第7話 別れと約束

 さやさやと葉ずれの音を響かせながら、風が玉姫殿を抜けていく。

 風の色も頬に冷たく、迫りくる冬の気配を感じさせた。

 上月は一人、月夜に外を歩いていた。

 夜、外をうろつくことは上月にとっては稀有なこと。

 何やら胸騒ぎがし、夜風にふかれたい気持ちになった。

 ここは、昔流れてくるほうずきの錦を眺めた川のほとり。

 川べりに腰を下ろすと、上月はぼんやりと夜空を眺めた。

 切れそうな程とがった月に、一筋、二筋の雲が流れている。

 月明かりは雲の流れによって差したり、遮られたり。

 斑な夜のしじまに、上月は身をまかせた。


 どれくらいの刻限がたっただろうか。

 何度目かの光影の交錯の合間に、一人の人間の姿が浮かび上がった。

 最初は月光の逆行により影絵のように、そしてその人影に除々に光りがあたり、それは見知った者の姿を浮かび上がらせた。


「……真安?」


 そこに佇んでいたのは、寺の息子・真安であった。


「どうした、こんな時間に」


 上月は不審に思って声をかけた。

 こんな時間に真安が訪れることは今だかつてなかった。

 さらに、いつもにやけた笑みを浮かべている真安の顔には、こわばった無表 情が浮かんでいるのみ。

 何やら不安な気持ちになり、上月は真安に近づいた。


「いつからそこにいたんだ?

 ……何かあったのか?」


 いつもと様子が異なる真安に、上月は珍しくおろおろと、心落ち着かなかった。上月の前では真安は、いつも根拠のない自信に溢れ、不真面目で強引なのだ。

 その時、そっと顔を覗きこむ上月を真安が引き寄せた。


 上月は視界の突然の暗転に目を丸くし、自分を包む暖かさに次第に状況を把握しはじめた。

 自分は真安に抱きしめられているのだ。

 まだたかが八つ。

 色気づくにはまだまだ早いが、一応これは由々しき事態であるということは知識にある。

 子供ならではのつたない動作ではあるが、間違いなく上月は真安に抱かれていた。

 真安のいつもの悪戯か、と驚いて顔をあげると、そこにはいつになく真剣な真安の顔があった。


「……しんあん?」


 呆然とした声を出す上月をもう一度強く腕に抱くと、その耳元で真安は静かに言った。


「上月。俺は邑を出る」


 一際強い風が2人の横を通りすぎる。

 周囲の木がいっせいにざわざわと葉を鳴らした。

 その後に再び戻る静寂。

 上月はわけもわからず、真安の袖を握り締めた。


「……どうして?」


 邑を出て行く若者がいることは実は珍しくない。

 裕観の邑は閉鎖された面白みのない空間。

 ある程度の年齢に達すれば、おのずと邑を出て一旗あげたいと思う若者がいるものだ。

 もっともそのうちの何人が、無事に邑の外の世界に生きて出ることができるのか……。

 しかし、上月には真安が邑を去るという事実は、そのような通例と照らし合わせることはできなかった。


「……どうして、どうして!どうしてっ!」


 最後は泣き声になりながら、上月は真安の袖を強く握る。

 上月の身体から腕を離し、ひざまづいて上月の顔を仰ぎ見るようにして真安は言葉を続けた。


「戻ってくるから。

 ぜったい戻ってくるから、お前はここで待ってろ」


 いつになく優しく、寂しげに言う真安の前で上月は泣きじゃくった。


「……いつになったら戻ってくる?」


 頭のどこかで否定しながらも、上月にはこれが長い別れになることは理解できた。

 恐らくは、昼間にあった僧たちが真安をつれていってしまうのだろう、ということも。しかし、そんなことより上月の心の大部分を占めているのは、自分でも驚くほどの悲しみと寂しさだった。


「長くなるかもしれない」


 上月から目を離さずに、真安は告げた。


「でも、お前が十六になる頃には必ず戻ってくる」


 片目ずつ色の違う瞳。

 真安が異端と呼ばれる理由の一つである碧と蒼の目が、しっかりと上月の漆黒の瞳をとらえて宣言した。

 まるで制約をたてるかのように。


 その夜から、邑外れの寺には和尚が一人、住まうだけになった。

 何年も、何年も。

 上月も神社の敷地から殆ど外出することはなくなった。


 世俗の波から取り残されたこの邑にも時の流れは訪れる。

 異端の子供の存在は人々の記憶の中から忘れ去られ、そして長い月日が流れた。

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