第三章
第24話 夜は明けた
ヘムカが家に戻った頃には夜が明け始めていた。あれだけ沢山降り注いでいた雨は、まるで嘘だったかのように散っていった。
とはいっても、まだ五時。人通りは少ないため、ヘムカも無事に誰にも見られることはなく家の玄関前へと到着した。樹は寝ているだろうと考え、起きてから話をしようと決心し扉を開ける。
「ただいま……」
小声で呟きながら玄関ドアを開けるが、玄関に誰かが立っているのがわかった。及び腰でその人物の姿を確認する。
「ヘムカ……? ヘムカなのか?」
立っていたのは、樹だったのだがどうもいつもの樹らしくはない。
何やら深刻そうな顔をして、ヘムカを見つけるなり間髪を入れずその場に泣き崩れてしまった。
わけもわからず嗚咽を漏らす樹に、ヘムカはどうしていいかわからなかった。
「わ、私だけど……。どうしたの?」
とりあえず、樹の側まで来て質問の返答をする。
背中を擦ったりして宥めようとするが、樹はヘムカを抱きしめた。
樹は歔欷の声を出しつつ、どんどんヘムカを締め付ける力が強くなっていく。
「ちょ、ちょっと!?」
ヘムカは当然動揺した。元男だったとはいえ、八年も前のこと。
父親を除いて異性に抱かれたことなど、現世では初めてだった。抵抗もできそうになく、ただヘムカは樹のなすがままにされる。
とはいえ、ヘムカが樹に感じるのは親愛や家族愛に近いものであり、ヘムカとて嫌なものではなかった。
やがて樹が落ち着きを取り戻すと、ヘムカも落ち着きを取り戻す。
ヘムカには、樹が何を思ったのかはわからない。けれども、この慌てよう。きっと樹は何か過去に何かあったのだと強く悟る。
今までお互い不干渉だったが、今回はどうしてもヘムカの過去を話さねばならない。そうなればその不干渉の協定は崩れ去る。もし、樹の過去を知れば何か役に立つのかもしれない。今までヘムカは樹にいろいろと助けられていた。だからこそ、ヘムカは樹のことを強く知りたいと思えたし力になりたいと思えた。
手を伸ばすと、頭上にある蓬髪を丁寧に撫でる。
「大丈夫?」
樹は感極まったような顔のままヘムカ見下ろした。
さすがのヘムカもそんな顔で見られるとは思ってなかったようで樹のことを心配する。
「ありがとう」
わけもわからず感謝され、困惑し首を傾げた。
「なら、よかった?」
樹はヘムカから離れると、その場に座り込んだ。泣きつかれたのもあるし、何よりこのようすだと樹は寝ていない。ヘムカがいないとわかってからずっと探していたのだろう。
「ごめん、どうかしてた。とりあえず、ダイニング行こう」
樹は呼吸を整えるとそのままダイニングへと向かいヘムカも同様に向かう。コップに水道水を注ぐと、そのまま一気飲み。そして、樹とヘムカはダイニングにある互いに反対の位置の椅子へと座った。
「ごめんね。僕と一緒の生活、嫌だったのかなって」
「そんなことない。私は、佐藤さんと一緒に居たい」
誰と一緒であれ、この姿では碌に外出すらできない。それを同居人に言っても仕方のないことである。
それに、ヘムカの居場所なんてない。居場所を探すとは言ったが、ヘムカはずっと樹の側が良かった。まだ全てを明かせてはいないが、世界で一番信頼できるからだ。
「本当?」
いつも物怖じしている樹だが、このときばかりはとても弱って見えた。ヘムカは優しい言葉をかけることにする。
「うん、本当だよ。そして、ごめんなさい」
ヘムカは樹に向かって頭を下げた。夜中に外出はあまり褒められたものでないのは理解しているし、何より今の自分は見つかると大変なことになるかもしれない存在で八歳なのだ。
前世があったことを樹に伝えてはいないが、心配されるのは当然だろう。
「でもまあ、ヘムカが無事でよかったよ。で、どこ行ってたんだ?」
安堵の言葉を告げると、樹はテーブルに両肘をついて本題に入る。
「その前に、一ついい?」
ヘムカも本題には入りたいが、その前に一度自分のことを話さなければならない。
「何だ?」
「羽黒市で起こってる殺人事件や不審者」
その言葉を聞き樹は息を呑む。
「私が原因かもしれない」
「どういうことだ!?」
樹は思わず椅子を蹴飛ばすように立ち上がり両手で強くテーブルを叩いた。
一応ヘムカは驚くのを避けて冷静な話し合いをするために遠回しに言ったつもりだったが、驚くのは避けられないようだった。
ヘムカは手のひらを見せその場で優しく押すようにし、樹を落ち着かせる。
「落ち着いて聞いて。まず、私は人間じゃなくて亜人っていうのは以前言ったよね」
ヘムカと樹が本格的に話し始めた初日に、ヘムカは亜人について簡単に語っていた。それは樹も覚えているらしく「ああ」と答えた。
「で、亜人はこの世界にはいない。別の世界に住んでいるの。で、私も元々そこの世界にいたけどあるとき、歪からこっちの世界に来たの。羽黒市を騒がせている不審者も、みんな私のことを探しに来ているんだと思う」
樹には信じられない話ばかりであり、頭を抱える。しかし、ヘムカからすれば予定通りの反応だ。いきなりそんなこと言われて素直に受け入れられる人などいるわけないのだから。
「あんな大掛かりで? となると、ヘムカは王女とかそういう立ち位置なのか?」
大人数が必死にヘムカのことを探している。庶民の子であっても家族は探そうとするだろうが、大人数の動員は不可能である。そうなれば、金や権力のある家庭を想像するのは仕方のないことだ。
「その逆、底辺中の底辺。奴隷なの。ある人に買われたけど逃げ出したから、いろいろ探しているんだと思う」
ヘムカは表面上は乾いているとはいえ、夜間ずっと雨を吸収し続けた重たいパーカーを緩めて首枷を見せつける。
樹も首枷のことは理解していたが、最近はすっかり見慣れてしまっていた。
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