、相当なものである。


直江の男児ならば、戦場を駆り、戦場で死ぬべし。


代々続く、直江家の家訓。

祖父も、そのまた祖父も……父でさえも。


幼い兼続を残して、戦場で散った。


そんな生粋の武闘派たる直江の名に恥じぬためにも、この戦、必ず戦果を残さねばならない。


そしてそんな彼の率いる直江親衛隊は、越後軍の中でも無類の精強さを誇る強部隊だ。


だがそれ故に、こんな場所に配置されていることが無駄に思えてしょうがないというのは、部下たちの本音だろう。


「お前たち、今まで輝虎様から下された命の中で、実行するまでその意図が読み取れたものがあったか?」


「…それは、まあ数える程度には…」


「逆に言えば、それしかあの方の思考を理解することはできなかったということだ。では聞くが、あの方の作戦が失敗したことがあったか」


全員が口をつぐむ。無いものは、出てこないだろう。


「つまりはそういうこと。俺たちにできることは、輝虎様を信じて戦うことだけだ」


コクリ、とその言葉を聞いた全員が覚悟を決めたように頷いた。

木々の隙間から見える太陽が、この森に入った時から西にかなり傾いている。


よし、そろそろだ。


「後方に伝えろ。これより奇襲作戦を開始する」



「輝虎様、前列の敵の勢いが激しくなってきました!押し返されます!」


自分の中ではもう詰んでいる戦でも、部下たちにとってはまだ生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。

少し上の空になっていたところを腹心の北畠義道の声で我に返った。


左目の眼帯に手をやる動作は、思考を冴え渡らせるために輝虎が行うルーティンだ。


「…後ろに下がらせろ。というか、前方の部隊全てを少しずつ後退させろ」

「承知しました。……敵に勘づかれないように、ですね」


おそらく今の会話の中で自分の真意を読み取ったであろう義道に、少し驚かされた。さすがは父の代からの有力武将だ。

戦術に対しての目が肥えている。


「本陣も合わせて後退するぞ!天幕を畳んで馬を出せ!」


この一ノ瀬谷は、左は断崖、右は緩やかな坂ではあるものの登り切った先には深い森が広がっており、攻める側にとっては伏兵の心配をしなければならない。

それなら、こちらが守勢に回ればいいだけの話だ。




「秀忠様!こちらの押し込みが効き始めたのか、越後軍の本陣まで後退を始めたようです。如何なされますか!」


黒田秀忠。

その勢いに任せた果敢な攻めによって、数々の戦いに勝利してきた攻めの達人として知られる。 

しかし輝虎との戦いでは連戦連敗、ここまで追い詰められた彼が、敵の本陣をやっと押し返し始めたとなれば、取る手は一つしかないだろう。


後退を始めた越後軍の背を追い続ける黒滝軍。

勢いそのままに突き進んだ彼らはいつしか、もともと越後の本陣が置かれていた地点をも越えて進行し——。


「よおし、このままの勢いで敵を越後まで押し返してやれ!全開だ!全ての力を出して奴らを潰—」


ドドドドッ、とどこからか大量の蹄の音がするのに気が付き、黒田秀忠はそこで言葉を切る。


そして、音がする左方の坂を見た彼は思わず目を疑った。


200騎余りの騎馬隊が、勢いよく駆け降りてくるのだ。黒田本陣との距離は、もういくらもない。


「左から敵の騎馬突撃が来るぞ!本陣守りはすぐに配置につけ!前方の部隊もここに集めろ!」


部下たちが慌てふためく中、とにかく冷静に対処しようと努める秀忠。 

だがそこに追い討ちをかけるようにして、前線からの報せが入った。


「ぜ、前列から……輝虎の本陣が動いたとの報告が!…輝虎自ら打って出たようです!」


その報せに、さしもの秀忠も言葉を失った。

なんということだ。これでは、打つ手が……


「殿……輝虎本陣の勢い止まらず、もうここまで破られるのにそう時間はかかりません!はやく黒滝城まで退避を!」


「左方の騎馬隊も凄まじい強さです!このままでは…!」 


本陣守りの部隊はすでに、坂から来た敵の騎馬隊と潰しあっている。後ろに下がろうにも、ほとんどの兵をここに残していかなければならない。それでは結局ジリ貧だ。

おそらくこの騎馬突撃も、あらかじめ準備されていたものだ。敵が後ろに下がったのも、この位置まで儂ら本陣を引っ張り出すための罠。


付け入る隙などひとつもない。まさしく、完璧な戦だ。


これをまだ、18かそこらの若者が展開したとは。

ここまで来ると笑いすら込み上げる。


「やはり、儂の才では及ばなかったか…」



戦は生き物だ。

少なくとも、輝虎はそう考えている。生き物と同じ、不変なものは何一つない。


手にするは、長尾家相伝の家宝が一つ『天ノ白鉾』。

総鉄造りであり、長さは約七尺。

現代の単位で言えば2メートル超、その重量は80キロにもなる。

そんな鉄の塊を片手で振り回し、敵を粉砕して進む圧倒的な膂力。


そしてここぞという場面で自ら矢面に立って味方を鼓舞する輝虎の姿は、のちにあの織田信長や武田信玄をして「軍神」と恐れられる天才、上杉謙信の匂いを微かに漂わせていた。


