第一章(3) 歯車を知るため
*
ヴェルディ家は先程も確認したとおり一族は10人だった。
当主のクラウディオと妻のマリア。当主の甥にあたるエミリオとその妻ヴァンナ、そして息子のエルネスト。ちなみにエミリオの父チェーザルと母エレナは5年前に他界をしている。そして当主の長男ヴィルフレド、長女フランチェスカ、亡くなった次男マソリーノ、三男アラン、次女のサブリナだ。
「…う~ん、惜しい」
ノアの部屋で家系図を確認しながら、オリアナは思わずそう漏らした。
「何か言ったか?」
「何も」
ノアは洗面所で「まともな恰好」に着替えているところだった。
あれからしばらく待ったが、警察が来ることはなかった。さすがにイタリア一の富豪で世界的にも有名なヴェルディ家の息子が亡くなったとあっては、カラビニエリ(国家憲兵)が台頭するだろうと予想していたのだが、なんと緊急通報112をヴィルフレドが禁止したのだ。国家憲兵の出番となると大騒ぎになる。大事な祝典を明日に控えた今、ここで騒ぎを起こすわけにはいかないというのだ。
「何者かによる仕業の可能性だってあります!その場合、証拠隠蔽されてしまうかもしれませんよ!?時間が経てば経つほど、正確な情報は消えていく。手がかりを手放せと!?」
「それをどうにかするのもお前の仕事だろう、ローレン。私は今日この日においては、事件解決よりも明日の祝典の方が大事なのだ」
そんなやり取りがあり、結局専属医師による簡単な検死だけ行われ、ひとまず遺体は病院へと秘密裏に運ばれたのである。
「なあ、オリアナ」
「…リアナって呼んで」
着替えを終えたらしいノアが部屋へと戻ってくる。
「リアナ?」
「うん、街のみんなにはそれで通ってるから」
へぇ、とあまり興味なさそうに、ミネラルウォーターを飲みながらノアが相槌を打つ。
「…なんか急に敬語が取れたな?」
「…」
花のオブジェ制作はとりあえず後回しに、ノアはリアナを自室(として使わせてもらっている部屋)へ招いた。今後の作戦会議だ、と言って。
「なんか敬語使ってるのばからしくなっちゃって」
「…君何歳だっけ?」
「19」
「俺の方が5つも年上だぞ?」
「…嫌ならがんばるけど」
「いや、別に嫌じゃないからいいけどね」
ノアは備え付けの冷蔵庫から新しいミネラルウォーターを取り出し、リアナの前の机に置いた。
「むしろそっちの方が素直で良い」
褒めているのかどうなのか。
「…で、なんであたしなの」
ノアはその質問には答えず、大きなバッグから分厚い封筒を取り出してリアナに放った。
無言で受け取り、中身を確認する。ヴェルディ家の家系図や人物詳細データ、写真などが大量に入っていて、今回の事件に関連した資料だと判った。
『事件概要』の資料を読んでみる。
・6月5日 ストラディバリ消失
ヴィルフレド所有のストラディバリウスが、コレクションルームから忽然と姿を消した。
この件により、ローレン探偵に調査を依頼。
なお、このストラディバリは同月25日に行われる父クラウディオのデビュー50周年
記念祝典でお披露目の予定であり、それまでに無事見つけ出すことが最高目的である。
・6月12日 ハープ弦切断
フランチェスカ所有のハープの弦が全て切断される。
予備の弦を全て貼り替えさせ、とりあえずは事なきを得ている。
・6月20日 アランがピアノで負傷
前日までは調律されていたはずのグランドピアノの音がおかしいとアランが鍵盤を
触っていたところ、一番左のAとHの鍵盤の間にカミソリの刃が貼り付けてあった。
アランは左手薬指を負傷。なお記念祝典は予定通り出席。
ピアノは同20日に急遽調律師ハーバートが調律。
なるほど、既に何かしらの不穏な事件が3件あって、今回に繋がるわけである。
1回目の事件から19日、4日前には負傷者が出ている。「遂に死人が」も思わず漏らさざるを得ない状況だ。アランのあの左手の包帯はこの事件のせいだったのか、などと資料に夢中になっていると。
「リアナ」
「…はい?」
「…『エル』って知ってる?」
資料を読み込む傍から、ノアが質問を投げかけてきた。リアナは資料から目を離さず答える。
「知らない。誰それ」
「…」
無言でただ視線を感じる。リアナも無言を貫く。
