第2話 町の子供たち
買い物の帰り道、アルと同じくらいの歳の集団が、不意に声をかけてきた。
「おい、お前。見ねえ顔だな……。どこの子だ?」
一番先頭に立って偉そうにしているのは上級貴族の息子で、いわゆるボス猿やガキ大将といった手合いの少年だ。
金髪のショートカットをツンツンに尖らせて、腕を組んで偉そうに突っ立っている。
「あ……え、えーと……バーナモント家の者ですけど……」
「バーナモント?あそこにお前みたいな小っちゃいのがいたか?確か大きい娘が二人いただけだと思ってたけどなぁ……」
少年は首を傾げて後ろの子分たちと顔を見合わせた。アルのことは家族総出でひた隠しにして育ててきたから無理もない。
「まあいい……ちょっとこっちこいよ」
少年があごをくいとやって合図すると、子分たちがアルを取り囲み、脇を抑えた。
「え、あの……ちょっと!」
アルが連れていかれたのは路地をちょっと入ったところにある空き地で、悪ガキたちの隠れ家兼遊び場所となっている所だった。
大通りから入って曲がり角を挟むので、意図的に侵入しないかぎり、まず見つからない場所といえる。
「こんなところに連れてきて……なにをするんですか……?」
アルはひどく怯えた表情で、少女のような肩を震わせて少年たちを見上げた。前世の記憶があるとはいえ、九年間も姉たちに虐げられてきた心の傷は深かった。以前のような勇敢な人格は歪に形を変え、典型的ないじめられっ子のそれとなっていた。
それに加え、ひ弱な中世的な少年という入れ物が、剣聖エルフォの人格を器に合うように作り変えてしまっていたのだ。人間は社会的な動物で、他人の評価や見た目によってこうも抑圧されてしまうものなのである。
アルの小さな体躯が壁に叩きつけられ、それを取り囲んだ少年たちの目線が一斉に集まる。
「へぇ……けっこうかわいいじゃん」
リーダー格の少年が言った。子供とはいえ、それは完全に下心を含んだ下卑た眼差しだった。
たしかにアルのことを知らない人が見たら女の子と勘違いするのも無理はなかったが、彼らからすればそれも大した問題ではなかったかもしれない。
とにかくコイツらが完全な下種野郎であることを、アルは瞬時に理解した。
身の危険を感じ、アルの中に眠るエルフォの人格が徐々に目を覚ます。
(コイツ……ガキのくせに……)
「なんだよ、その目つきはっ……!」
ボスガキがドンと壁を蹴る。思わずアルの身体がビクッと跳ね上がった。
「おい、こいつ、脱がせ」
少年たちの目つきが変わり、不穏な雰囲気が流れた。
アルの両側を子分たちが挟み、マントに手をかける。そう、アルの母親が編んだ、あの、魔力布のマントに、だ。
「や、やめろ!これは……!」
すかさずアルも振り払おうとするが、体格の大きい少年たちの力には敵わない。
「暴れるな!大人しくしろ!」
マントの左端を掴んでいた太めの少年が強く引っ張った。
――びり。
「……あっ!」
強度の高い魔力布製のマントも、経年劣化と年頃の少年の本気の腕力には耐えられなかったようだ。少年の手にはマントの切れ端が握られ、その手は行き場なく静止している。
アルはすかさずそこから切れ端をもぎ取った。
「返せっ……!」
アルの中でふつふつと怒りが沸き上がってくる。このマントは身を守るために肌身離さず身に着けていたもので、いわばライナスの毛布のようなものだった。
それになにより、母の形見でもあり、もはや母との繋がりを唯一感じ取れるものでもあった。
「母さんが……編んでくれたんだぞ……?」
アルの纏う雰囲気が明らかに変化したのを感じ、さすがの少年たちも先ほどまでの勢いをなくし、一人また一人と、足をじりじり後ろへと下げた。
「お、おい……なんかコイツやばいぞ、目が……」
冷や汗を流しながら、下っ端の一人がぼそっとこぼすと、みな一様に表情をこわばらせた。
「なぁ……悪かったよ……お前の母さんのだって知らなくってさ……」
