第6話 親友との再会

 金曜日の夜、広川は仕事を終えると、大阪駅近くのバスターミナルで夜10時半に出発する東京行きの深夜バスを待っていた。どきどきして、床を見ながら足を揺らしていた。


 アナウンスがあり、広川が乗るバスが到着し、乗車準備ができたようだった。広川は、乗車券を取り出し、列に並んだ。そして手荷物以外をバスに持込み、自分の席を見つけて腰を下ろした。そしてジャケットを脱いで、ゆっくり足を延ばし、カーテンを少し横にずらした。外には、乗車客を送りに来ている人たちの姿が見えた。何だか微笑ましくて、またカーテンを閉めた。


 乗車してから約10分位すると、出発のアナウンスが流れた。どこかでカーテンが開けられているカサッという音がした。カーテンと手が擦れながら、見送りに来ている人に手を振っているようだった。


 広川は暫くカーテン越しに見える外の風景をうっすら見ていた。バスターミナルから少しずつ離れていく。明日の朝には東京に着いて久しぶりに和史に会えると思うとわくわくもしたが、あまりにも久しぶり過ぎて、実際面と向かって一声をどのように切り出そうかと考えた。やはり大人らしく、丁寧に挨拶をするべきか、学生時代みたいに、フランクな感じで言ったらいいのか、そんなことを考えていると、少し眠気がした。バスの中は既に暗くなっていて、広川は目をつぶりながら、狭い座席で一番寝やすい向きをみつけようとしていたが、何時の間にか眠りに入って行った。途中のサービスエリアで止まり電気が付いたりする以外は、殆ど起きることはなかった。


 そして、バスが明け方の6時に新宿駅に着くと、広川は荷物を整理し、バスを降りた。まだ辺りは薄暗い感じで、ひんやりしていた。駅前には、早くに出勤する社会人の姿や恐らくさっきまでカラオケで歌っていたであろう学生たちが盛り上がって横断歩道を渡っていた。若いなあと広川は心の中でつぶやいた。


 荷物を肩にかけると、改札口を通り過ぎ、調布駅行の電車に乗った。そして、スマホを取り出し、LINEを開いた。和史のトーク画面を探すと、“おはよう!今、新宿に着いたから”とメッセージを送ると、和史から直に“了解”とメッセージが返ってきた。前もって到着時間を伝えていたこともあるが、和史は既に起きているようだった


 “それじゃあ、また後で”そうメッセージを打つと、広川はドア側によりかかり、外の風景を見始めた。広川は学生時代に、和史の家に行っていた時も同じような風景を見ていた。全く同じではなかったが、大きくは変わっていない通り過ぎる風景に懐かしい感情が胸に広がった。


 学生時代に一人暮らしをしていた広川は、自宅通いだった和史の家へ、たまに遊びに行っては、ご飯を食べさせてもらっていた。和史の母は、一人暮らしの広川を心配してくれて、いつも何か作っては帰宅する時に広川に持ち帰らせた。帰りの電車の中で、おかずの匂いがしないように、わざわざ保存パックにおかずを入れて、それから分厚い手提げ袋を用意して、広川に持たせてくれる優しいお母さんだった。


「今度来る時にまた持ってきてくれたらいいから」


 そんなことをふと思い出しながら、まだ早朝で席が空いていたので、近くの端の席に座った。座ってすぐに、少し眠気がし始めた。寝過ごさないように、スマホのアラームアプリで10分後にバイブが鳴るように設定して、目をつぶった。夜行バスでもかなり寝たつもりだったが、ホッとしたら眠たくなってきた。


 10分が過ぎると、ちょうどアラームのバイブが震え始めた。広川は眠い眼をこすり、暫く手で瞼をつまむように撫でた。そうすると、アナウンスが流れ始めた。“次は調布、調布でございます“


 改札口を通ると、和史に電話をかると直に電話に出てくれた。そして、和史がいるであろう場所を伝えてくれて、広川はそれに従い電話を耳に当てながら、進んで行った。歩いて1分位すると、横断歩道越しに、和史が大げさに体を左右に揺さぶり、手を振っているのが見えた。広川は耳に当てていた携帯の電話を切ると、負けじと大きく手を振りかえした。