そんな輝虎の前に立つ黒田軍の兵士たちは、なすすべなく打ち砕かれるのみ。

もはやその”濁流”は、誰にも止めることができないのは明白である。


この戦いの勝利条件である、黒田秀忠の首を飛ばすその瞬間まで。


決して止まることはない。



「見えたぞ、敵本陣だ!ほんとに真下に来てる!」


「よし、後方も勢いを殺すな!このまま突っ込むぞ!…俺たちで必ず、敵総大将の首をとる!」


本当に、凄まじいお方だ。

乱戦の最中、兼続は改めて主の才覚に驚愕していた。


あそこから敢えて後ろに下がることで敵を引きつけ、向こうの意識が完全に攻勢に回った頃を見計らって横陣突撃をしかけ、混乱させる。


そして最後はやはり、輝虎が最も得意とするあの形。

正面からの強行突破が来る。


「なあ兼続、輝虎様が率いてるあの騎馬隊って…」


突撃前に目にしたのだろう。殺し合いの最中とは思えないほど高揚した表情を浮かべてこう話すのは、副長の橋本雄一郎である。


同じく高揚を隠しきれない様子の兼続は、上擦った声で言う。


「ああそうだ、ついにあの御方の直下兵団が……白虎隊が動いたんだ!」

「す、すげえ勢いだ……ここからでも見える、ぶつかってる敵兵が吹き飛んでるぞ!」

「あそこは別格だからな……おっ、そろそろ抜けそうだと後ろに伝えろ!」


と、その時。


もう何人斬ったか分からないが、ついに目の前の敵の波が途切れ、敵本陣へのか細い道が出現した。


絶好の好機だ。


「おい抜けたぞ!このまま俺たちで、秀忠の首を取るんだ!」


オオッ!と一層部下たちが士気を高めたのを感じる。


いける。このままいけば…!


「おい兼続、ついに見えたぞ!右側のでかい旗のところにいる!」


言われたように右側を見ると、一際大きな旗の下、人が集まっている場所がある。

そこの中心に騎馬している豪勢な鎧の男。その瞬間確信した。


間違いない、あの男が大将首だ。


「ッ、騎馬が入ってきてるぞ!ええい歩兵たち、そ奴らを絡め取れ!残りは殿と参謀たちを後方までお連れしろ!」

「本陣部隊、敵騎馬との間に割って入れ!ぶつかってでも止めるぞ!」


護衛らしき騎馬数人がこちらに向かって斬りかかってくるところを袈裟に斬り伏せ、勢いそのままに目の前の将目掛けて刀を振り上げた。


「詰みだ、秀忠!」


が、それはブラフだ。瞬時に刀を収めて体勢をグッと低くする。

老将の重みある一刀と、若き才能が交錯する、その瞬間。


「…若造にやられるほど、衰えておらんわ!」


すかさず下から斬撃を繰り出してくる秀忠。

しかしいつの間にか刃を鞘にしまっている兼続の姿を見て思考が停止したのか、一瞬動作を止めている。


それはそうだ。

長い間、東の国境付近で暇な警備任務を続けていた秀忠からすれば、斬り合いの最中に刀を収める人間など見たことがないのだろう。


この技は、初見の敵を必ず殺すための必殺の技。

この奇怪な動作すら、敵を惑わす術の一環でもある。


そして。


「抜刀術」


兼続がボソッと呟く。越後の国に伝わる剣技であり、今は亡き  の編み出した剣技の一つ。


瞬き一つの合間に、生き物のように鞘から飛び出した刀身が。


秀忠の首を、天高く跳ね飛ばした。


「月光」


3年にわたって越後国内を苦しめた黒滝反乱は、これにより完全に平定された。


戦国の世に起こった反乱の中でも宗教に関わるものを除けばこれはかなり大規模であり、この反乱を自国の力のみで抑え込んだ輝虎の手腕はやはり20歳手前の若者とは思えないほど突出したものである。


しかしこの時代、天下統一をかけて覇を争っていた将たちのほとんどが、この突き抜けた才能に気付いておらず。

越後の怪物は、こうしてゆっくりとその牙を研いでいくのだった。

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