3:生きるという事


 夜が明けた。

 窓から差し込む光が、優しく二人を包み込む。


 呪いによって死に至ったレイニーヌの体は、薄紫色の痣に飲み込まれていた。

 しかしジークは、レイニーヌを抱きしめて離さなかった。


 涙は枯れ果て、思考は止まっていた。

 自分を救ってくれた、道を教えてくれた、愛してくれた……

 ジークの中で、レイニーヌは全てだった。

 それを今、無くした。

 ジークの心は、穴が空いたという表現では収まり切らないほどに、全てが消失してしまっていた。

 何を恨めばいいのか分からない。

 何を悔めばいいのか分からない。

 この先、レイニーヌのいない人生を、生きていく意味があるのか分からない。

 何も、分からなくなってしまっていた。


 それでも、不思議なもので、喉が乾いた。

 魔法で手の平に水を生成し、少しずつ、口に運んだ。

 もう開きはしないレイニーヌの口にも、少しだけ、水を垂らす。

 出会った頃に、レイニーヌがしてくれたように。






「喉を潤すのは水。心を潤すのは、愛よ!」


 レイニーヌが、初めてジークに話し掛けた言葉だった。


 突然目の前に現れた、自分よりもずっと小さな女。

 体の大きさのわりに、表情は大人びていて、やけに臭いセリフばかり吐く。

 馬鹿な子どもだと思ったが、子どもでもなければ、馬鹿でもなかった。

 頭が良くて、一流の魔法が使えて……、何より愛らしかった。

 それに、その容姿で、浴びるほど酒を飲み、べろべろに酔っぱらっては、自分よりも体の大きな人間をいとも簡単に投げ飛ばす、そんなギャップに惹かれた。


 一番感謝すべき事は、人生を変えてくれた事。

 仲間に居場所を与えて、俺に生きる道を教えてくれた。

 だけど、最期の最期で、嘘をつくなんて……


 酷い女だ。






 レイニーヌが死して、三日が経った。


 この町では、死んだ人間は火葬して、残った骨は全て、町の周りの砂漠にまかれる。

 死した人間の魂は、町を守る霊になると考えられているからだ。

 ジークは、阿呆らしいと思いながらも、レイニーヌを火葬した。

 本当は、燃やしたくなどなかった。

 しかし、このままレイニーヌの体が朽ちていくのを見る事など、到底できなかった。

 自分の中のレイニーヌを、美しいままに留めおきたかった。


 レイニーヌの骨は、呪いによって穢されて、ほとんど残らなかった。

 しかし、魔法陣を描いていた両手の骨だけは、綺麗に残った。

 こんな事なら、体中に魔法陣を描いてやれば良かったんだ……

 おかしな発想だと思いながらも、ジークは本気でそう考えていた。


 ジークは、町の人々が制止するのを振り切って、その両手の骨を、一つの小さな壺に入れ、自分の物にした。

 こんな砂漠のど真ん中に、レイニーヌを置いては行けない。

 ジークは、まだレイニーヌの死を受け入れられていなかった。

 燃えるレイニーヌの体を見ても、骨になってしまった姿を見ても、それがレイニーヌだと思えなかった。


 レイニーヌの最後の言葉。

 レイニーヌは、ずっと見ていると言った。

 レイニーヌの心は、魂は、自分と共にある。

 今までも、これからも、ずっと……

 そう思う事で、ジークは平静を保っていた。


 そしてそれは、思い込みではなく真実だと言う事にジークが気付くのは、もう少し後になってからだった。






「お願いです! どうかこの町に留まってください! 町にはあの泉一つ。あの泉が枯れれば、我々は皆死んでしまう! どうか! どうか!」


 すがるように、口々に喚く町の人々。

 地面にひれ伏して、旅立とうとするジークを、なんとか引き止めようと必死だ。

 ジークは、冷めた目つきで彼らを見下ろす。

 レイニーヌは、魔導師は弱き者を救うために存在する、と言っていた。

 それが間違っているとは思わない。

 現にジークも、救われた一人なのだから。

 けれど……


「お前達は間違っている」


 ジークの低い声が、否定的な言葉が、町の人々の声を止めた。


「魔導師は弱き者を救う為に存在する。それは分かってる。けどな……、弱き者は、救われるのをただ待っていればいいのか? お前らは、自分の手で何かをしようとは思わねぇのか? お前ら……、それでも人間かっ!?」


 怒号のように吐き捨てられた言葉に、その口の悪さに、込められた憎しみに、町の人々は押し黙る。


 レイニーヌは、こんな奴らでも助けようとしたんだ。

 こんな、生きる為に戦おうともしない、最低な奴らでも……


 ジークは、町の人々から視線をずらさない。

 一人一人、じっくりと睨み付ける。

 すると、一人の少年が立ち上がった。

 まだ、十歳くらいだろうか。

 緊張しているのか、体が小刻みに震えている。

 痩せてはいるが、力強い目。

 そして……


「どうすれば、いいですか?」


 小さな声で、呟く様にそう言った。


「なんだ? 聞こえねぇな」


 ジークは、わざと聞こえないフリをする。


「どうすればっ! 町を救えますかっ!?」


 泣き叫ぶように、大声でそう言った少年に、人々は驚き、顔を上げた。

 ジークは、片方の口の端を上げて笑う。

 レイニーヌから受け継いだ、にやりとした笑い方だ。


「砂漠を丸一日北へ歩くと川がある。そこの水は飲める。あの川はちょっとやそっとじゃ枯れねぇはずだ」


 ジークの言葉に、子どもの顔がパッと明るくなった。


 もう、この町は大丈夫だ。

 ジークはくるりと背を向けて、町を後にした。






「生きるっていうのはね、戦うって事なのよ。自分の置かれている環境、周りの状況、そして自分自身とね。どんな時でも、現実から目を反らしちゃいけない。戦う事から逃げちゃいけない。生き抜かないと……。それにあたしは、戦い続ける限り、何者にも負ける気がしないのよね~。ジーク、あんたもそう思うでしょ?」


 あぁ、そうだな……

 レイニーヌ、お前は戦ったよ、最期の最期まで……

 だからさ、ここから先は、俺の番だよな。

 俺はきっと、お前と同じように……、いや、お前以上に、戦ってみせる。

 そして最後には、きっと、勝ってみせる。

 お前の為に、必ず、勝ってみせるから……

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