チーム語劇
ガンベン
第1話 雨の中の別れと再会
どんよりとした夕方の曇り空から、ぽつぽつと雨が降りてくる。しばらくすると、急に雨脚が強くなり、雨粒が地面から跳ね返ってきた。突然の雨に、周りの人たちも仕方なく近くの飲食店の庇やコンビニに立ち寄り、雨が通り過ぎるのを待っている様子だった。
広川もコンビニの庇に雨宿りして、腕時計を見た。時計の針が17時30分を指したところだった。まだ時間はあるなと思い、一安心して黒い雨空を見上げた。コンビニに駐車している車のボンネットに雨粒が当たる音が先程よりかは小さくなっていたが、雨が止む気配は一向になかった。
コンビニの中から透明のビニール傘を持ったスーツ姿のサラリーマンたちが出てきて、傘を差して急ぎ足で歩いて行った。広川はまた腕時計を見た。時計の針が17時50分を指していた。スマホを取り出し、大学時代の先輩の榎本啓太に教えてもらった圓谷の住所が書いているメモを見ながら、画面に住所を打ちこんだ。検索をすると、ここからまっすぐ南に徒歩一分で行ける距離だった。スマホをポケットに仕舞うと、また空を見上げたが、まだ雨が降り続いていた。ふーっとため息をつき、コンビニの中に入った。傘コーナーにある一番安いビニール傘を持ってレジにいき、店員に390円を手渡すとコンビニから出て行った。
傘を差しながら歩いていくと、圓谷と書かれている表札を見つけた。もう一度持っているメモを確認し、ネクタイの位置を左手で調整してから、インタホンを押した。すぐにインタホン越しに、はっきりとした声で返事があった。
「はい、圓谷です」
「どうも初めまして、広川浩司と申します。榎本さんから連絡を取って頂いた件で訪問させて頂きました」
「あ、広川さんですか。榎本君から聞いているよ。ちょっと待っていて下さい。」
中から急ぎ足で廊下を歩いてくる音が近づいてくる。その音が止まると、引き戸が開いた。白髪の初老のおじいさんが出てきて、やはりはっきりとした声で言った。
「どうも、遠いところからありがとうございます。英一の父の和幸です。固い話はぬきにして、中に入ってください。」
「こちらこそ、突然訪問してしまいどうもすいません。失礼致します」
広川はお辞儀をすると、傘立てにビニール傘をいれ、靴を脱ぎ、用意されたスリッパに履き替えた。そして和幸に案内されて突き当りの部屋に入っていった。十畳ぐらいの大きさの部屋でタンス等の家財道具が置いてあった。
部屋の少し奥まったところに仏壇があり、そこに圓谷英一の遺影が置かれていた。その周りには生前、英一が大事にしていたであろう遺品が置かれていた。広川は胸が詰まり、目下を軽く撫でて言った。
「このたびは、突然のことで訪問するのが遅くなり本当に申し訳ありませんでした」
「いえいえ。とんでもないです。はるばる来て頂いてご焼香をあげてもらえるだけで、本当にうれしいです。ありがとうございます」
和幸は、そう言うと広川の前に香炉と焼香を用意し、「どうぞ」と促した。広川は、畏まって焼香を香炉の中に入れて、手を合わせて英一の冥福を祈った。目をつぶると英一の学生時代の事が浮かんできた。合わせた手が震えて、ぎゅっと目を閉じるとまたゆっくりと目を開けた。さっき入れた焼香の煙が香炉から出てきていた。その先に英一の遺影があった。広川は一呼吸して、和幸の方を向いた。何か相応しい言葉を探したが、上手く言葉にできずに下を向くと、和幸が広川に話しかけた。
「今日は本当にありがとうございました。先輩の広川さんが来てくれて、英一も喜んでくれていると思います」
和幸はそう言うと、英一の遺影をちらっと見て話を続けた。
「私も突然すぎて、息子が駐在先の台湾で亡くなったと連絡が来たときは本当にびっくりして、言葉が出ませんでした」
広川は顔を上げて和幸の方を見た。遺影を見ているその横顔の目元がかすかに潤んでいた。
「しかし少しずつですけど、息子が亡くなったことを受け入れるようになってきました。ただたまに、この世に息子はいないんだなって、思う時もあり…」
和幸は、そこまで言うと、言葉を詰まらせた。
「お気持ちをお察しします。本当に何と言って良いか……。」
広川はそう言うと、英一の遺影を見つめた。二人の間に暫くの沈黙が流れた。そこにドアが開く音がした。
「お茶を入れてきたので、どうぞ」
そう言うと、身嗜みを整えた綺麗な女性が入ってきた。手元には湯呑みが置いているお盆を持っていた。そして机にお盆を置いてコースターを敷くと、その上に丁寧に湯呑みを置いて広川に一礼をした。
「英一の妻で、広恵さんです。」
和幸が広川に紹介すると、広川は緊張した面持ちで、広恵の方を見て言った。
「はじめまして。広川浩司と申します。英一君には学生時代に知り合い、色々とお世話になりました。今回は、訪問するのが遅くなり申し訳ありませんでした」
「いえいえ、とんでもないです。今日は遠いところ来て頂きありがとうございました。」
広恵は申し訳なさそうに、言葉をつないでいった。
「広川さんのことはよく英一君から聞いていたので、とても初めてとは思えないですけど、広川さんが来たと知ったら、英一君もきっと喜んでいると思います」