実際にマントを破った太っちょの少年がばつが悪そうにぼそぼそと謝罪する。
「ばか!謝るんじゃねぇ」
リーダー格が太っちょのすねを足でちょんと蹴った。
「まあ、また作ってもらえばいいだろ、お前の母ちゃんに」
ボスガキのその言葉が、火に油を注いだ。
アルの中で、剣聖としての闘争本能がよみがえる。
剣聖エルフォとしての魂は、どうやれば相手を倒せるのか知っている。どうすれば相手が泣き叫び、許しを懇願してくるのかを知っている。いかにして人を物言わぬ肉塊にするのかを知っている。
身体や人格が不遇で気弱な少年アル・バーナモントのものとなっていても、その魂は戦い方を覚えていた。戦士としての魂は、決して死んではいなかった。
「お前たちに、母親はいるか……?」
アルの重い口が開かれ、ドスの効いた声が発せられる。
その威嚇は十分に少年たちをビビらせるもので、一同、ビクっと身体をこわばらせた。先ほどまで目の前で怯えていた子羊が、一瞬にして自分たちに牙を剥いたのだ。そのギャップに思わず萎縮せざるを得なかった。
「お、お前……なんだよ……いるに決まってんだろ……?」
(ああ……こいつらは恵まれてるんだな……。上級貴族の息子なんかに生まれて、周りになんでも言うことを聞く子分たちを従えて……。きっと魔法のほうも達者なんだろうな……)
アルの感情は冷めきっていた。あきらめにも似た、絶望がそこにはあった。しかし、その怒りの炎は冷たく、静かに、されどメラメラと燃え上がる。
「お前たちに僕の気持ちがわかるか!?毎日姉たちにいびられ、コケにされて、両親には愛されこそすれ腫れ物のようにひた隠しにされて!挙句の果てにはちょっと外に出ただけでコレだ!大事な母の形見をどこの馬の骨とも知れんくだらんガキに台無しにされて……!」
途中からその口調も変わり、すっかり剣聖エルフォとしての人格と、少年アルとの人格が混ざり合って、複雑な感情を作り出していた。まだまだ言い足りない、という気持ちだったが、それより先に手がでた。
「許さない……!」
足元にあった木の枝を瞬間的につかみ取ると、次の瞬間にはすでに、アルの剣はボスガキの首元に突きつけられていた。
「お、おい……冗談だよな……?」
ボスガキは顔を引きつらせて、苦笑いして訊いた。怯えるあまり、さっきまでのボス猿ぜんとした威厳はどこかへなりをひそめている。
「冗談じゃない……!」
アルは力いっぱい木の枝をガキの肩のいちばん柔らかい部分にぶっ刺した。
「あ!ぐぁあっああ!いてええええええ……!!!!コイツマジでやりやがった……正気かよ!?」
「大丈夫、急所は外してある。大事には至らない」
淡々と告げる。急所を外して尚且つ痛めつける――剣聖の熟練の技が為せる、高度なお仕置きだった。
「お前ら!なにボーっとしている!?かかれ!殺せ!俺の父さんが隠蔽してくれる!いいからこの舐めたバーナモント家のクソガキを八つ裂きにしろ!俺が許す!」
ボスガキ――上級貴族の息子が親の権力を誇示して子分たちを威圧する。
だがその声は痛みのせいか、威嚇や命令というよりも、むしろ懇願や命乞いのそれに近かった。
「ふん……まさに虎の威を借る狐だな……」
号令を受け、少年たちが魔法で攻撃しようと一斉に手を空中にかざした。この行動は概ね正しかった。アルには魔力が流れていないため、魔法への耐性もないことになる。先ほどのアルの素早い攻撃を見て、体術では敵わないと判断し、魔法での攻撃に転じた少年たちの選択は、賢かったと言えるだろう。
だがアルはただの身のこなしに長けたそこらの少年とはわけが違う。その正体は剣聖エルフォとしての剣術、体術、戦闘センスを受け継いだ、正真正銘の殺戮マシーンなのだ。
「お前たちは、魔法を過信しすぎてるんだよ……!」
アルは目の前の適当な少年の首根っこを掴むと、力の限り別の少年へ向けて投げつけた。
「うわ!おっとっとっとっと……」
発動前にあった魔力が充填した手のひらと手のひらがぶつかり、小さな爆発が起こる。
