第2章 反撃 6

    6


 峠越えの谷道はよく人馬で踏み固められ、整然として夜闇にあった。キースヴァルトの陣営がホスロイの町の廃墟の中に燃え続けているのを尻目に、与一とファルシールは、一路サキュロエス街道へと急いでいた。


 2人を先頭に、キースヴァルトの馬が長蛇の列を成して続く。さすがのファルシールの馬も一昼夜駆け続けた疲れが出たのか、勾配が急になると歩みを遅くしていた。


「そなた、そろそろ馬を替えよ。この峠越えにはそなたは重い」


 与一は鞍のない場所に乗っていて、あまりの不安定さにファルシールの鎖帷子の端を握って支えにしていた。ファルシールが馬の足取りの事と合わせて不快感をあらわにしていることは、与一には簡単に想像できた。だが、思った以上に神経を使った悪巧みのせいで疲れて、なにもしたくない思いが先に発つ。


「ええ......でも降りたら歩きじゃん。鞍がない馬なんて俺乗れないし」


「馬鹿を申すな。このままでは遅すぎて奴らに追い付かれるではないか。鞍が付いたままの馬もある。探せ」


「そこを何とか頼むよ~」


 与一はファルシールの防具の隙間から脇をくすぐった。


「おい、こら!? やめ......! ふっ......ははははっ!」


 峠をくり貫いて出来た谷にファルシールの幼げな笑い声がこだました。


 ファルシールは振り返って与一を睨んだ。


「いらぬ事をするな! 本来であれば同乗すら許さぬところを、特別に乗せてやっておるのだ! 今すぐ蹴り落とすぞ!」


「いや、そりゃ困る」


 与一は深夜テンションに入り思考力が低下していた頭で、ぼうっとまたくすぐる構えをとったが、後ろの馬群から若い男の声が聞こえてきてにわかに焦った。


(まさか追っ手がもう......!?)


「おいあんた、後ろから声が聞こえてくる」


 ファルシールはそう聞くとすぐさま身構えたが、言葉がシャリム語であることに気付き、怪しんだ。


「キースヴァルトではなさそうだが......」


 目を凝らして後方を見ると、馬の群れの中を1人の男が手を振りながら向かってくる姿が見えた。


「そこの二人! ちょっと待ってくれ!」


 徐々に近づいてくるその男はそう叫ぶと、ゆっくり与一たちの前まで馬で歩み寄って両手を挙げ、害意がないことを示した。若い男で、栗色の髪に緑がかった眼と白い肌。ファルシールとはまた違った顔立ちで、全体的に細いが薄いというほどでもない体躯。女受けの良さそうな顔にわざとらしい笑みを浮かべている。


(なんか胡散臭い......)


 与一は何となくそう感じた。


 ファルシールはすかさず短剣のつかに手を掛けていた。


「おっと、怪しむのはもっともだが、俺はキースヴァルトの者じゃない」


 困ったように男は言う。


「名は?」


 ファルシールは皇族として表情を変えず毅然として問うた。男は少年に気の強い態度で迎えられて何か察したらしく、傍目からは気づかないほどかすかに目を細めた。


「私はシャリム皇国の庇護のもと西方との交易をあきなわせてもらっておりますイグナティオ=スー=スーシと申します。御身は拝察するに高貴なお方と存じ上げます。敵地ゆえ馬上にての非礼、ご容赦願いたく」


 男は恭しく馬上で頭を下げた。


(へえ、察しが良いな......)


 与一は感心したが、ファルシールの表情は変わらず男を上から見下すように冷ややかである。ファルシールは男の名乗りを無視して圧をかける。


「キースヴァルトではないとして、シャリムの者である、とも言っておらぬな」


 ファルシールは与一にも向けたように言葉で棘を刺す。男は参ったな、と溢して頭をさすった。


「はい。ご明察の通り、両親はシャリムの者ではございません。今はメギイトにて商会を開いております。ですが、育ちはシャリムでございます」


「妙ななまりもない故、出自はまことであろう。して、何故ホスロイより出で来た。町の者の生き残りでもなさそうだが」


「恥ずかしながられっきとしたと申しましょうか、生き残りでございます。東方よりひと月掛けて皇都アキシュバルへと交易品を運んでおりまして、峠越えの前の休みとしてホスロイに寄りましたらキースヴァルトの襲撃に遭いました。なす統べなく隠れておりましたら捕まり、縄をかけらテントの中に押し込まれておりました。そこにあの騒動が起こり、兵士の目を盗んで命からがら逃げて参った次第です」


 男は眼下で未だに燃えている陣営に振り返った。


「キースヴァルトにしては寛容とも言えるな。そなた1人だけ生かしておいたとは」


 ファルシールはそう言って冷笑した。男もファルシールと一緒に「恥ずかしい限りで」と笑った。与一が恐ろしかったのは、ファルシールの目が男を睨んで全く笑っていないことである。男もファルシールが心から笑っていないのを知っていて、わざと気づかないふりをしているようだった。


(なんかこいつ、すっごい男に突っ掛かるな......怪しいのは理解わかるけど)


 与一は疲れで身体が重くて仕方がなかったが、うとうとと眠り目になりながらも口を開いた。


「ああ......と、先を急いだ方が良いんじゃないか? ここで止まってても時間の無駄だと思うけど......」


 そう割り込んだ与一に男は目線を移した。


「あなたは?」


 男はファルシールの身分はともかく、与一の姿と言動が不思議なようだった。高貴な人物と同乗できるだけの身分があるのか、男は探っていた。


(しまった......。名乗らないといけないパターン......)


「俺は──」


 言いかけてファルシールが与一の口元を塞いで止めた。


「そなたが名乗っている上で、余らが名乗らぬの無礼であろうが、いささかそなたが信用に足らぬのでな」


「それもそうですな」


 男は笑って頭を下げた。ファルシールは男を横目で睨むと、馬の頭を返してサキュロエス街道に向けた。


「先を急ぐ」


「皇都、で?」


「さてな。付いてくるなら好きにせよ」


 ファルシールは、だが妙ながあれば容赦はしない、と続けるのをやめておいた。その代わりに自分の短剣アキナカをそれとなくちらつかせて男を牽制した。男は笑みを崩さない。


(ここまでしておけば、大丈夫だろう......うん)


 ファルシールは道の先を見据えると、馬の腹を蹴った。


 しかし、馬が進み始めると同時にファルシールの背中に何かが軽く当たった。与一が頭をファルシールの背中にもたげてきていたらしかった。


(先ほどから眠そうにしておったが、この賢者もどき、もしや私の馬で寝入ったのではないだろうな......)


「おいそなた何をしている。頭を起こせ。馬を駆りづらいだろう」


 与一の返事はない。


 ファルシールはまた与一を呼ぶことになって苛立った。


「おい、また耳を引っ張られたいか。おい──」


 ファルシールが振り返ると、均衡を失った頭がずれて、与一の身体は力なく馬から地面へとずり落ちた。


「......」


 ファルシールはすぐさま馬を止めた。


「何をしておる! 寝るとして、何もここで寝なくとも」


 起こそうと呼ぶが、与一の様子は明らかにおかしかった。眠っているにしては息が荒いのだ。


 ファルシールは怪しく思って馬を降りると、与一の横にしゃがんだ。


「そなたどうした? 具合でも悪い──」


 肩をさすると、手のひらから人肌では尋常でない熱が伝わってきた。


「そなた大丈夫か! おい! 返事をせよ! おい! おい!!」


 半月の明かりは夜明け一刻を前にして、西の空で雲に陰っていた。















 

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