広恵は笑みを浮かべて英一の遺影の方向を見つめた。
「どんな話を英一君がしていたか分かりませんが……。」
広川は頭を掻きながら、湯呑みを持ち、「頂きます」と言ってお茶を口に運んだ。少し口につけると、遺影の近くにある英一の遺品や思い出の写真が気になり、目線をそちらのほうに移し始めた。結婚式の時の写真。学生時代に同級生で撮った写真。思い出の品々。茶色の封筒。そして一枚の写真が広川の目に留まった。そこには、当時広川が大学三年生の時に英一や、一緒に活動していたクラブの同期の人たち、後輩たちが映っていた。広川はそれを見ていると、改めて英一がいないことを実感し心が閊えた。
「英一君、たまに大学時代の話をする時に、彼が一年生の時にあった中国語劇の話をすることがありました」
広恵が懐かしそうに話し始めた。
「当時のこととか、その運営委員長をしていた広川さんの事も色々話をしてくれて……。なんか今ではとても懐かしい思い出になってしまいましたけど……」
広恵は一呼吸入れた。
「あの時のことを話す英一君の顔はとても活き活きしていて、うらやましいなって、思うことはよくありました」
「そうでしたか……」
広川は、広恵の顔を見ないように、目線を下げて広恵の方を向きなおした。また沈黙が流れた。
「広恵さん、そういえばもうすぐ英一の同級生が来る予定だったと思うけど、大丈夫かな?」
和幸が掛け時計を見ながら広恵に話しかけた。
「あ、そういえば18時30分ぐらいには来ると言ってたから、もうすぐ来るころだと思います」
ピンポーン。玄関からインタホンの音が鳴った。
「噂をすれば来たのかもしれないね。私が出て行ってくるよ」
そういうと和幸は、ゆっくり立ち上がりインタホンの電話を取り、誰かと話し始め、要件がすむと受話器を置き玄関に向かっていた。
「私のほかに誰か来る予定があったのですか?」
広川は嫌な予感がして広恵に尋ねた。
「あの、藤江勝さんって言う英一君の同級生です。たぶん広川さんも知っていると思いますよ」
「え、藤江も来ることになっていたんですか……。久しぶりですね……」
広川は自分が動揺しているのを気づかれないように、湯呑みに入っているお茶を全部飲み干した。少しずつ自分の鼓動が早くなるのを感じた。
「失礼します」
ふすまが開くと和幸の後に、藤江が入ってきて挨拶をした。藤江は、部屋の中に広川の姿が見えると驚いた様子だった。
「あれ、広川さんじゃないですか。偶然ですね。お久しぶりです。」
広川は、「ああ……久しぶりだな」と返事をした。藤江は学生時代と変わらないがっしりとしたスリムな体型で、黒い礼服を着こなしていた。
藤江は、和幸に促されて香炉の前に腰を落とし正座をすると、焼香を香炉の中に入れて手を合わせた。暫くすると、藤江は和幸たちの方に体の向きを変えて、正座している脚に手をついて力を込めたようだった。そして和幸たちに「お悔み申します」と話し終わると、広恵が藤江の前に湯呑みをそっと置いた。
藤江は会釈をし、湯呑みを手に取ると、少し口にお茶を含み、飲み込んだ。そして温かみを両手で確かめるように持ちながら、英一の遺影を見ると、懐かしそうに語り始めた。
同級生だった彼らの間には、沢山の思い出があり、卒業後も何度か英一とあっていたらしく、また広恵とも面識もあったことから、とても懐かしい話をしていた。さっきまでの重い空気が弾けた様に、和幸と広恵は笑顔になっていた。広川はその話を聞きながら、時折笑ったり、時折相槌を打ったり、時折淋しい気持ちになった。
広川は掛け時計をちらっと見た。後少しでここを出ていかないといけないと思っていると、和幸が言った。
「あ、そうそう夜ご飯を用意しているので、食べていってください」
それを聞いた広川は、慌てて言った。「いえ。新幹線の時間に間に合わないので、私はこれで失礼します。どうかお気をつかわないでください。」
広川は引き留めようとする和幸たちを丁重に断り、立ち上がろうとすると、藤江が呼び止めた。
「広川さん、せっかくだから、ゆっくりしていったらどうですか。僕も広川さんとも久しぶりに色々話したいし」
「いや、今日中には神戸の実家に帰らないと行けないから。また今度、ゆっくり話そう」
そういうと、和幸たちに向き直し言った。
「それではここで失礼します。今日はどうもありがとうございました」
玄関に向かおうとすると、和幸と広恵と藤江が玄関まで送りにきた。
広川は、靴を履き終わると「ここで失礼します」と挨拶をし、傘を取って引き戸をあけて出て行った。傘を差して駅に向かう途中で、コンビニで少しボーとしながら空を見上げた。
暗くなった雨雲の中からぽつぽつと雨が降り続いていた。広川はおもむろに、鞄を開けて一枚の写真を取り出した。それは、英一の家で見た写真と一緒の大学時代の写真だった。そこには、まだ若かった広川や英一、他の同級生、後輩たちが笑顔で映っていた。広川は暫く下を向きながら、その写真を見ていた。その写真に水滴が落ちた。広川は頭をあげると、目元をこすりまた傘を差して、駅に向かって行った。
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