「うわっち……!なんだ!?」
少年たちの手のひらには中程度の火傷が残る。
「お前たち……魔力暴走って知ってるか?」
魔力暴走とは、その魔法の発動に必要な魔力を超過して集めた場合に起こる、小規模な爆発のことだ。もちろんその規模は超過量によっても前後するのだが……。小規模というのはあくまで、本来発動するはずだった魔法の規模に比べて、の話だ。
今回の場合でいえば、二人の少年の手が合わさったことにより、そこに必要以上の魔力が集められたため、魔法が暴発したのだ。
「ごちゃごちゃうるせえ!死ねぇ!」
魔法詠唱の済んだものが、アルに向けて火球を放つ。この年頃のものにしては、ずいぶんとはやい詠唱速度といえる。
再びアルは木の枝を拾い上げると、火球に向けて振りかぶった。
「馬鹿め!木の枝なんかで火球を打ち返すつもりかよ?そんなことしてもお前の手に燃え移るだけだ!」
見ていた他の少年もみな同意見であるというふうに嘲笑をこぼした。
「それが違うんだな……」
「ん?」
アルの手は、誰もの予想に反して、あり得ない速さで振り下ろされた。いや、振り下ろされたとみなが承知したのは、それを目にしたからではない。その場にいた誰もが、それを実際に眼球でとらえることには失敗していた。
それが振り下ろされたことを悟り得たのは、
「……な、なんで?」
火球を放った少年は驚きと畏怖に包まれた。
「ああ、僕はただ……
アルがなんでもないことのように言うと、一同目を丸くした。
「そんなこと……可能なのか?」
そう、
剣というのは繰り返し扱うことで、身体になじみ、効率的に力を込めることができるようになるものだ。
剣聖エルフォは日に五百万回の素振りを課していた。最初は日がな一日中かかって終えていた大仕事だったが、剣聖と呼ばれだすころにはそれを一分で終えるまでになっていた。
物理的に不可能だと思われるかもしれないが、魔力により筋力を増強したり、剣自体にも魔力を帯びさせることで、そのくらいは可能になる。むろんそれは剣聖の才能とたゆまぬ努力があってこそのものだ。
であるから、子供のアルの肉体をもってしても、さらには人並みに魔力を使えないとしても、この程度の速度で木の枝を振ることなど朝飯前なのだ。
「まあ、鍛えれば可能だよ。ホラ……」
アルは目の前で、今度は彼らにも目視できる程度の速さで枝を振ってみせた。
何人かの無邪気な子分たちはそれに「おぉ……」と感嘆の声をもらした。だが今度はそれを咎めるものはいない。肝心のボス猿が肩から血を流し、気絶しているので、彼らに流れる統率や威圧といったものを含んだ空気感は、すでにこの場から失せていた。
「で、でもそんなこと言っても、それが実際にできるなんて……」
「ん?」
アルは次の言葉を待った。この時点で形勢はすでに逆転しており、大局は決したといってもいいだろう。誰ももうアルに襲いかかろうとはしていない。
「それこそ……。それこそ……」
少年が言い渋って、ようやく結論を口に出す。
「それこそ剣聖様クラスじゃないと……そんな芸当、できないんじゃないか……!?」
その言葉にアルは笑いをこらえられなかった。
「あっはっはっは」
中世的な美声から発せられた無邪気な笑い声は、空き地全体に反響し、不気味な残響を産んだ。
その余裕たっぷりな笑いに、少年たちはみな畏怖の念を強めた。中にはそれが畏敬に変わるものもいたくらいだ。
「そうだね……確かにそうだ。そんなことができるのは剣聖しかいないだろうよ!」
アルは言い残すと同時に静かに空き地に背を向けた。持っていた木の枝をくるくると手の中で遊ばせながら、さっそうと去っていった。
残された少年たちは、あまりの出来事にしばらくその場で立ち尽くしてしまった。
「なんだったんだ……アイツは……」
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