第4話 脱出!


 アルが次に目を覚ましたのは、冷たい床の上だった。


(ここは……?)


 意識がはっきりして、牢屋にいることがわかった。一面灰色の見るからに冷たい壁で囲まれた部屋には、ごくわずかな光を取り入れるための格子がついている。足首は鎖に繋がれ、鍵が開いてても決して逃げることは出来ない。


「カイべルヘルト家め……どうせろくでもない扱いになるだろうことは承知の上だったが……まさかここまでとは……。ふつう息子がやり返されたからって、幼い子供を鎖で繋ぐか……?」


 アルは誰もいない牢屋でひとりごつ。


 格子から差す光は、現在が早朝であることを示唆していた。


(ということは……あれから夜が明けて……って感じかな……。まさか丸一日眠ったままだったとかはないよな……さすがに)


 アルが物思いにふけっていると廊下の先からコツ、コツと固い音が這い寄ってくるのがわかった。


 音の正体は、アルをここまで誘拐してきた、あの男だった。


「アル・バーナモント。旦那様がお呼びだ……」





 アルが通されたのは外に面した日当たりのいい大広間で、最初、長い間暗闇にいたせいでまぶしさに顔をしかめた。広間の端々にはカイべルヘルト家の使用人らしきものたちが並んでいる。


 アルの手足には鎖でおもりがしてあるので、逃げる気は起きなかった。


 広間にある大仰な椅子にはカイべルヘルト家当主――ギサナン・カイべルヘルトがふんぞり返ってアルを見下ろしている。


 紫色のローブに、くるりと捲いた髭をたくわえ、悪趣味なアクセサリーをじゃらじゃらと身に着けた、いかにもないじわるそうな見た目をしている。


「お前がバーナモント家の小僧か……確かに、亡き母にそっくりな美貌だな……ふむ」


 その舐めまわすような視線に、アルは昨晩のラドルフの愚行を思い出し、ぞっと寒気がした。


「マリア……あれはいい女だったぞ……その頭と同じで股のしまりもゆるいのが玉に瑕だったがな……ガッハッハ」


 普段であれば、そのような安い挑発に乗るようなアルではなかったが、母のこととなるとどうにも憤りを抑えることができない。


「だまれ!!母を愚弄するな!」


 するとギサナン・カイべルヘルトは眉間のしわをよりいっそう深く刻みこみ、手に付けていた重たいゴツゴツとした指輪を外して、アルに向かって剛速球で投げつけた。


 指輪はアルの広いおでこに、大きな傷を作った。窪みからは血が静かに滴る。


「いっ……!」


「まだ自分の立場がわかっていないようすだな……バーナモント?お前は私の息子――ジークをめった刺しにしたのだぞ?この程度の傷で清算できるなどと思ったら大間違いだぞ!!!」


 怒声。大人による、本気の大声。それがアルの小さな身体には異常によく響く。


 ビクッと震え上がったのは反射からではない、心からの恐怖のせいだ。子供のアルの力では、いくら元剣聖とはいえ、大人には敵わない。そのことをアルも承知していた。


 ジークら悪ガキどもと戦って勝利を収めたのは、あれは相手が子供だったのもあるし、手近にちょうど剣の代わりとなる棒があったのも大きい。


 大声が発せられると同時に、アルの額の傷口に、ギサナンの親指がメキキっとねじ込まれていた。そしてそれを執拗にグリグリと痛めつけられる。


「いぎぎぎぎぎ……」


 アルは必死に泣き叫びそうになるのをこらえた。


「ふはは……所詮はガキだな……。もういい、あとはジークに勝手にやらせろ。まあ……それで壊れたなら……次は私のところに持ってこい」


 ギサナンは、まるで物を扱うようにアルを放り出し、使用人の男に命令した。


(くそ……くそ……ここに剣さえあれば……絶対に殺す!!!)





