第二十七話 立ち昇る星(三)

 翌日も、晴れていた。悔しいほどに、あざ笑うように雲一つなかった。


 太白たいはくは、結局帰ってこなかった。

 あの狂気のような目が、望天ぼうてんの脳裏から離れなかった。


 翌日、日が昇ってすぐ、がれきの山へ向かっていた。


 大虚の跡地は、昨日とほどんと何も変わっていなかった。変わっていたのは、昨日はまだいた兵部のいくらかが、誰一人残っていないことくらいだった。


 無人の跡地の中、変わらず、がれきの上で太白は座っていた。


 違った。

 思わず叫んだ。


「太白!」


 がれきの山で、太白が突っ伏していた。


「お前……!」


 望天が走りよった。


 息があった。揺すられた太白が、ゆっくりと目を開けた。望天を視界にとらえた後、わずかに笑うのが見えた。


「昨日からずっとここか……!」

「ああ」


 突っ伏したままの太白を、望天が担ぎ起こした。


 小さな、昨日見せられたものよりもさらに小さな黒い石が、太白の手から滑り落ちるように転がった。


 絶句した。


 突っ伏していた太白の下に、あまりにも不吉なものがあった。

 人の頭ほどの大きさの、真っ黒な黒曜石のようなものが、その内で真っ青な炎を燃やしながら地面にうずまっていた。


「やっと、明星めいせいの魂魄を見つけた」


 担ぎあげた太白の衣服に、小さな血の跡がしみ込んでいた。


 出血していた。目、鼻、いたるところから血が流れていた。


 太白の肩を担いだ。

 違和感に、望天から怒りのような声が漏れた。


 望天の体に、死体を担いでいるかのような重量がのしかかっていた。


「医療班へ行くぞ」

「待ってくれ。ほんの、あと少しなんだ」

「馬鹿野郎! 死ぬぞ!」


 ふっと、何かが太白の体から抜けた。


 真っ白な狐だった。


 何が起こったのか、全くわからなかった。なぜ狐がいるのか。なぜこんなものが太白の体から出てきたのか。


 担ぎ起こしていた太白の体から、抜け出るように湧き出た白い狐が、音もなく地面へ降り立っていた。


「おや?」


 望天の目が見開かれた。


「なるほど。ここまでのようだな」

「狐がしゃべ——」


「尽きましたか」


 望天の言葉を、小さく笑った太白の言葉が遮った。


 するりと抜け出した狐が、太白を振り返るよう、がれきの中真正面に座った。


「思ったよりも早かったな。しかしまあ、本当に最後まで凡愚であった」


 太白から、乾いた笑いが漏れた。


「何の話をしてるんだ……?」


 嫌な予感がしていた。

 望天が、何かがひりついたような気配を感じていた。理解を越えた状況に、言葉が、そのまま思ったものが出てしまった。


 真っ白な狐が、視線だけで望天を見た後、めんどくさそうに口を開いた。


「この男は、昔、私と契約したのだ。この男の願いをかなえるべく、私の力を借りる。その代わりに、死ねば私の一部になると。

 今この男は魂魄が尽きた。じき息を引き取る。契約の履行の時が来たのだ」


 望天の表情が、みるみるうちに青ざめていった。


「——太白が、死ぬ?」

「もう少し、面白いものを見せてくれると思っていたが、存外お前もその他の連中とそれほど変わらん人間であったな」


昴宿ぼうしゅく様」


 担がれたままの太白から、言葉が出た。


「お願いがございます」

「なんだ」

「今少しばかり、魂魄をお貸しいただきたい」


 強烈な、大気が割れるほどの笑い声が小さな狐から出た。これほどまでに口が開くのかというほど、のどにまでその裂けた口がのぞけるほどに割れていた。


「魂魄が尽きて死のうという人間が! やっと契約が終わるというのにその魂魄を貸せというのか!」


 狐の笑いがぴたりと止まった。


「貴様、その魂魄で何をする気だ」


 望天の肩に担がれていた太白が、ゆっくりと地に足を乗せ、腕を外した。立つことすらままならなずよろける中、地面に落ちていた小さい黒い石を拾い、震えながら顔の前に突き出した。