「…そうか、知らないか。ヨーロッパで話題の探偵なんだけど」
「へえ」
先程のノアと同じように、あまり興味のない様子で、置かれたミネラルウォーターを開封して飲む。
「…ま、いっか」
何か含むような物言いだったが、リアナは特に言及しなかった。
「さっきの質問に答えるよ、リアナ」
「…さっきの?」
「なんでリアナなのか」
完全スルーされたと思っていた質問に答えてくれるらしい。
何がノアの目に留まったのか、ひっかかってしまったのか。
リアナはミネラルウォーターを含みつつ、視線を資料から剥がしてノアに合わせた。
「君、見える人だろ?」
思わず吹きそうになった。慌ててごくり、飲み込む。
「っ、なに…」
「昨日、ベージュスーツの男性に言ってたよな?『奥様にお似合いですよ』って」
「…言ったっけ」
「言った。来店してから、彼は妻の話なんて一切してなかったし、君も初めてだって言ってた」
「ちょっといつから見てたの?」
「見たこともないのになんでこのブーケが似合うだなんて言えた?渡す時に一瞬止まった、あの瞬間に見たんじゃないのか?彼の何かを」
「さっきから、何言って…」
「俺の知り合いにもいるから、見える奴」
「……」
その一言で、誤魔化しはきかないとはっきりわかる。リアナは観念して静かに頷いた。
「やっぱりか……君はあの時何を見たの」
「……夫婦の、喧嘩」
「なるほど、彼の『過去』を見たのか」
合点がいったとでも言うように、ノアは大きく頷いた。
「おそらく、君は見える人なんだろうなって、その時気付いた。君のその能力があれば、今回の事件も解決が早いかもって。…初めは本当に助手に誘うことになるとは思ってなかったんだけどね、状況が状況だったから」
「…嫌だっていったら?」
「嫌だって言わなくなるまで口説き落とすかな」
ノアの瞳がリアナをじっと見つめる。吸い込まれそうなその色が、リアナはなんだか苦手だ。
ふぅ。一息吐いて、リアナはそのブルーから目を逸らす。
「やっぱりイタリア男は…」
「冗談だよ」
「冗談に聞こえないから」
「ごめんって。でも、君は手伝ってくれるはずだよ」
「何を根拠に」
「ん~…勘」
「…」
どうやらリアナの能力に気付き、協力を依頼してきただけのようだ。いや、それ以外に思惑があるのかどうかは今の段階では判らない、といった方が正しいかもしれない。真意を訊ねたとしても、おそらく同じようにはぐらかすだけだろう。食えない男だ。
「…わかったわ。あたしにとっても、祝典が成功するに越したことはないもの」
「ありがとうリアナ!では、親愛の…」
「だから触るのはやめてってば」
ここぞとばかりに左手をとろうとしてくるノアの腕を躱し、リアナは続けた。
「でも、なんでもかんでも見えるってわけじゃないのよ?」
「うん、それは承知してるよ。俺の知り合いも、物と人で見えるものが違うって言ってたし」
空振った右手で留めていたベストのボタンを外しながら、椅子に座りなおしてノアが返す。
「何か見えた時に教えてくれればそれでいいよ。なるべく俺と一緒に行動してもらって、さりげなく、色々な物や人に触れていって欲しいんだ」
「なるべく一緒に、って…」
「問題の祝典は明日の18時からスタートだし、今日はここに泊まるように手配してもらおう」
「えっ!ちょっと待って、泊まるの?」
「往復の時間が無駄だろ?」
まてまて、思わぬ展開だ。
「待ってよ、準備も何もないし、それに急に言っても部屋の用意とか困るんじゃ…」
さっきまで平静を貫いていたリアナも、予想だにしなかった方向に話が進み始めたせいで戸惑いを隠せない。
「部屋なんてたくさんあるんじゃない?もし無くてもこの部屋で寝れば」
「それは嫌」
楽天的にもほどがある。リアナは呆れて大きなため息をついた。
「どちらにしても時間がない。協力してくれ、頼む」
真剣な表情でリアナを見る。青の目は苦手だが、慣れればその美しさに目を奪われてしまいそうで、それはそれで不愉快だ。
「報酬は」
手にしていたミネラルウォーターの瓶をゴトン、わざと音を立てて机に戻す。
「そこまでするからには、報酬はあるのよね?」
わざわざ丸2日を潰して協力するのだ。花屋も明日は臨時休業だし、大事な花もその分鮮度を落とすことになるわけで。求めてしかるべきものだ。