 次にアルが連れてこられてのは、件のガキ大将――ジーク・カイべルヘルト少年の私室だった。


「よう……バーナモント。こないだはよくもやってくれたよなぁ……」


 ジークは肩に包帯とギプスを着けており、その部分をこれ見よがしに強調してみせた。


「まあ、今は鎖で身動き取れないから、もうあんなふうにはいかないけどなぁ……アッハッハッハ」


 そしていじわるたっぷりの嫌な言い方で、アルをあざ笑う。


(ふん……笑ってるがいいさ……使用人が去って、お前と二人になったときがお前の寿命だ)


 アルはジーク相手になら鎖を捲かれた状態でも勝てるとふんでいた。もちろん失敗すれば手痛い目にあうのはこちらだ。だがそれは反抗してもしないでも同じことなのだから、それなら賭けに出る価値は十二分にあった。


「では……私はこれで……何かあればまたお呼びください」


 使用人がそう言い残して去ると、アルは待ってましたとばかりに反撃の体制を整えた。


(よし……次に近づいてきて隙を見せた時が、お前の死に時だ……)


 だが次の瞬間、ジークが口にしたのは意外な言葉だった。


「なぁアル……父上がお前にひどいことをしてごめんな……」


「へ……?」


 あまりに突拍子もない展開に、アルは度肝を抜かれ、静止する。


「俺はさぁ……優しくするから……な?いいだろ?ちょっとだけだ……すぐすむから……」


(コイツ……ガキのくせに……こっちはいちおう男だぞ……!?まったくどいつもこいつも……こればかりは母の美貌を恨むしかないな……)


 ジークが息を荒げて、じりじりとアルににじり寄る。


「さぁほら……怖くないから……おいで」


 アルは恐怖のあまり加減を忘れて、鎖のついた腕を思いっきり振り回した。


 剣聖として毎日素振りをした経験をもってすれば、アルの華奢な腕であってもこのくらい造作もないことだ。


 鎖の先端に取り付けられたおもりの鉄球は、ジークの横っ腹を直撃した。


「ぐぇ……いってえええ……!!!」


 ジークはその場に倒れ込み、もだえ苦しむ。


「お前はそこで寝てな……!」


 アルはそう言い残してジークの部屋を飛び出した。


(……といっても、ジークに使用人を呼ばれたら面倒だぞ……。もし大人たちに囲まれでもしたら……この身体じゃ手も足もでない……。どこかに剣でもあれば別だけど……。それにはまずこの鎖をなんとかして外してからじゃないと、走りまわることもできないしなぁ……)


 アルは重たい鎖を引きずって、ゆっくりと歩きだした。


 とりあえずの廊下には見張りの使用人などは見当たらない。これはジークがアルにしようとしていたことを考えれば――ジークのプライバシーを尊重しての配慮か……。


 ずるずると、おもりが床をこする音が廊下に響く。


(これじゃあすぐに見つかっちゃうな……。武器があるとすれば武器庫か……)


 一般的な家庭には武器庫など存在するはずもないが、ここは上級貴族の館、使用人たちに使わせるための武器がどこかにしまってあるはずだ。護衛や――ともすれば兵士の派遣などもする可能性もあるのだから。


 アルが剣聖エルフォであったころ、上級貴族の館に立ち入る機会も多かった。それらの経験に基づいて考えていくと、自然と武器庫の場所までたどり着いた。


「よし……だれもいないな……」


 とにかく剣さえ手にしてしまえばこっちのもんだ、という自負がアルにはあった。


 武器庫に入ってとりあえず目についた剣を手にする。


「くそ……いくらなんでもおもりもついてて剣を振るのはきっついなぁ……」


 いくらアルの技をもってしても、全力で振れるのは数回といったところだろう……。


 しかし、剣聖の超人的な剣さばきにかかれば、鎖を破壊すること自体はたやすい。


 物質の弱っている急所とも呼べる部分を、的確にとらえて剣を当てるのだ。


 ――バキッ!


 大きな金属音とともに、片手の鎖が外れる。だがそれとともに剣のほうも折れてしまった。


「さすがにこうなるか……」


 だがここは武器庫。使い捨てにできる剣ならいくらでもあった。


 それをあと三回ほど繰り返し、晴れてアルの身体は自由を取り戻す。


「ふー……さーって、こっからどう逃げるかな……」

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