第26話 最後の嘘
「日本を離れるのに、好きな女の処に居たいと思うのが悪い事か?」
課長はそう言って押し売りの如く強引に部屋に上り込み、私を軽々と持ち上げてベッドに運んだ。
拒否を示したのだが、熱っぽい瞳で見詰められたらそれ以上拒否する事が出来ずに、喰された。
1度、課長はイクと、暫く息荒くキスを繰り返していたが、大きくため息を吐いて私を抱きしめた。
「3年前のあの日、部下に手を出してしまった事に罪悪感を感じて距離をあけようとした。だが、反対にお前を意識する一方でな。でも、お前は一向に俺に目を向けてくれもしない。どれだけ苛々したか」
「え…?」
「あぁっもう全部ぶちまけると、入社した時から気になっていた。だから事務の仕事も全部お前に押し付けて、仕事を教える口実で何時も側に寄って、他の輩をお前に近づけ無い様にしてた。私物化したかったんだな」
きっぱり、と言い切れられ、開いた口が塞がらない。
周りに仕事を教えて貰えなかったのは、この人のせいだっただなんて。
急な暴露話をされるとは思ってもみなかった。
「3年前に別れた女は勿論本気だった。でも、お前を抱いたらお前しか見えなくなって。見合いもその場で断った」
その言葉が嬉しくて、私は課長の胸にぎゅっとしがみ付いた。
「好きだ」
あっという間に組み敷かれて唇を奪われ、2回戦へ、と。
ヤッている最中、課長は多弁だった。
謹慎を食らった日にここまで来たら、誠一郎に抱き締められて車を降りて来る処を見てヤキモチを妬いた、とか、10歳も年上の自分よりも年下の有望株の方が似合いだ、と言い聞かせた、とか。
諦めたつもりが出勤してきた私に八つ当たりしたりチョコ買いに行ったり、恥ずかしいくらい必死に気をひこうとしていた、とか。
本当はへタレで、愛子に後押しされなかったら行動に起こせなかった、とか。
我慢できずに笑うと、お仕置き、と突き上げられ、私は彼の腕の中で啼きじゃくった。
課長が上り込んできてから、何をするにも2人でして。
甘い時間とのんびりとした時間を私達は存分に味わった。
多分、令嬢は課長がここに来た事を知っている。
金曜の夜から震えっぱなしのアイフォンがそれを語っているが、気づかないフリを通した。
ーーー
「慶史君と2人暮らしするのはいいが、ちゃんと会社の方には住所変更しとけよ」
「しときますー。新人じゃないんだから、そんな注意しないで下さいよ」
段ボールの事を根掘り葉掘り聞かれる前に、私は元カレの件が親にバレたので慶史と暮らす事になった、と嘘を吐いた。
が課長はそれがいいと思う、と賛成してくれ安堵した。
昼前にアパートを出て空港に向かう。
終始、課長は私の手を放さずに笑いかけてくれる。
それに応える如く、私も笑顔を返し続けた。
繋がれた手はいつか離される。
離れてしまえばあっという間に温もりは消えてしまう。
考えれば考える程、寂しさは積もるばかり。
きゅっと力を込めると、課長がそれに応える様に強く握り返して来た。
「こんなに時間があっという間に過ぎた、と思った事が無い」
課長は淋しそうな瞳で電光掲示板を見上げた。
そして、中国行の館内放送が流れると課長の手が離れた。
「それじゃあ、」
課長が背を向けようとするのを私は慌てて引き留めた。
気持ちを伝える為に。
そして…。
「まだ言っていない事が一つあります。…私、幸司さんの事が、ずっと好きでした。気付いたのは2年前ですけど、多分、入社した時からずっと。…でも、私は幸司さんの部下で居る事を選びました。それを後悔はしていません。それだけ、幸司さんの事が好きだっていう事だけは、忘れないで下さい」
「…何も言われず日本を離れないといけないのか、と思っていたが、お前の口から聞けてよかった。ありがとう…」
「…南課長、中国でも頑張って下さい。そして、これからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」
中国に行っても不安にさせない為に、最後の嘘を吐く。
「本当にお前は。…入社した時から言った事は曲げない頑固者だったな」
「私を独占して指導してきた人がそうでしたからねー、うつったんだと思いますよ」
あはは、と笑ってみせれば課長も、目尻に皺を寄せて笑った。
「じゃあ、行って来る」
「はい。気を付けて」
「“お帰り”もお前が一番に言ってくれよ?」
課長の手が私の方へ差し伸べられ、それをしっかりと握る。
頷いてまっすぐ課長を見詰めて、いってらっしゃい、と元気よく私らし返事をした。
軽く手を挙げ人ごみへと課長は消えて行く。
今生の別れになる。
自分の気持ちを最後に伝えた事に悔いはないのに、泣きそうで唇を噛んだ。
終始震えているアイフォンをバックから取出し耳にあたると、人ごみの中で私を睨みつけるように携帯を耳に押し当てている女が目に入った。
「もしもし」
『信じられない!人の男を取るなんて!』
「あのさ、3年後には幸司さんの人生はアンタのモノよ」
『それでも、』
「好きだから、仕方無いじゃないっ、」
限界だった。
嘘を吐かないといけなかった事も、もう、2度と会えない、会ってはいけない事が。
瞬きも忘れ、1点を見詰めたまま涙が滝の様に流れ落ちる。
何事か、と私の横を通り過ぎる人達が見て行く。
構っていられなかった。
「好きな人と、好きって言ってくれる人と、一緒に過ごして、たった2日、過ごして、何が悪いのよっ!もう、2度と会う事が許されないのにっ!」
『煩い!この泥棒猫!っ、あ、返しなさいっ!小西っ、』
『お前、帰りはバスか?』
「そう、よ…」
『ナンバー00-00のタクシーに乗ってそれで帰れ。金の事は気にするな。せめてもの侘びだ。…ツライ選択をさせてすまなかった』
騒音に紛れて令嬢が騒ぎ立てているが、男は通話を切った。
男の言うナンバーのタクシーに乗って、アパートまで戻ったが、財布を取り出そうとすれば、お代はいただかない様に言われてますので、と丁寧に断られてしまった。
部屋に入りベッドへダイブすれば、課長の匂いが残っていて、泣けてくる。
顔に押し当てようと枕下に手を入れると、カサッと音がした。
枕を持ち上げれば、そこにあったのは折り畳まれた紙切れ。
恐る恐る紙を広げれば、ずっと見て来た課長の文字に涙が零れた。
『同年代だったらプロポーズを受けてくれただろうか。終わった事を何時までも女々しいと思うだろうが、それくらいお前の事が好きだ。この年で恋なんてするとは思ってもみなかったから、毎日が楽しかったよ。嬉子に会えて本当に良かった。俺よりいい男を捕まえろよ。お前の幸せを願ってる。南』
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