「無事解決出来たら、君の言うことを何でもひとつ聞こう」
右の人差し指を立て、ずいっとリアナの眼前に据えてそう言った。
「なんでも?」
「…できうる範囲で、何でも」
リアナの問いかけにより少し訂正が入る。
「…あなたの『できうる範囲』がどの程度かによるわ」
「言うねぇ」
ノアはなぜだか嬉しそうに、喉の奥でクツクツと笑っている。
「まぁ、ある程度は叶えられるとは思うよ。『一介の花屋』のお願いならね」
含みを持たせたその言葉に、リアナは違和感を感じる。まるで一介の花屋ではないと、思っているかのような。
ブルーの瞳が試すようにリアナを射抜く。
こんな依頼など、断ることは簡単であるし見返りもどんなものかはわからない。だが、リアナは何だかんだ言いながらも、頭の裏側で、きっと自分は請けるのだろうと感じていた。
過るのは、パイプオルガンの裏側で、片膝をつきながら小さく祈るノアの姿だった。
「わかった、いいわよ」
まだ何を願うかは考えもつかないが、リアナはゆっくり首肯した。
「オーケー、契約成立、だな」
眼前にあった手が開かれ、そのまま握手を求める形になった。
「急じゃないからいいだろ?」
2回も拒まれたことを学習してくれたようだ。
リアナは少しだけ精神を集中させてから、その右手に手を這わす。触れた瞬間に、ぐぐっと力を込められた。
…大丈夫、何も、見えない。
少し安堵する。
「よし、じゃあ事件を整理していこうか」
握手はそこそこに、ノアはリアナの机から封筒を取り上げて資料を出す。写真と手書きのメモが机に並べられた。
「おっとその前に」
何かを思い出したようにノアが立ち上がり、ベッド脇の内線電話の受話器を取った。
え、これ、各部屋にあるの?
まるでホテルのようなしつらえに、リアナはただ驚かされるばかりだ。
「あ、オルガさん、どうも。シルヴィアさんいらっしゃいますか?」
電話したのはどうやらメイド室らしい、ノアはメイド長に取り次ぐようお願いする。
「お忙しい所すみませんね、シルヴィアさん。実は僕の助手用に、急遽一部屋準備して欲しいんですが…同じ階、いや、出来れば僕の隣の部屋なんかを…」
早速部屋の手配をしているようだ。ここで部屋が用意されなければノアの部屋で一夜を過ごすことになるわけなのだから、なんとか許可を貰えるように心の中で祈る。
「ありがとうございます。では準備が出来次第教えていただけますか。よろしくお願いします」
口ぶりから部屋は確保できたらしい、リアナはあからさまにほっとしてみせた。
「その反応は少し傷つくよ」
受話器を置いてノアが苦笑する。喜ぶ方がおかしいと思うのだが。
「ま、無事に部屋もとれたし、着替えとかも準備してくれるらしいから安心していいよ」
これはいよいよ宿泊確定だ、いやわかってはいたが。
ただ、こうなるとシルヴィアからヴィルフレドに話は行くだろう。先程浴びせられた嫌味を思い出して眉間に皺が寄る。なるべくイタリアで目を付けられたくはない、ならば解決して認めてもらうしかないだろう。もう後には引けなかった。
「明日の18時までに必ず解決しましょ」
「お?急にやる気になったね?」
「さっきも言ったでしょ、あたしにとっても解決されるに越したことはないの。大事なお客様なんだから。ということで、まずは本業を全うしてきていい?」
まだ仕上げを残しているブーケオブジェのことに言及すると、ノアは思い出したように頷いて、どうぞどうぞとドアへ促した。
「じゃあその間、俺はさっきの作業員たちの証言と状況をまとめとくかな」
「オーケー。なるべく早く完成させてくるから」
「待ってる、いってらっしゃい」
「…」
さらりと言われた「いってらっしゃい」に、思いがけず胸が高鳴ってリアナの顔はしかめっ面になった。久しく言われていない台詞すぎて、なんだかむずがゆい。
不意打ちでこんなふうにしてくるから、イタリア男ってのは苦手である。
「いてっ、何急に」
どこにもやりきれない悔しさを右手に込めてノアの二の腕をはたいた。そしてそのまま無言で部屋を後にした。
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