第2章 反撃 3

    3


 町の西側に設けられた野営陣地には、交代で掃討にあたっていた非番のキースヴァルト兵600人が戦勝の甘美な余韻に浸りながら眠っていた。町の外周に沿って並べた篝火の横では、ハズレを引いた監視兵が外敵の警戒をしつつ、あくびを噛んでいる。


 キースヴァルトにとって先のシャリムとの戦は、完璧と言って違いない勝利であった。故に掃討という事後処理は、煩わしいことこの上ないやっつけ仕事であった。


 組織力を失った敵兵を、再び集結させることなく散らせ、各個に殲滅していく作戦が主な指針であるため、哨戒に出た部隊の報告によって、逐次兵力を森へと投入する。


 先刻から相次ぐ敵の残党見ゆとの報告は、司令部の勝利に薄れた集中力を知らぬ間にさらに削り続け、反応の低下を呼び込んでいた。そのため、外周警戒の監視兵から敵襲の報が入った司令部は、すぐさま対応することが出来なかった。


 掃討部隊の指揮を執るキースヴァルト騎士長フラジミルは、町から略奪した品々に囲まれてうたた寝をしていると、突如テントを突き破って馬の大群が雪崩れ込んできてので慌てた。


「な、何事か!?!!」


 辛くもテントの骨によじ登って難を逃れたフラジミルは外を護衛していた部下を呼びつけた。


 馬に踏まれ蹴られてぼろぼろになっていながらも、上官の問いに答えた兵士は「て、敵襲です!」と叫んでから倒れこんだ。


 フラジミルは崩れたテントから外に出て陣営を自分の目で確認する。


 すると漆黒の闇の中、食糧を蓄えている臨時倉庫のテントが燃えているではないか! 殲滅部隊が町から奪った食糧に加え、自前のものが納まったテントまでもが赤々と燃えているのだ。炎に照らされて赤く染まった煙が夜の闇に濛々と立ち上っていた。


 さらに、鎧もまともに着ていない寝姿そのままの兵士たちが、自分たちの馬に追われて、ビー玉を当てるように逃げ散っている。


「見張りは何をやっていた!?」


 フラジミルは怒鳴り散らすが、回りにいる者からの回答は得られない。


 しばらくしてから伝令の兵士が到着して、フラジミルはようやく詳細を知る事になるのだが、その伝令も何者かが侵入して馬を放ち、食糧倉庫に火をつけたという曖昧なもので、要領を得られない。しかし、そこに居た誰もが、脳裏にシャリムの残党の事を浮かべていた。


 フラジミルは兵たちに持ち場に戻って鎮火するよう命を出すが、もはや自分もいつまた馬の大群に飲み込まれるか分からず、ちゃんとした指令が出せなかった。


 何も出来ないまま、ただ敵襲を報せるかねだけが鳴り響く。


 暗闇がより混乱を広げ、陣営の中は、指揮官にとっての地獄絵図であった。


 そしてこの状況を作り出した張本人こそ、与一と少年であった。与一たちはまさにこの状況を狙っていたのだ。


 郊外の森から9騎の馬を猛烈に加速させて外周警戒の隙間を通過し、町の西側にある野営地に駆ける。森の中だから騎兵の突撃は受けないだろうと、ろくに馬防柵も整えられていなかったのが、与一たちに味方した。


 その途中、置いてある篝火かがりびから火種をもらい、先程準備していた馬の頭に括りつけた木の棒に点火する。木の棒は小枝を介して燃料である馬糞に引火し、松明と化す。


 9騎の炎を携えた騎馬が目指すのは、兵士たちの寝静まるテントではなく、キースヴァルト騎兵の馬を駐めている厩舎きゅうしゃである。


 敵が油断しきっていたのと、大半の歩兵が掃討に出払っていたことで、特に抵抗も受けることなく、与一たちは柵で囲ってあるだけの厩舎へと辿り着く。


 柱に繋がれたた馬たちは、まっしぐらにこちらに向かって走る雷光のような炎の筋に驚いて暴れだす。そこに、これ見よがしに少年が馬を柱に繋ぐ綱を短剣で断ち切ったので、あやつり手の居ない軍馬は本能のままに逃げ始める。


 冷静を欠いている軍馬の前に、急ごしらえの柵は紙同然であり、瞬く間に軍用、運搬用、合わせて500騎の馬の大群が炎とは反対の方向、つまりキースヴァルトの兵士が眠るテント群へと駆けて行った。


