短編

Ley

腐蝕

 望むという行為は人が生きながらにして常々大小に問わずして行っている行動であり、これなくして人々は生きられないと言い換えることもできる行動である。更に、確率0または1に近似することこそあれど確率が1,0そのものになることは自然界ではありえない。よって人は確率に問わずその期待値によって心の拠り所を変えつつも"望む"という行為を行って生活している。


 しかし期待というのは己の希望によって多少上下する部分でもあるのだ。


 例えばだが仮に勝率3割の野球チームがあるとしよう。その時に客観的視点としてこのチームが勝つ期待値は0.3だ。しかしながら、貴方がこのチームが勝つという事に10万円を友人に賭けていたとする。その金額が多いと思うか少ないと思うかによってこれも変わるが、少なからず負けたら損をすることから貴方がこのチームが勝つ期待そのものは上昇しているだろう。尚、これは根本的な数学としての証明には何らならない、この御託の中だけの世界だと思っていてほしい。


 さて何故こんな曖昧な話を持ち掛けたかという事だ、どうか酔っ払いの戯言だと嘲笑ってくれ。


 望むという行為は時に望まないことよりも辛く苦しいことになると身に染みて感じてしまったのだ。





 晴れて前から好きだったあの人と付き合えた所までは良かった。彼は快く承諾して、自分も愛しているなんてクサいセリフも互いに言い合って、年甲斐もなく照れくさって。下手くそなりにハジメテも終えた。胃もたれしそうなくらいな一夜は今思い返してもくらくらするくらいに甘ったるい。


 あの人と過ごす日々は酷く幸せだった。多くの知識を蓄えている彼は自身とは違う方面で博識で、今までにない視点から物事を見る彼と自身との相性はかなり良かったように思う。彼の持つ書物も大概興味の湧くものばかりで隣り合って並んではひたすらに頁をめくる時間もただただ幸せだった。



「ごめん、繫忙期で暫く忙しくなると思う」

「大丈夫」


 心臓のあたりがシダで締め付けられたように苦しくなって、夜の闇は私の手足をゆっくりゆっくりと壊死させていく。星の消えた闇夜は暗すぎて何も見ることができずただ横たわるだけ。昼間はなにも感じなかったのに光が消えると途端にその燻りは身体に蔓延るのだ。

 眩しすぎたブルーライトが少し手先の壊疽を堰き止める。何も変わらないロック画面と進まない時計を横目にプツリとその電源を落とすと眼下いっぱいに遺るのはただの闇で。一気に拡がった腐蝕が苦しいほどに呼吸を浅くさせる。特別視するほどでもないが息苦しさを感じる様な、ずっとそのままでいたら気がおかしくなるのが先のようなそんな苦しさ。

 そう、期待するのは苦しいのだ。何も考えない夜の孤独さは一人で過ごすには淋しすぎてかなわない。いっそのこと別れてしまえたらどんなに楽だろうか。


「もう時間も取れないし、別れよう」


 その一言はきっと自身が傷つく一言ではあろうが、この全身にまとわりつく鉛のような重さは取っ払ってくれるだろう。中途半端に手放してくれないから辛いのだ。

 溺れかけの人間をなけなしに助けようと現状維持したって溺れかけという苦痛な状況に変わりはなくて、いっそ殺せと望むのだって致し方ない。そういうことだ。


 酔っぱらって、気絶するように眠るようになってからどれくらいたっただろうか。この息苦しさは一向に取れなくて、だからといって彼からの既読も返信も一向にくる気配がなくて。生存すら他人からの情報になって、ついに誰にも聞かなくなった。

 部屋でまた溺れるように酒を飲みながら思う。堕落した、と。でももうだめなのだ。手先から拡がった腐朽はもう全身に拡がって救いようもなくなってしまった。


 嗚呼嘲笑ってくれ、お願いだ。彼と出会って愛を知って、壊れてしまった私のことを。

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