第24話 タイミングの悪い2人

令嬢の襲撃より2日。

このまま辞めずに済む方法はないか、と考えたりもしたが課長の側に居るのも苦しくなってきて、既に私の頭は機能していなかった。

辞めにるあたって愛子に仕事を教えないといけないのに。


「井之頭!」


「え!?」


「コピー終わってんだろ!?交代しろよ!」


「あ、あぁ、ごめん」


ボーっとし過ぎて、コピー室でぼんやりと立ち尽くしてた。

脇谷に声を掛けられなかったら、多分、皆が帰っても立ち尽くしていたかもしれない。

プリントを取った処で脇谷が押し退けるようにコピー機の前に来る。

押し退けられた際、横の壁に躰がぶつかり思わず痛みで顔を顰めた。


「…っ、」


しかし、言い返す気力も無くため息を吐くので精一杯。

ふぅ、と息を吐いて部屋から出て行こうとして、脇谷が声を掛けて来た。


「おい。何で元気ねーんだ。あぁ、もしかして、課長が中国に行く事決まって、お前を庇ってくれる奴がいなくなるからか?」


「え?…ちょ、っと、今、何て!?」


「おっ!おい!そ、そんなにせまるなっ!俺には愛ちゃんっていう、」


「ねぇ!中国って、どういう、」


「く、詳しい事は知らねーけど、何か、新規で中国支店を作るって話があっただろうが。行ったら3年帰って来れないって言ってた。あれに、課長が選ばれたってよ。確か2日前位に正式に決まったとか…、お、おい!大丈夫か!?お前、顔真っ青だぞ」