 寝込みを蹴りあげられた兵士たちは、暗闇の中で訳も分からずに、500騎の馬に蹂躙された。


 その隙に、与一たちは予め場所を確認しておいた食糧倉庫のテントへ向かい、容赦なく火を放って回った。


 中学の時に習った日本史の倶利伽羅峠の合戦を応用したものであった。


 炎を冠した馬とともに、逃がした馬を追い立てては、通りすがりのテントを燃やして行く。


「燃えろ燃えろ! せいぜい派手な花火を散らしてみろぉ!!」


 調子に乗った与一が、興奮に任せて雄叫びをあげる。本人は無自覚であるが、昼間と同様に物語の途中てよく退場する悪役の吐きそうなセリフを口走っている。


 横を駆ける少年は与一の豹変ぶりに少し驚いていたが、感化されて己も溜まっていた思いをぶち撒け始めた。


「この卑劣漢め! 先の敗北と惨殺された民の仇!」


 怒涛のように攻め立てる2人であったが、流石にキースヴァルトも子供ふたり相手にそこまで気骨が無いわけではなかった。


 数人の武装した兵士が、馬の大群の隙間を縫って与一に襲いかかった。一番声をあげていた与一に矛先が向くのは当然である。


「シャリムの蛮族め!」


「おわっ?!」


 槍を突き掛けられた与一は寸でのところで胴を貫かれそうになるが、兵士たちが横から突進してきた馬に跳ねられて槍先が服を掠めるに留まった。だが、バランスを崩して落馬する。


「かはっ......!」


 背中から落ちて後背を強打した与一は、空間から空気が失せたような感覚に襲われて呼吸が出来なくなった。息を吸おうとしても、肺が動こうとしない。


「あ......ぁ...あ」


 与一は少年を呼ぼうとしたが、声にならない喘ぎが出るのみである。


 与一から先程までの興奮は見る影もなく消え去り、途端に死の恐怖に取り憑かれた。


(なんだこれ!? これ、ヤバ......いっ)


 周りの音が耳に栓をしたように遠くなり、心音だけがけたたましく脈打って聞こえる。


(落ち着け、落ち着け落ち着け、焦ったらダメだ!)


 このまま地面に横たわっていると、自分たちの放った馬に踏み殺されかねない。なんとかゆっくり呼吸することを意識してみる。


 走り抜ける馬の群れに囲まれて、いつ踏まれるかを案じながら冷静を取り戻そうとする。


 そこに先程の兵士が落馬した与一を見つけて、起き上がった。


 勿論与一にも見えている。


 のっそりと立ち上がると、腰に下げた短剣ダガーを抜いてゆっくりと与一に向かってくる。


 瞬時に与一の脳裏にキースヴァルトに惨殺されて山積みにされた焼死体の光景が浮かんだ。


(ヤバいってヤバいってヤバいって!!)


 焦れば焦るほど息は出来なくなる。


 やがて兵士は与一の目の前まで辿りつき、剣を振り上げた。与一は、殺す対象を前にしてにやけ顔ともつかない狂気じみた笑みを浮かべて強烈な殺気を放つ兵士の顔をただ見ていることしか出来ない。


(や、やめ......っ!)


 その時、倒れていた与一の顔に紅い飛沫しぶきが飛び散った。目に入り、反射で目をつむると、与一の上に丸太を倒したような重い衝撃が乗った。その衝撃で、与一はようやく息を吹き返した。


「がはっ......!」


(俺、生きてる......?)


 吸い込む空気には焦げ臭い匂いが混じっているが、随分と久しい間息をしていなかった気がして、与一は生きていることを不思議に思った。


 与一は目にこびりついた飛沫が取れなくて、少しの間目を擦っていたが、何故かこの間だけは、周りの音が聞こえず変なくらい落ち着いていた。


 だが目を開けて、周りの炎と、紅いフィルターを通して見ているような光景を目にして、与一は平静を保てなくなるのだった。


(なんだ......これ)


 先程与一を刺し殺そうとした兵士が、短剣ダガーを地面に投げ出して与一にうつ伏せに力なくのし掛かっている。


 兵士の顔には血の気はなく、腹部を通して感じる鉄鎧の冷たさには、生温かな熱しか感じられない。その体がまるで"もの"であるかのように無機質に感じられた。


 与一はその兵士を退けようとしたが、兵士の肩を触った左手は、粘り気のある液体に触れた。


 手のひらを見てみると、べっとりと紅い液体に塗り潰されている。


 与一に物言えぬ戦慄が走った。


 それは確かに血であった。動かない兵士と、その身体から流れ出る紅い液体。その情報だけでも容易に想像がついたが、意識して結論を遠ざけたくもあったせいで、思考が停滞した。


 そのため与一は何も思う事なく、ただ起き上がって兵士だったものの死屍ししを自分の上から退けた。


(これが死体、か......)


 与一の呼吸は穏やかだった。


 遠くから少年の声が聞こえているような気がした。






 
















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