第22話 間違えた選択
※少し残酷・暴力表現があります。
眠れなかった。
もしかしたら、玄関をノックされてお金を請求されに来るのではないか、とか、いろいろな事を考えたり、些細な物音に敏感になり眠りに就く事が出来なかったのだ。
朝食も小分けのヨーグルトを1つ食べただけでそれ以上食欲がわかず、片づけをしてバスタブにお湯を貼り、気持ちを落ち着かせるために暫く浸かって躰を休めた。
この調子で仕事に行くのは辛いが、部屋に居るよりは幾分、マシだ。
課長は話し掛けられなければいいのだから、愛子にべったりとくっ付いておこう、と覚悟を決めてバスルームを出た。
服を着替えて化粧をして。
気分を変える為に、あの日、買ったルージュをつける。
課長に『可愛い』と言って欲しかったけれども、もうどうでもいい。
少しでも気持ちを盛り上げようと、お気に入りのパンプスを履く。
気持ち何時もより早い時間だが、草々に部屋を出た。
鍵を掛け、掛かっている事を確認する。
そして、アパートの敷地を出た処で私は足を止めた。
「…おはようございます。南課長。朝早くに何でこんな処にいらっしゃるんですか?」
これ以上疲れさせないで、と思いっきり顔に書いて課長を見たのだが、超爽やかに、おはよう、と返され私の顔は引き攣るのを我慢できなかった。
「井之頭ー。お前、昨日、寝た?」
「え?」
「化粧で隠してるつもりだろうが、クマ出来てるぞ」
「え…、あ、」
「会社まで送ってやる。その間、車で寝てろ」
「え!?あ、ちょっと!」
腕を急に引かれて驚いて抵抗していると、課長は私を引き寄せ、耳元で
「こんな処でキスされたいか?お望みならこの場でするけど?」
意地悪く囁かれ、周りの事を気にして私は黙って車に乗り込んだ。
車のドアを締めて椅子に凭れ掛かる様に座れば、緊張なのか安堵なのか。
急に眠くなる。
「課長、私、話しなんて、ありません…」
「あぁ。分かってる。だが、暫くの間、送迎だけでもいいからさせてくれ」
課長の手が優しく頭を撫でる。
『…ちゃんと言って、けじめをつけて。弄ばれるのはごめんだ、と伝えて。今迄の距離が一番良かったのだ、と伝えて。それから、…それから…』
車が発進するするとその揺れが心地好く、何時の間にか眠りに就いていた。
会社までの40分間、私は昏々と眠り会社近くの人気の無い場所でキスで起こされた。
「な!」
「涎、垂らしてたぞ」
「うそ!」
「うそ」
「!!!!!!」
顔を真っ赤にして怒れば、課長は楽しそうに私を抱きしめた。
「信じろ、とは言わない。言い訳を聞いてくれるだけで良い。金曜、確かに女とラブホには行ったが、やらなかった」
私の躰は聞きたくない、と課長を跳ね除けようとするが、それは叶う事無く腕に閉じ込められたまま、話を聞かされる。
「ネクタイも外さなかったし、女を触る気にもなれなかった。つーか、お前じゃないと立たなかった」
「か、課長、あの、」
「嬉子」
腕の力が緩み、顎をクイッと持ち上げられる。
「新しい口紅だな。似合ってる」
ちゅ、と可愛い音を立てて課長はキスした。
また振り回される。
もう勘弁して欲しいのに、と思っていても、キス一つでどうでもよくなるだなんて。
どれだけ頭の悪い女なんだろう。
「嬉子、俺は、」
PPPP………。
またしても、タイミング良く携帯が鳴りだし、課長はがっくり、と肩を落とす。
「出て下さい。そこのコンビニにも寄りたいんで、先に行きます」
お返しのキスをして、指で課長の唇を拭い車を降りる。
「嬉子、」
ルージュをつけられたまま出社されたらこちらが困ってしまうから、なのだが、新しい事に気づいてくれた事のお礼。
コンビニでおにぎりとお茶を買い、会社に向かう中、少し課長と向き合ってみようか、と思っている自分がいた。
課長を信じてみたい。
付き合っていた訳でもないのだから、別に他の女とラブホへ行ったとしても咎める術がある訳でも、資格がある訳でも無い。
それは、私達2人には何も進んでないし、始まってもいない。
ならば、今から進めれば、今からはじめればいいのではないか。
課長が私に目を向け始めてくれたのなら、私もそれを受け入れたい。
会社に着けば、キャラ作り子の愛子がせっせとお茶を配っていた。
この子にはこの子なりにいろいろとあるのだ。
女は2人しかいない職場でいがみ合うのもおかしいのかもしれない。
ならば、敵を作るより味方を作ろう。
「おはよう。愛ちゃん、10時のお茶菓子用意してる?」
「あ!嬉子さ〜ん!おはようございますぅ〜。お茶菓子!あ!愛、忘れてました!」
テヘぺロ★と舌を出した時には昨晩の本性を思い出して笑い死にしそうなった。
「も〜!嬉子さぁ〜ん!」
そのまま2人で給湯室に駆け込み、声を殺して笑い合った。
ーーー
定時前から課長は支店長となにやら会議室に籠っていたので、多分、本社から無理難題を出されのだろう。
課長を待つか、と悩んだが私はアパートに帰る事を選んだ。
今迄待ったのだから、明日に引き伸ばしたって大差無い、そう考えて私は会社を後にした。
久し振りに生クリームのカルボナーラを作って食べたくなり、材料をスーパーで買い、ご機嫌で帰宅。
アパートに着くと、ポスト確認、ドア確認をする。
ポストにも何も入っていない。
ドアにも何も貼られていない。
『…よし、今日は大丈夫。』
ほっとため息を吐いて玄関の鍵を開け、後ろ手に鍵を掛けた。
電気を点けてダイニングキッチンのテーブルにカバンを置こうとした処で、後ろから突き飛ばされ、悲鳴を上げられないまま私はデブの男に押し倒されていた。
「へ〜、もっと年の女かと思ったら、意外に若いでやんの」
グローブのような厚い手が口を塞ぎ、鼻息荒く私を品定めしている。
「今晩は。井之頭嬉子さん」
カツンッ、と床がヒールの底で蹴られる音が頭の上の方から響き、目だけ動かせば、そこには40歳前後といった女性が立っていた。
「はじめまして、と言った方がいいようね、その顔だと。…まったく、貴女、取引先の令嬢の顔も知らないの?なんて教育がなってない会社なんでしょう。はぁ、あんな会社早く辞めて我が社に来ればいいのに、幸司さんたら」
ふぅ、とため息を吐き、困った顔をした女に私の頭はやっと動き出した。
この女、課長の見合い相手だ。
「貴女がつい先日、そこのベッドで幸司さんに抱かれた事も、会社でキスしている事も、本社近くのビジネスホテルに2人で泊まった事も知っているわ。それでね、ちょっとご相談があって来たの。小西。手を退けなさい。少しこの女と話があるの。あぁ、でも、叫んだら首を絞めていいわ」
クスクスと下品に笑うこの女を睨みつける。
手が離れ、大きく息を吸い込み自分自身を落ち着かせる。
男の中でバカやって育って来ても、所詮、私は女。力で敵わない。
それに、この男は意外と筋肉質で、私の膝の上に乗って両足で挟み込んでいる為、動く事自体出来ないのだ。
「ご令嬢ともあろう人がする行為、とは思えませんが。あぁ、元々ご令嬢っていう《《生物》》はそういう《《頭》》しかないんですかね?」
思いっきり鼻で笑ってやると、お約束のように男の拳が蟀谷辺りに命中した。
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