抱きしめたい
時間というのものは時に残酷だ。
なんて言い回しを俺は今日、思い出した。
「葵~~、準備できたかぁ?」
「ん、ちょっと待って~~、もう少し!」
あの日から二日。
あんなにも眠りずらい日は今までなかったはずなのに、なんなら大学受験の合格発表の時の方がまだ眠りやすかったくらいに、目が覚めてしまって眠らなかったあの日から二日が経った今日。
俺はいつになくお洒落な格好をして、玄関で一人スニーカーを履いていた。
この前まで、世間がやれゴールデンウィークが、桜が綺麗だ―—なんて抜かしている中、俺は葵との関係に少し不安を感じていたというのに……時が過ぎればその気持ちも薄れ、いつの間にか俺もその有象無象になっていた。
まったく、人間の順応力というものはここまでにすごいものなのかと感心するくらいだ。過去最高の心臓のバクバク、脈拍までもが今では不思議なくらいにゆったりとしていてむしろ悟りを開いているくらいだ。今から比叡山延暦寺にでも行けるくらいには落ち着いている。
そんな下らないことを考えながら俺はスニーカーを履き終え、玄関脇の靴箱に肘を掛けながら葵が来るのを待っていた。
「あいつ、素で可愛いのにすることなんてないだろ……」
「——ん、なんか言った?」
「っ⁉ あ、あぁ別に……遅かったな」
「ん、まぁねっ! 今日はせっかくのデートだし、はりきっちゃったかも……」
「お、おう……」
彼女の笑顔に圧倒され、後ずさりする俺。まったくもって情けないがその美しさ故、仕方ないことだと思ってほしい。
いくら幼馴染とはいえ、長い時間を一緒に過ごしていたとはいえ……年が違う。あぁ、この前もそんな話した気がするが——とにかく男と女、あくまでもそんな関係なんだ。
腰辺りまで伸びる銀色の髪を後頭部で二つに結び、さらりと流すその髪型。
ツインテールと言った方がいいかもしれないが、その域は単なる可愛さを超えている。背は低いものの、胸の大きさ相まって凄まじく、絶妙に色っぽい。しかし、それでいてどこか清楚感漂う真っ白なワンピース。
わがままだと思うが、今年の夏もこれで海に行きたい。
この白ワンピースに、銀髪ツインテールで二人で海に行きたい。
大事だから二回言った、ここテストに出るからな。
「ん、どうかしたかな? 私の顔になんかついてた?」
「……んあ、いややややっ! 別にそういうわけじゃない! あはははっ……」
「そ、そう? ならいいけど……」
「おう……ただ、葵が可愛くてな」
「っ——か、可愛いって……」
「まあな」
「そ、そう……ありがとっ」
「あぁ」
「ま、いいから早くいこ! 早めにいかないと場所無くなっちゃうし、ほらっ」
そう言って扉を開け、俺の方へ振りかえって手を伸ばす葵。
そんな姿に呆気にとられたがすぐにその手を掴む。
すると、葵は掴んで手をぎゅっと握り、ニコッと微笑んだ。
どうでもいい一シーンでも、まるで漫画や映画の一シーンのように美しかったその表情はおそらく、俺は一生忘れない。
北海道、さらには札幌市のお花見と言ったら北海道神宮、円山公園の桜を置いて他にはないほど。俺たちは昔着たことがある円山公園の桜に目を付けて、地下鉄東西線に乗り込んだが案の定、GW1日目の車内は凄まじい熱気であふれていた。
「うぅ……あつぅ」
「あぁ、そうだなっ……人もめっちゃ」
「あ、ちょっと押さないでっ、髪が」
「ごめっ―—うわ! あ、すみません」
「よ、よりすぎじゃ……」
「すまんっ……だが、後ろから押されてそれどころじゃっ」
まさにおしくらまんじゅう。
後ろから押されて端に追い込まれた俺は葵に覆い被さるような形で壁に手をついていた。
あまりにも近い距離で吐息も、まして匂いも感じる。汗でべっちょりしているはずなのに不思議といい匂いに感じるのは俺の鼻がバグっているからだろうか? しかし、そう考えれば考えるほど葵の匂いが鼻腔を刺激してくる。
どうしたものか……と悩ませていると、葵が俺の手を握った。
「も、まぁいいけど……」
「うぐっ―—なんで引っ張!?」
「だって、ほら仕方ないしっ……」
「そ、か、髪が絡まったりしちゃうんじゃ」
「やっぱり、大丈夫だからっ。ほら、もっとこっち」
「うっ——‼」
「こ、これで……大丈夫……暑いのは我慢して」
やばい、心臓がバクバクだ。
朝言ったこと全部訂正、俺の心臓が今にも弾けそうだ。
あまりにも距離が近すぎる。吐息どころじゃない。
近い? いやもう、当たっている。何がとは言わないが——女子の象徴がちょうどお腹当たりに当たってもう、ヤバすぎる。変な背徳感もすべてひっくるめて俺を蝕んでいて、不思議と気持ちがいい。
いや、てか……柔らかすぎねえか⁉
おいおいおい、ハグした時に女の子の体の柔らかさは何となく分かったが——まさかこれがこんなにも柔らかいとは……世界的発見すぎて俺の身に余る。
というか、クッションか?
ふわふわなマシュマロか?
ポニョポニョのバルンバルンか?
ていうか、これ食べてもいいのか?
そんな疑問というか願望というか、おかしな考えが俺の頭の中ではぐるぐると回っていた。
「っ……」
「あっ……」
「あ、喘ぐなよっ」
「別に喘いでないっ……」
感触もそうだが、というかこの白ワンピースが駄目だ。真夏のように湿気と厚さが絡んだこの車内で10分。
汗がしたたり落ちて、葵の顔中水滴だらけだ。
というかもう、真っ白な生地が肌にくっついて下着の色が丸分かりだ。
——葵は赤、か……情熱だな……って感心している場合じゃない‼‼
普通に見えてる時点で、この距離なら尚更だ。まわりの大人たちに幼馴染の下着など見せるわけにもいかない。
そう考えているといつの間にか、心臓のバクバクが不思議と止まって、体が勝手に動き出していた。
「葵、ちょっとごめん」
「——え、あっ」
「頼む、ちょっとだけ頼むっ——」
そう言って、俺は葵の下着を隠すように先ほどよりもより近く、より強く抱きしめた。
——やっぱり、落ち着きは気のせいかも。
でも、ここまでやって離れるわけにはいかない―—そんな小さいプライドに踊らされて、俺は再びぎゅっと抱きしめる。
「っ……」
とくん、とくんと脈打つ中。
黙り込んだ葵のその柔らかさに身を委ねた俺は不安と期待と緊張感に支配されていくのだった。
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