第7話 倒れていた賞金稼ぎを拾う その5


 タンタンとしつこいノックで目覚めた。

懐中時計を見ると朝の7時だ。

こんな朝早くから一体誰がやってきたというのだろう? 

患者に俺の住処すみかは教えていない。

自宅に押しかけられても困るので絶対に秘密にしているのだ。

近所のやつらも俺の職業を知っている者は一人もいないはずだった。


「うるせーぞ! 今開けるから静かにしろ!」


 俺は痛みの走る頭を押さえながらベッドで半身を起こした。

サイドテーブルに置かれた酒瓶の中身はほとんど空である。

昨晩は少し飲み過ぎたようだ。

水魔法を展開して小さなアクアボールを作り、直接口に入れた。

乾いた体に水が染み渡る感覚が心地いい。


 しばらくぼんやりとしていたら、またドアがタンタンと叩かれ出した。


「今開けるから待ってろって! ったく、なんなんだよ」


 借金はないし、家賃の滞納もない。

女関係だって綺麗なもんだ。

こんな時間に突撃されるいわれなんてこれっぽっちもないはずである。


「誰だよ、まったく……」


 警戒しながら扉を開けると、一昨日の晩に助けた賞金稼ぎが立っていた。


「おはようございます……キャッ!」


 女は視線をらして挨拶してくる。

考えてみれば、俺の格好はパンイチだ。

若い女が赤面するのも致し方がないことだろう。

ましてや目の前にいる女は男に裸を見られたこともないような初心うぶな娘だ。


「なんのようだ?」

「これをお返ししに来ました」


 顔を背けたままで差し出してきたのは洗濯された俺のパジャマだった。


「わざわざ持ってきてくれたのか……。見た目どおり律儀なんだな。ありがとう、そいじゃ」


 ドアを閉めようとしたのだけど、足で邪魔されてしまった。


「まだ何かあるのか?」

「治療費のことです」

「いらないって言っただろう?」

「そういうわけにはいきません! すぐにお支払いはできませんが利子の代わりに食料を持ってきました」

「はっ?」


 驚きに唖然としていると、彼女は強引に部屋の中へ入ってきた。

開けられないようにしっかり押さえていたはずなのに、かなりのパワーを持っているようだ。


「お食事を用意しますから、早く何か着てきてください。そんな恰好のままでは困ります」

「いやいや、飯なんて要らないから」

「これでも料理は得意なんですよ。早く着替えてきてください」


 そう言いながらエプロンをつける彼女に見とれてしまう。

朝日に照らされて本当に彼女はキラキラしていた。


「まだ、名前も聞いてなかったな」

「アーリン・ベイトです」


 アーリンか、響きのいい名前だ。

アーリンはほとんど使われていないキッチンに立ち、魔導コンロに火を入れる。


「何をしているんだ?」

「コーヒーを淹れるので早く服を着てください。その恰好ではまともにお話もできませんから」


 追い出そうかと思ったけれど、袋から漂うコーヒーの香りが俺を思い止まらせる。

体が目覚めの一杯を求めているのだ。


「少し濃いめで頼む……」


 俺の心はあっけなく欲望に負けてしまった。


 身づくろいをすませて居間に入っていくと、コーヒーの香気が部屋に充満していた。


「どうぞ」


 アーリンがこの家で唯一の食器であるマグカップにコーヒーを注いでくれた。


「ありがとう。だが、すまないな。君の分の食器がない」


 一緒に飲んでもらいたくても、もてなしようがないのだ。

以前は付き合っていたミシェルのカップもあったのだが、数年前に落として割ってしまった。

それ以来新しいものは買い足していない。

この部屋に客が来ることなんて想定していなかったからだ。


「私のことは構わないのですが、お皿もないのですか?」

「皿? あったかな? たぶんないと思うけど……」


 そう答えるとアーリンは呆れた顔になった。


「いったい、普段はどうやって暮らしているのですか?」

「食事は外食しかしないぞ。部屋では酒を飲むくらいだな。このマグカップが一つあれば足りる」


 そう答えてコーヒーを一口すすった。


「うん、美味い。部屋でコーヒーを飲むのは久しぶりだけど、朝一のコーヒーはやっぱりいい」


 ミシェルとは夜明けのコーヒーをよく飲んだものだ。

別れて五年も経っているので、彼女がどんな顔をしていたかもおぼろげになってしまったけど……。


 アーリンは突っ立ったまま珍獣でも見るかのように俺を眺めていた。


「座ったらどうだ? 君も飲むか?」


 ソファーの上に積み重なっていた洗濯物をどかし、彼女のためのスペースを作る。

そして自分のマグカップを差し出した。


「いえ、結構です。それよりも困りましたね。お皿がないとサンドイッチをどこに置いたらいいのか」

「サンドイッチ? それなら手づかみでもいいんじゃないか?」


 なんだか急に腹が減ってきた。

昨日もたいして夕飯を食べずに寝てしまったのだ。


「この袋の中に卵とベーコンを挟んだものが」

「おお、俺の好物だ。もらってもいいのかい?」


 アーリンは持参した布袋をおずおずと差し出してくる。

俺は一切れ取って頬張った。


「美味いな! 卵とベーコンと……これは玉ねぎか? 粒マスタードもよく合っている。料理が上手というのは本当なんだな」


 最初の一切れをすぐに平らげて、二つ目を食べ始めた。

見るとアーリンが嬉しそうにほほ笑んでいる。

初めて見る彼女の笑顔だった。

年甲斐もなく胸がドキドキする。


「いいかげんに座ったらどうだ? 上から見つめられたままだと食べにくいんだが……」


 アーリンの笑顔が眩しすぎて、照れ隠しに憮然ぶぜんとした声を出してしまう俺だった。

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