 横断歩道を渡りながら、広川は、もうどう話そうかとは考えなかった。自然にあの頃の学生時代のままに話せばいいと軽く考えながら和史の方に歩いていた。


「こんな早く呼び出しやがって」


 和史は軽く拳を広川の肩に当てながら言った。


「いや、悪いな。まあたまにだし、これぐらいは付き合ってくれよ。」


「そうだな。朝も早いからなかなか店も開いてないけど、ここのスタバはもう開いているから、そこにいって軽く朝食でも食べるか?」


「いいね。じゃあ、それで。」


 朝7時頃にも関わらず、店にはもうお客が席に座っていた。まだ外は薄暗かった。


 広川と和史は、コーヒーを頼んだ。


「パンはどれにする?」


 和史は、ガラス越しに並べられているパンを指さしながら、広川に聞いた。


「和史と同じ分で、いいよ」


「お前はホント自分では決めないやつだな。


 まあいいわ。先に席に戻っておいて。俺が持っていくから」


 広川は頭を掻きながら、窓際のテーブル席に座り、和史がコーヒーとパンを持ってくる間、頬杖をつきながら待っていた。外を見ると、忙しく駅へ向かう人たちもいた。


「ほら、浩司。お前の分だ」


 その声に反応し、声の方に顔を向けると、和史が重そうにトレイにあるものを浩司に向かって持っていた。


「あ、悪いな。和史。ありがとう。」


 広川は照れくさそうに、言いながら、トレイに載っている焼きたてでふわふわしているクロワッサンと湯気が立っているホットコーヒーが入ったマグカップを受け取った。


 和史は、広川と相対するように椅子に座った。そして軽く、ホットコーヒーをすすった。


「ホント、久しぶりだよな。大学卒業してから、会ってないんじゃないかな?」


「本当に、そうだな。あれからもう10年位も経つって信じられないね」


「それで、何でまた久しぶりに俺に会おうと思ったの?電話ではあまりうまく話せないからって言っていたけど」


「まあ。それもゆっくり話すわ。今日はなんか用事あるの?」


「いや、浩司が久しぶりに東京に来るから、午前だけは予定空けてるんだ」


「そっか、悪いな」


 広川はそういうと、マグカップをとり、コーヒーを軽く飲み込んだ。そして、少し冷めたクロワッサンを噛みきり、口に運んだ。


「それにしても、懐かしいな。この風景。学生の頃、たまにここらへんまで、浩司を送っていたっけ」


「ああ…そうだったな。そんなこともあったよな」


「ああ……懐かしいな」


 和史はまた窓に顔を向けて言った。


「知らぬ間に。もうそんなに経つんだな・・・。時間が経つのも早いもんだな。」


「まあ、俺もそう思うよ。」


 二人はたわいもない話で笑い合った。時間を埋める何かが二人の間には存在していた。


 お互いの最近の話がひと段落すると、和史が何かを考えているような様子で、頭に腕を乗せた。広川も何か沈黙を楽しむように外を見た。しばらくして、その時間は短かったと思うが、和史が腕を下して、ゆっくり話し出した。


「そういえば、学生時代にアニーのミュージカルを観に行ったの、覚えてるか?」


 広川は、和史が突然昔の事を質問したことに不思議に思ったが、平然なふりをして答えた。


「ああ、中国語劇の作り方がわからないからって言ったら、ちょうどアニーの東京公演があるからって、勉強の為に連れてくれたの、覚えているよ。あれを観たおかげで、けっこう演劇の事がわかって良かったよ。内容も、とても印象に残ってるよ」


