3 その部屋は冷房が強く効いていた

 その部屋は冷房が強く効いていた。

 都内の会社の、無機質な会議室ではなく、個人用のソファが向かい合う応接室。

 下座に座る男は、髪のボリュームがやや少なく、丸い顔の目尻にある皺がくっきりと見え、紺の背広を着て、マスクを外している。

 上座に座る男は、深緑の単の着物を鈍色の帯で締めていて、年は上に見えるが髪は豊かで身体が細く身長が平均より高く見え、銀のフレームの眼鏡をかけ、こちらもマスクを外している。第一印象で、文人か、趣味人に見える、会社という場には似合わない人物だ。

 下座の男は口を閉じて待つ。

 上座の男が厳かに告げる。


 この秋も流行病(はやりやまい)は素通りし

  今にも希望手にしうるなり


 下座の男は深く頭を下げた。

「先生、ありがとうございます」

 上座の男は軽く会釈で答えた。

「コロナ禍で厳しい状況が続きますが、ここを過ぎれば光が見えます。今は耐え忍ぶことです」

 下座の男が立ち上がり、後ろの机の上に置かれた封筒を手に取ると、上座の男の前までおずおずと進み、両手で封筒を差し出す。

「お収めください。お車代も含めています」

 上座の男は無言で両手を差し出し、封筒を受け取り、側に置いていた鞄に入れた。

 上座の男が受け取ったのを見ると、下座の男は後ろの机の内線電話の受話器を取った。

「ああ、新村だ。先生がお帰りになる。玄関まで見送りなさい」

 下座の男は受話器を下ろすと上座の男に向き直る。

「いつも通り、秘書が玄関まで見送ります」

 上座の男はマスクを着け鞄を持って立ち上がった。

「痛み入ります」

 言葉の重さとは裏腹に、男は言葉を聞くべき男の目を直視していなかった。

 下座の男が応接室のドアを開けると、前には三十代とおぼしき美しい女性がスーツ姿で立っていた。

「神代(こうじろ)祐介(ゆうすけ)様、お見送りいたします」

 女性が落ち着いた様子で語りかけると、神代は首を軽く振って答え、歩き出した女性の後についた。

 二人はエレベーターホールに行き、女性が下へのボタンを押し、降りてきたエレベーターに二人で乗り込む。一階に着くと神代が先に降りて女性が後につき、外に出る自動ドアの前で女性が立ち止まり頭を下げた。神代は振り返って頭を下げ、女性を後ろにして自動ドアをくぐると、鞄からスマホを取り出してタクシーを呼んだ。

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