「昴宿様は、十年前。私に面白いものを見せろとおっしゃいました。長く生きていると、退屈と孤独だけはどうにもならないと」


 狐が尾を揺らしたまま、何も言わずに聞いていた。


「昴宿様は、人の子を育てたことはございますか」


 狐が軽く笑った。


「よもやお前、私の魂魄を使って生き延び、その虚の核でも育てるとでもいうのか」

「そうです」


「馬鹿か貴様は!」


 狐が吐き捨てるように言い放った。


「そんなもの、ただの草木妖の種ではないか!」


 太白が、懐から短刀を取り出した。


 止めることができなかった。一瞬で、取り出した短刀で、太白が自分の腹を一息に切りつけた。


「太白!」


 望天が叫んだ。前のめりに倒れ込む太白の体をつかんだ。


 小さな短刀の切り口から、想像を超えるほどの血が流れ出ていた。


 太白が、小さく笑っていた。震えながら印を切った手が、静かに青白く光った。流れ出た血が、小さな黒い石を飲み込むように覆い始めた。


 うごめいていた。

 空中で、血に包まれた黒い石が、うねるように赤黒い肉の塊へと形を変えていった。


 太白が、絞り出すように声を出した。


「これは、今より人でございます」


 狐から、つんざくような笑いが出た。これ以上ないほどに、大きな笑い声をあげていた。


 宙に浮かぶ赤黒い肉の塊が、心臓が拍動するように収縮を繰り返していた。


「面白い!」


 狐の口が、恐ろしいほどに広がった。

 一瞬で、宙に浮く赤黒い肉の塊を飲み込むと同時に、青白い太白の首に食らいついた。


「太白!」


 無意識に望天が刀を抜いていた。

 太白の首に食らいつく狐の首へ一撃を入れていた。


 固い音が響いた。白い、大きく広がった狐の首を断つこともなく、あっさりと刀が折れ吹き飛んでいった。


「黙ってみていろ」


 狐が、咥えたまま、太白の体を持ち上げた。みずちのように、頭から一気に飲み込んでいく。


 理解ができなかった。

 一瞬だった。一瞬で、太白が狐に飲まれた。


 小さな狐の体に、太白がすべて飲まれていった。


 すべてを飲み終えた狐が、何事もなかったように口を開いた。


「まこと、最後まで凡愚であった。死んだ人間のために命をささげるなんぞ。十年前から何一つ変わりもしない。

 しかしまあ、悪くはなかった」


 狐が、独り言をつぶやき終わると同時に、ゆっくりと、その体を何倍もの大きさに変えた。まるで普通の獣がそうであるかのように、背中を突き出し、体を小刻みに震わせた後、何かを口から吐いた。


 吐き出された黒い塊が、がれきをなぎ倒すように勢いよく転がった。

 望天の前で、その動きを止めた。


「じき太白が目を覚ます。目覚めたら、それはお前に任せると伝えろ」


 狐の言葉に、望天が、凍り付いた表情のまま何も返せなかった。


「何を……伝える?」

「お前も察しが悪いな」


 狐が首を揉むようにひねった。


「この体を太白に使わせてやると言ってるんだ」


 肥大化した狐が、ゆっくりと、その姿を再度変え始めた。


 見覚えのある姿だった。


 太白、そのものの姿に、まるで元からそうであったかのように代わっていった。


「目が覚めたら太白に伝えろ。私の体を貸してやる。お前がこいつを育てろとな」


 太白の姿へと変わった狐が、ゆっくりと、突っ伏すように地面に倒れ込んだ。


「私が人なんぞ育ててたまるか」


 望天が、ゆっくりと狐——太白を覗き込んだ。


 何一つ、傷が残っていなかった。顔の出血も、衣服も、すべてが元のままだった。


 突然、晴天に泣き声が響いた。


 望天がはっとした。

 赤子の泣き声だった。足元に広がる黒い肉の塊から、泣き声が響いていた。


 慌てて拾った。手の中で、黒い肉の塊が脈打つのがわかった。


 強い風が吹いた。土煙ががれきの中を舞った。


 手元にもった黒いものが、風に乗りほどけるように宙に舞った。抱きかかえていた肉の塊が崩れ、望天の腕の隙間をこぼれるように黒いものが流れ落ちていった。


 赤子の泣き声が、強く晴天へ響いた。


 腕の中で、黒い肉が流れたおちた後、一人の赤子が泣いていた。何かにもがくよう、その小さな腕を動かしながら泣いていた。まるで、生きる意志が声となったような音だった。

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