#4『最後の戦士』
男が会場に入って来ると、場内は奇妙な拍手で満たされた。
老齢に達したその男に対する賞賛と少しばかりの怯え。男が持つ、奇妙な雰囲気を彼らは子供ながらに感じていたのだ。
それは誰も体験したことが無い“戦争”を知っている男が持つ空気だった。
90年前に終結した大戦から世界からありとあらゆる戦いが消えた。
厳格な条約と強固な結束、そして荒れ果てた大地と胸に深く刻まれた一生癒えぬ傷が人々に行動を起こさせたのである。
戦争経験者達がこぞって伝えた戦争の悲惨さを聞けば、誰だって争いを起こそうなんて気にはならない。戦争を知らない世代が生まれてもそれは変わらなかった
結果、今日に至るまで世界の何処にいても戦争はない。
「平和」と言い切るのは難しいがともかく、血で血を洗うような争いは消えていたのだ。
ステージ上に用意された座椅子に腰を掛けた男は、会場を埋める子供達の顔をゆっくりと見回す。
会場が異様な緊張感に包まれているのはこの男がただの戦争経験者ではないからだ。
彼は文字通り、地上で最後の戦争を知っている男だった。
今年で100を10以上越えた老体の他に戦争を知っている者はない。勿論、客観的な事実は知っていても彼のように実際の目で見て、肌で感じた人間はもう彼以外この世に存在していないのだ。
男はスタッフが持ち寄ったマイクを手に取ると慣れた様子でゆっくり、落ち着いた声で話し始めた。
飛び交う無数の戦闘機。炸裂する爆弾。
四方八方から迫る銃弾。敵も味方も分からず、いつの間にか焼け死んでいく戦友。
そして戦地で聞く、母国の消失。
次の戦地へ向かう輸送機の中で見た核の傘。
幾多のアーカイブ、そして資料で戦争の話は聞いている。だが、肉声が持つ迫力が子供達を圧倒していた。彼らは言葉を失い、引き寄せられるように老人の話に食い入る。
時々、悲鳴や生唾を飲み込む音が響き、大人でさえも顔を背ける場面があった。
一息つくと老人はコップに入った水を飲み干す。
そこからはよくある流れだった。定型句のようなものだ。戦争を辞めようとか、平和を愛そうとか。
締めの言葉をつづると老人は一瞬、舞台の裾へ捌けて行こうとした。満館の拍手が会場から沸き上がる。
しかし、男は数歩歩くと思い立ったように立ち止まり、再びステージの中央へ戻った。
「恐らく私はもうすぐ死ぬ。自分でもわかる。だから………最後まで言わないでおいたことを伝えておく……………少年達よ、世界は平和になったか?」
意味不明な問いかけに子供達は顔を見合わせて首をかしげる。
「確かに戦いは消えた。だが、それで人間は人間らしくなったのか? 人間らしさとはなんだ? 私は戦場で30人以上をこの手で殺した。その感触、そしてあの時の高揚は未だに忘れん。青春があるとすれば、あの時だと言えるほどだ。思えばあのころ、人間は生き生きしていた。生き残って本国へ帰った連中は皆活力にあふれていたんだ。それが、今ではどうだ?」
「まるで飼育小屋で培養される豚だ。人間が人間らしくあるのはやはり、戦いだよ。闘いこそが我ら霊長類の本能だ。歴史を見てみろ、人類の歴史は戦いと共にある。だから、若者よ! 戦う事を恐れるな! 戦争は! 争う事は楽しいぞ!」
駆けつけたスタッフが制止し、マイクを奪う。
茫然とする子供達に教師陣は必死に説明をしなければならなかった。
地球最後の戦士はその数日後、老衰でこの世を去った。
戦士はこの世界から消えてしまった。
「大統領、大統領………」
振動と声で目を覚ます。カウチで少しくつろぐつもりが眠りこけていた様だ。
「会見まであと30分ですが………」
秘書がタブレットを見せて来るが手で制した。今更何を見てもなんの助けにもならないのだ。
世界経済を分断する三大国の緊張はかつてないほど高まっていた。定例通り、幾度の会議を重ねたがどの国も譲歩する意思を見せない。そして、ここ数回の国際会議ではわざと欠席し、無言の圧力をかける国も出始めている。
「大統領の判断が今後の世界を左右します。何卒、冷静なご判断を」
「分かっている。我々は文明人だ。猿ではない」
子供の頃に聞いたあの老人の話。
もう既に心は決まっていた。
人間はどんな時でも人間らしくあらねば…………
おわり
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