3:邪悪な力

 ドゥーロの事件から丸三日が経ち、シドラーはようやく話が出来るまでに回復した。

 その事を耳にしたエナルカは、いの一番に、シドラーの元へ駆けつけた。


「シドラー様っ!?」


 扉を乱暴に開け放ち、乱れた呼吸を整えることもせず、部屋の中へと駆け込むエナルカ。

 そんなエナルカを見て、ベッドの上で身を起こしていたシドラーは、優しく微笑んだ。


「おぉ、エナルカや。無事じゃったな、良かった良かった」


 シドラーの言葉に、エナルカはまた泣きそうになる。


「シドラー様ごめんなさいっ! 私の不注意で集落を危険に晒しただけでなくシドラー様に怪我まで負わせて……。私、とっても未熟で無力な自分が恥ずかしいです。せっかく風読みの塔で風神の御心を手に入れたのに、こんなんじゃ私……」


 エナルカの言葉に、シドラーは優しく目を細める。


「そうか、風神の御心を手に入れたか……。さすがはわしの見込んだ弟子じゃ。エナルカや、これでお前は、一人前の風の魔導師じゃ。わしが教えられる事はもうない」


 シドラーの言葉に、エナルカは言葉を失い、混乱する。

 まさか、シドラーの口から、自分が一人前だなんて言葉が発せられるとは思ってもみなかったのだ。


「そんな、シドラー様……。私が、一人前だなんて……」


 頭の中がグルグルと渦を巻き、いつもの早口が嘘のように言葉が出て来ないエナルカ。  

 するとシドラーは、ベッドの横にあるチェストの引き出しを開け、何かを取り出した。 

 シドラーの手に握られているのは、変わった形のペンダントだ。


「エナルカよ。これを持って、旅立つのじゃ。魔導師レイニーヌを探し出し、告げて欲しい。邪悪な力が今、目覚めつつあると……」


 シドラーの言葉に、エナルカは愕然とする。

 エナルカは、幼い頃よりシドラーから教えを受けて来たために、シドラーの言葉の意味が、とてもよく理解できた。


「じゃ、じゃあまさか……。あの、死したドゥーロが動いたのも……?」


 胸の前で、ギュッと両手を握り締め、微かに震えているエナルカ。


「そうじゃ。どこからともなく、邪悪な力が及び、死したドゥーロの屍が動いた。それも、わしの力を受け継ぐべき者だと理解した上で……、エナルカ、お前を狙ったのじゃ」


 シドラーの言葉に、エナルカは恐怖のあまり、立っているのがやっとな様子だ。

 シドラーは優しくエナルカの肩をさすりながら、ペンダントを震えるエナルカの小さな手に渡した。


「案ずるなエナルカ。このペンダントには、風の守護魔法がかかっておる。きっとお前を守ってくれるじゃろう。加えてこれは、この国で一番の風の魔導師のみが持つ事を許された代物じゃ。二つとない貴重な物故、決して失くすでないぞ。そして、迷った時はこれを頼るのじゃ。自然と心が静まって、進むべき道を示してくれるじゃろう。エナルカ……、この国を救うのは、わしではなく、お前なのじゃ」


 シドラーの言葉に、その笑顔に、エナルカは気付いた。

 目の前にいる師は、ずっと慕い続けてきた尊敬する師は、自らの命の期限を悟ったのだと……

 エナルカの小さな目から、涙が溢れ出る。


「泣くでないエナルカよ。わしは存分に生きた。思い残すことなどない。いや……、一つあるとすれば、お前の成長を見守れないことかの……。しかし、もはや心配などしておらぬぞ? お前はもう立派な風の魔導師じゃ。自信を持てエナルカ。己を信じ、前へ進むのじゃ」


 シドラーの言葉を聞きながら、その老いた体に寄り添い、泣きじゃくるエナルカ。

 そんなエナルカを、シドラーは優しく抱き締めた。






 シドラーが息を引き取ったのは、それから数日後の事だった。

 集落全体が悲しみにくれ、人々はシドラーを惜しんだ。

 ただ、エナルカはもう、泣かなかった。


 あの日、シドラーに抱き締められたまま、エナルカは涙が枯れるまで泣いた。

 泣いて泣いて泣いて……、そして、もう決して泣かないと誓った。

 シドラーが永遠の眠りにつく瞬間を見届け、旅立ちの決心を固めたエナルカは、両親に全ての事を話した。

 エナルカをシドラーの弟子にしたその時から、いつかこんな日が来るのではないかと、両親は覚悟していた。

 そして……


 黄色い枯れ草の中を、朝焼けの光を受けながら、心地よい風に吹かれて、エナルカは旅立った。

 自分に何が出来るのか……、自信などない。

 しかしエナルカは、ただ前だけを見ている。


「私は必ず、この国を救う。必ず……」

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