第二章それぞれのひと月

第36話 牢屋のさくら姫

 闇夜かと思ったが、少し明るくなったところをみると、今夜は雲が多いのだろうと思った。


 高い所にある明かり取りから洩れる月明かりが、部屋の中の人物の顔を照らす。

 部屋とはいったが、三方は石造りの壁出てきており、残った方には掌くらいの太さの角材で造られた格子が張られていた。


 ──ここに入るのも久し振りじゃのう。七つのとき以来じゃな、あの時は怖くて怖くて大泣きしたんじゃったな──


 座敷牢の中でさくら姫はそう思った。


 白邸城の地下にある座敷牢は、畳六畳程の広さで、石壁の高さはさくら姫の三人分くらいか。明かり取りは、外からだと膝の高さくらいだが、中からは絶対届かない高さにある。

 たとえ届いたとしても、大人の腕がぎりぎり通るくらいの幅の鉄格子が石壁にがっちりはまり込んでいるからとても出られないだろう。


 座敷牢の端には蓋付きの厠があり、用を足す際は見えないように、腰の高さくらいの衝立がある。それ以外は何もないところであった。


※ ※ ※ ※ ※


この日の昼前までは、さくら姫は参の曲輪にいた。

 謁見の間にて、小姓であり守り役のひとり、平助こと高見平蔵が亡くなったと伝えられたのだ。

 白装束で平助が亡くなったことを淡々と話す瀬月家老頭の話しを、最初はぼぉっと聞いていた。爺は何を話しているのだろうと。


「三日前、弐ノ宮に仕えている巫女を連れ出し、逃げているところを、禰宜と下男らが追いかけ、神社西側にある沼にて追い詰められ、巫女を道連れに沼に飛び込んだよしにございます」


 さくら姫はまだ飲み込めてなかった、いや、わかろうとしなかった。


「亡骸はまだ見つかっていませんが、一刻過ぎても沼から出たようすがなかったので、溺れて亡くなったのだろうとのことです」


「……爺」


「はっ」


「なにを話しているのじゃ」


「ですから高見平蔵が亡くなったと……」


「誰がどうしたと」


「……平助が死にました」


途端、さくら姫が大声をあげた。


「馬鹿なことを言うな、平助が死んだと。そんな訳があるか、あれが死ぬはずはない」


「姫様、信じられない御気持ちはわかります。しかしながら、弐ノ宮からの正式な報せがあり、寺社奉行とあの辺りの代官所が調べた結果で……」


「嘘じゃ嘘じゃ嘘じゃ、わらわは信じぬ、信じぬぞ」


「姫様」


「もういい、爺の顔なぞ見とおない、下がれ、下がれ」


 さくら姫はそう言い捨てると立ち上がり、謁見の間を出て自分の部屋に向かった。残った瀬月は一礼した後、ゆっくりと謁見の間をあとにした。


※ ※ ※ ※ ※


  さくら姫は自室で突っ伏していた。平助の死をまだ受けとめられなかった。


 平助と林太と知り合って七年くらいになる。町娘の格好で歩いていたら、不埒者に拐われそうになった。その時、助けてくれたのが、当時はなおか一座にいたふたりであった。

  それからほぼずっと一緒にいたのだ。その平助が死んだとはどうしても受け入れられなかった。


──平助が巫女を連れ出しただと、追い詰められて沼に飛び込んだだと、そんなはずはない、そんなはずはないそんなはずはない…… ──


 やがてさくら姫は何がそんな筈はないかに気づく。


「……おかしいぞ、そんな筈はないではないか」


 さくら姫は起き上がり、親指を噛みながら部屋の中をうろうろしはじめた。


「おかしい、おかしいぞ。そんな筈はない、ない筈じゃ」


さくら姫はぶつぶつ言いながら、考える。


「あれがああだから、こうなる。いや、こうか。それからこうなって……」


びたりと動きが止まる。


「駄目じゃな、やはり誰かに話しながらの方が頭がまとまりやすい」


みなづきか林太がいればと思った。

 もうひと月会っていない、元気にしているだろうか、みなづきは後の曲輪で苦労していないだろうか、林太は尾張城下で元気にやっているだろうか。最後に会った時は何を話したっけ。


その時、みなづきの言葉を思い出した。


「父がその気になれば、さくらなんか赤子の様なものですからね」


 その言葉で閃いた。そしてまた親指を噛みながら、うろうろしはじめる。

 やがてその足は止まった。


「ふむ、おそらくこの考えで間違いなかろう。となると、確かめるためにもあとはやるだけじゃな」


 さくら姫は部屋の中の小物入れを開けると、愛用の扇子と大きな玉のついた簪、それと幾つかの風呂敷を袂や懐にしまった。


「よし。誰かおらぬか、おしのを呼んで参れ」


少し経ってから、中年寄のおしのがやって来た。

  おしのはとある武家の娘である。いずれ嫁ぐために奉公して花嫁修業をするのと、城勤めをしたいからとさくら姫のところにやってきた。


 しかし御年寄のきさらぎに、四十八女からやるように言われて、最初は少々くさっていた。なぜ村娘や町娘などと一緒にされなければと思っていたが、実際に一緒にやってみると、彼女らの有能さに驚かされる。その後、心をあらためて切磋琢磨した彼女は四十八女の組頭になり、きさらぎに認められて、中年寄となったのだ。

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