「ああ、良かったな。あの物語は。孤児だったアニーが最後に大富豪のウォーバックスの幼女になって、幸せな人生を歩もうというところで終わるんだけど……」


「ああ、そうだな。いい話だったな」


 広川は、和史が話を止めたことに違和感を抱いた。それで催促をするように、和史の反応を待った。


「まあ、なんというか」和史は少しずつ、振り返るように話し始めた。


「もしあの偽物の夫婦が、本当にアニーの両親だったとしたらウォーバックスはどんな人生を送ったんだろうって、想像するとなんか切なかったなぁと思い出して……」


「へぇ、そんなこと考えてたのかよ。」


 和史はちらっと広川を見ながら、少しコーヒーをすすった。


「ああ。もしそうなったら、ウォーバックスはまた以前と同じようにお金儲けの人生に戻るのかなって」


「そうだな……。俺はそんなこと考えたこともなかったよ…」


 広川は眉間に人差し指を当てながら考えてみた。そして、言葉をつなげた。


「俺なら、もしかしたら、その両親を恨んでたかもしれないなあ……、せっかくアニーが養女になって楽しい人生を送れると期待していたからな」


 広川は、そう言うと、外を見た。少しずつ、家族ずれの風景が見えはじめていた。そして、また和史の方を向きなおして話を続けた。


「その後のウォーバックスは、アニーと出会う前の様にお金儲けばかりを考えていたと思うよ。アニーの事なんてすぐ忘れたんじゃないかな」


 広川が言い終わると、和史は深く頷きながら話を聞いていた。そして、和史が真っ直ぐ広川を見つめながら、言葉を探すように言った。


「うん。そうだよな。俺も最近までそう思ってたよ……」


 和史は一呼吸置いて話を続けた。


「まだ話をしてなかったけど、学生の頃付き合っていた彼女がいただろ。ほら、あの頃、浩司にも紹介してたあの子」


 広川は、目をつぶりどんな子だったかと眼をつぶり思い出したが、うっすらとしか思い出せなかった。


「まあ、昔の事だから、覚えてないのも当然だけど」


 和史はハハッと笑った。


「俺、その彼女と社会人になっても付き合っていて、将来は結婚をしようと考えていたんだ」


 和史は、一瞬下を向いて、また広川を見た。


「彼女も同じように考えていたと思うよ。実際にそんな話もしていたから……。でもある時、たぶん26歳の頃だったと思うけど、夢ができたって言って、韓国に行くとか言いだして」


「突然だな」


 広川は、口の中のものが飛ばないように口を押えた。


「ああ、そうなんだよ。俺も当時はそう思った」


 そう話す和史の眼は笑ってはいなかった。


「なんか彼女が夢を語る姿に羨ましいなあとか思ったけど、やっぱり寂しくてかなり止めたけど、結局彼女は韓国にいってしまったんだ。そして、離れ離れになり、暫くは連絡してたんだけど、連絡が途絶えるようになって、俺らは別れたよ」


 和史はまた一呼吸置いて、話し始めた。


「当時はマジかよ、それって思ってたよ。そして彼女の事や彼女の夢を恨んだよ。俺の気持ちを無視しやがって、って荒れた時期もあったかな……まあ荒れたって言っても、非行をしてたわけじゃないけどな」


 和史は笑いながら、広川を見た。


「わかってるよ、そんなこと。しょうもないこと言うなよ」


 広川は何とも言えない冗談に右目をこすりながら、つっこんだ。


「でも、最近振り返って思うんだよ。あれはあれで良かったのかなって。彼女も彼女で今も韓国で頑張ってるみたいだし、俺はそれから今の奥さんと出会って、今の家族がいてまずまずの人生を歩んでいるし、きっとこれで良かったんだと思えるようになったから」


 和史は振り返るように目をつぶり、涙ぐんでいるようだった。広川は言葉を探してみたが、「そうだったのか。和史も色々あったんだ」というのが精いっぱいだった。


 しばらく二人の間に沈黙が流れた。店の中で流れていたBGMが更に大きくなって嫌に耳に入ってくる感じがした。


「さっきの話に戻るけど、ウォーバックスはあの後寂しくて、アニーの事が忘れられず、寝れない時期もあって、そして自分の仕事に没頭して、またなりふり構わず金儲けをした時期もあったのかもしれない」


 また和史は外をみた。広川は和史が、今その目の中に見えているのは、なんだろうと、その視線の先を見つめた。そうすると、和史はまた話し始めた。


「でも、途中で気付いたと思うんだ。あのアニーとの出会いを。短い間だったけど、楽しかった日々を。そして何より、その時期に一番幸せに生きていると感じたことをさ」


 和史はゆっくり言葉を選ぶように話を続けた。目線は、やはり外を向いたままだった。


「そして、このままではアニーが悲しむんじゃないかって。もしアニーとまた会う時に、こんな自分を見たら寂しくなるのじゃないかってな」


 和史はそこまで言うと少し息を吐いて、広川の方に向きなおした。


「まあ、これはあくまでも、想像だけどな。でもきっとウォーバックスはアニーがいなくなった後も、アニーと過ごした日々を思い出しながら、アニーの事を思って、お金儲けだけじゃなくて、孤児施設とかの慈善事業もしたんじゃないかな。そしてアニーとどこかで出会ったんじゃないかなって」


 和史は思い出したように付け加えた。


「あ、たぶん秘書だったグレースさんとも結婚してたりして。あ、これは映画でもそんな雰囲気はあったな」


 和史はそこまで言うと、笑った。

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