第二章(4) 融通が利かない
融通が利かない
*
なんとか別行動に持っていくことが出来、リアナはふうと息をついた。
ノアに理由として言ったことは嘘ではないが、それが100%の理由というわけでもない。単に探偵助手を名乗りたくないという以前に、ノアの目があると動きづらい場面があると予想したからだった。
さらには、既に何人かに接触した際に、「タネ」は蒔いてしまっている。勝手に向こうから情報を出してしまうような、心の内側に入りやすくなるような、そんな仕掛けを。その作業をノアに見られるのはなるべく避けたい。
リアナは確かに能力を使い「見て」しまうことを好んでいないが、この能力を厭んでいるわけでは決してない。むしろ必要とあらば、一番効果の高い方法で使う。だからこそ、ノアと一緒に行動することが憚られたのだった。
「まずは宿泊依頼、か」
申し出るならば、ハードルが低いのはオルガ。先程の「タネ」は効いているはずだ。しかし、残念ながら依頼すべきはメイド長のシルヴィアだろう。
シルヴィアに申し出る場合は、まずフロント作りから始めねばならない。出来ればメイド長は「見て」おきたい対象であるため、まず準備として踏み込む隙を作る必要があるのだ。
…まあ仕方ない、いずれやらなければならない作業なのだから、このタイミングでタネを蒔いておくのも良いだろう。リアナは脳内で作戦を練りながら大広間へ向かった。
入口に到着すると、少しだけ目線を上げて監視カメラの位置を確認する。確か映像を見た限りでは、ドアから大広間に入るまでに死角はなさそうだった。人がいないことを確かめてから、映像を思い出しつつドアから離れてみる。このあたりまでは映っていたはずだ。
ある程度画面に映る範囲を確認してみるが、カメラに映らずに遺体を運ぶのは難しそうだった。やはり映像に映ったものをチェックするのが近道だろう、そこはノアの調査結果を聞くしかない。
息をつくと、気を取り直してリアナは周囲の「物」に触れて回った。人物と違い、物だと見える条件が少し異なる。人物の場合は「過去に起こった出来事で、その人物の心に一番残っていること」が見えるらしいが、物の場合、「一番念の強い者が直接触れた時の、その人物の脳内やその時の出来事」が見えるようなのだ。といっても、この19年間でリアナなりに分析・調査をした結果導きだした結論にすぎないが。そして「一番念が強い」という尺度も曖昧で、期間は数日だったり半年だったり、一人だったり二人だったり、結局何も見えなかったり、などの例もたくさんだ。むしろ見えるかどうかは『運』と言っても過言ではない。
つまり、人物に触れるよりも物に触れる方が、見える確率は大幅に下がるということだ。それでも、たとえ小さな手がかりでも、リアナは見つけなければならない。それが事件の解決に繋がるのならば。
集中して、触れた。
ドアノブや開け放たれたままの扉、柱、壁では何も見えなかった。
が、それは、ドアの横、監視カメラの下にあたる部分に飾られた小ぶりの花瓶に触れた時だった。
目の奥が明滅した。
きた。そう思った。瞬間、脳の中に無理矢理に記憶を流し込まれるような、そんな感覚が襲ってきた。
…アルファベット?
見えたのは3文字のアルファベットの羅列のようだった。しかし、記憶の映像はセピアに霞んでいて、はっきりと読めない。羊皮紙のような紙に、高級そうな黒い万年筆が踊っている。
何と書かれているのか、よく見ようとすればするほど、その記憶は霞んでいく。はじめはAのようだ。次はG。最後の文字はHかEか。
結局きちんと読めないまま、映像は途切れてしまった。再び触れても、もう何も見えない。こういうところは融通の利かない能力だ、リアナは眉を眇めてため息をついた。
AGE、またはAGHの文字列。イタリア語でAGEであれば「アージェ」、年齢という意味だ。AGHとなると思いつく単語はない。強いて言うならポーランドの科学技術大学にそんな学校名があったような気がするが、特に関係があるとも思えない。見間違いだろうか。それとも全く関係の無い文字列だろうか。
…いや、関係ないはずはない。きっと何かの、誰かの記憶のはずだ。それも強い想いを抱えた誰か。
これだけでは何とも言えない。まだ他に探ってみる必要はあるだろう。
あらかたこの周囲の物は触り終えたところで、大広間に足を踏み入れる。
先程まではまだ椅子や譜面台が雑然と放り出されていただけだったが、今は綺麗に整列されている。シルヴィアは…ここにはいないようだった。
リアナは小道具のように、自分の持ってきたバケツを抱えると、ひとまずはメイド長を探しにまた大広間を出ていく。
その背中をじっと見送る視線には、気付かなかった。
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