会議室から出て来なくて、令嬢から会社を辞めるように言われた日だ。


「井之頭、お前、帰った方がいいんじゃねぇのか?」


何時の間にか脇谷に助けられるように立っており、困惑を隠せないやつの顔がそこにあった。


「大丈夫、ごめん。取り乱して…」


「お、おい、井之頭!」


脇谷から離れるとフラフラとコピー室を出て、給湯室に転がり込んだ。


中国行は給料と同じ額の手当てが出る。

少しでも楽になる為に、課長は異国の地へ行こうと決心したのだろう。

治安もそんなに良くなく、3時間くらい離れた場所じゃないと医者もいない、と噂で聞いた。


「本当に、切羽詰まって…、令嬢あのひとの言う事、本当だったんだ、あ、あぁ」


胸が苦しい。

私は何もしてあげられない。

私は非力だ。


「本当に、辞めなきゃ…」


しかし、支店長に退職願を出したらすぐに課長に伝わってしまうだろう。

何時出発するか知らないが、最低限の人間しか分からないようにしなければ。

誰にも知られずに辞める方法は、おじちゃん、しかない。

アイフォンを取り出して、おじちゃんに電話をかけようとして廊下が騒がしい。

支店長がなにやらバタバタしている。

専務とかお偉い様が来るのかもしれない。


私はポケットに入れデスクに戻る事にしたのだが、廊下で出くわした課長の腕に捕まり


「支店長。井之頭と買い出し行って来ます」


「おう!早く帰ってこいよ!」


「は!?私の意志は!?」


文句を言えど無視られ、あれよ、という間に車に押し込められてしまっていた。

車に乗ったはいいが、何処に向かっているのか。

デパートとは正反対だし、それに、会社から少し離れた人気の無い処をぐるぐると回っている。


「あ、あの、課長…。何を買いに行くんですか?」


「ん?茶菓子」


「それなら愛ちゃんと2人で、」


そこまで言って私は口を閉じた。

真っ直ぐに私を見詰める課長の瞳に喋る事が出来なくなったからだ。

暫くして課長は車を停めると、スマホの電源を切り、ダッシュボードに置いた。


「中国に支店が出来た話、聞いてるか?」


「…はい」


「…それに、俺が中国に行く事になった」


「…はい」


「それで、今月の最終日曜に中国に行く」


「…え?そんなに早く!?」


20日後には日本を離れる、という事。

でも、丁度いいタイミングなのかもしれない。

課長に知られずに辞めれる絶好のチャンス。


「あぁ。…それでな、帰ってきたら、籍を入れてくれないか?」


「え……、」


「嬉子。本当なら指輪の一つも用意してやりたかったんだが、ちょっと訳ありで、」


らしくなく照れている課長に胸が高まっているのが分かる。


「好きだ」


そう言って課長は私の手をきゅっと握った。


「結婚してくれ」


こんなタイミングで…。

言葉が出ずに私の瞳は揺れるばかり。

出来たら、令嬢が現れる前に聞きたかった。

でも、そのタイミングを逃して来たのは私。

いや、私達はタイミングが悪い者同士。


「今、返事をくれなくっていい。俺が中国に行く前に返事を聞かせてくれ」


「…はい」


私の髪を梳かして唇を寄せて来る。

これは、最後のキス。


中国に行っている期間は3年。

あの令嬢のものになる前に、その3年間は自由にさせてあげたい。

その間に私が消えていてもおかしくは無いし、それに3年も離れていれば他に好きな人が出来る可能性だって、気持ちが離れる可能性も大いにあるのだから。

私の事なんて、忘れるに決まっている。


それに、せめて3年間だけ、あの女のモノにはなって欲しくない。

愛は勝つなんて言ってた人がいたけど、愛だけでは勝てない事ってたくさんあって。

私はそれに負けてしまったのだ。

いや、言い訳にして逃げているだけなのかもしれないが、今の私にはどうする事も出来ない。


「課長、私がお茶菓子買って帰りますから、先に戻っていてください。仕事、残っているんでしょ?」


「あぁ。だが、」


「専務が来るんじゃないんですか?なら課長は会社に居なきゃ。デパート近くのコンビニで降ろして下さい。ね?」


何時ものように微笑えめば、分かった、と渋々車を発進させた。

車から降り、軽く手を振る。

課長の車が見えなくなると私はアイフォンを取出し、おじちゃんへ電話をかけた。


「…もしもし、嬉子です。急にお電話なんかして申し訳ありません。あの、近いうち2人でお話出来ませんか?……はい。土曜の7時…。割烹、百合に……。はい。急なのにありがとうございます。はい、では土曜日に。失礼いたします」


通話を終え大きく息を吐き出して、歩き始めた。

そして、デパートに迎う最中、目に入ったデブい男。

忘れもしない、令嬢の犬。

こちらに向かって歩いて来るのが見えた。

逃げるのがいやで男の方に歩いて行くと、目の前で男は自販機にお金を入れ缶コーヒーを2本購入。

そして、横にあったベンチに腰掛け私を手招きした。


「座れよ。少し話がある」


目の前に立てば呆れた顔でそう言われ、気が乗らないまま仕方なくベンチに腰かけた。


「何?私はアンタのご主人様に言われた通りに仕事も辞めて実家に戻るのに、これ以上何か言われないといけないの?本当、勘弁して欲しいわ」


睨みつければ男は缶コーヒーの1本を私に差し出し


「この前は悪かったな。痣になってたら本当にすまなかった」


とぶっきら棒に謝って来た。

今更、なのに。


「それがアンタの仕事なら仕方がないんじゃない?私には関係の無い事だし。謝られたって、あの行為が無効なしになる訳じゃないわ」


「………。昨晩、お前ん処の課長さんが御嬢さんに電話掛けて来て、中国に行くから帰って来るまで返事は待ってくれ、と言って来たそうだ」


「…そう。伝言はそれだけ?」


「そう睨むなよ。…もう一つ、課長さんに勘繰られる様な行為はするな、と」


「アンタん処のお嬢様にそっくりそのままその言葉を返す」


鼻で笑ってコーヒーを口に運んだ。


「…お前強いな」


「強くなんかないわ。アンタのお嬢様が弱いだけよ。…アンタは飼い主がもっとまともな人間だったら、いい人生も送れたかもしれないのにね。ご馳走様」


コーヒーを飲み上げ、私は腰を上げた。

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