第20話 黄昏の森とは
「わらわと老中頭の瀬月が、そなたらに落ち度はないと請け合うから下がれ」
睨み合う二人の姿と、声の重みから察し、おしのは下がり、それに合わせておたかも下がった。
謁見の間には、さくら姫と瀬月のみが残り、さくら姫は上座の席から立ち、瀬月の近くまで近づき座り直す。
「これで誰にも聴かれぬな」
「御気遣い、感謝いたします」
瀬月は一礼した。
「で、森とはなんのことじゃ」
「姫様のお心当たりにある森です」
「さて」
取り敢えず惚けてみたが、瀬月の眼はそれは無駄なことだと伝えていた。
「寺社奉行から報せはきています。昨日、結界を張っていた森の入り口がおそらく自然に切れてしまっていた。結界内に新しい複数の足跡と馬の蹄の跡が残っていた。報せに来た鍛冶屋の小屋に男が二人女が一人いて、女は男の格好していたと」
あの奉行どもか真面目な奴等め。とさくら姫は内心舌打ちする。
「おお、昨日な事か。たしかに行ったな」
「何故そのようなところに」
「たまたまじゃ。本来はクラ……あ、いや、鍛冶屋の処に行くだけだったのじゃが、あ、そうじゃ、爺、その鍛冶屋やはり鍛冶屋蔵人であったぞ」
「蔵人でしたか。なるほど、合点がいきました」
「なにがじゃ」
「鍛冶屋風情が結界のことを知っていることです。それより何故行かれたのです」
「たまたまじゃと言うておるじゃろう。あの辺りには何度か行っておるが、小道があるのは気づかなんだ。それで気になって行っただけじゃ」
「なにか見られましたか」
重々しく訊く瀬月に、さてどう答えようかと、さくら姫は思案する。
── あの時、田中という同心はわりと早く帰ってきた。つまり中まで見にいってない。となると足跡云々はそのあと見たことになる、陽が落ちかけていたあの時なら、森の中までは入っていないな──
「森の入り口まで行ったのだが、なにかあぶなげでな。そこで引き返してきた」
「森の中には入ってないということですな」
「うむ」
瀬月は、さくら姫の眼をじっと見る。真偽を確かめているその眼にさくら姫も見据える。
しばらくじっとしていた二人だが、やがて瀬月が深く息をつき納得する。
「わかりました。それならよろしいです」
「こちらはよろしくないぞ、あの森はなんなのじゃ。なぜ爺がそこまで関わり拘るのじゃ」
「政ごとの話です、女の姫様には知らぬでとよいことです」
「爺、わらわのことは分かっているであろう。教えぬととことん探るぞ」
「知らなくてよいことと言っているではないですか、政ごとに女は口を出さなくてもよろしい」
「爺」
瀬月はしばらく黙っていたが、ふうとため息をつくと、
「もう城から出ぬと約束するのでしたら話してもよいですぞ」
さくら姫はわかったと頷く。
「わかりもうした、約束ですぞ。ただし他言も無用ですぞ」
「わかった、約束する」
「あの森はですな、生きた墓場なのです」
「生きた墓場とは」
さくら姫は自分たちを追いかけ回した怪しい奴等を思い返した。
「姫様が生まれる前に大きないくさがありました。今は[最後の大いくさ]といわれるものです。その戦に爺は、
我等は護邸将軍率いる東軍に付き、殿は数名の近衛隊と共に東軍本陣に、瀬鳴家臣団はこの爺が指揮をとることになりもうした。いくさは東軍の勝ちとなりましたが、瀬鳴家臣団はそれなりの痛手を受けました。爺の傷もその時のものです」
瀬月は顔の傷を指さした。
白髪頭で、おでこから月代まで禿げ上がっている頭髪に浅黒い肌と深いしわ、そして刀傷が左目を塞いでいる。この迫力ある顔立ちに大抵の者は萎縮するが、さくら姫はまったく動せず爺呼ばわりしている。
「手疵足傷をうけて死にはしなかったが、後々満足に働けぬ者達が大勢できてしまいました。もちろん、いくさ働きに対する褒美はちゃんと払いましたし、その者達の家族も納得してくれました。しかしです」
瀬月はすうと息を吸うと、
「人というものは勝手なもので、働けぬ彼らを疎ましく思いはじめたのです。自分たちは働いているのに、働けぬ、いや働かぬと思われ、彼らに日に日に辛く当たりはじめました。
そのような事になっていると知った我等は、彼らの居場所をつくることにしたのです」
「それがあの森か」
「その通りです、姫様。居場所を失った者達による終の場所、誰言うとなく[黄昏の森]と呼ばれるようになり、それを知らぬ者が迷い込まぬように結界を張っていたのです。ですからもう彼らをそっとしておいてあげてくだされ、もうあの森に行ってはなりませぬぞ」
「わかった。話してくれて嬉しくおもう。納得し胸のつかえがとれた気持ちじゃ」
さくら姫は元の上座に戻り、おしのとおたかを呼び戻す。
「爺、大義であった」
「は、ではこれにて下がらせていただきます」
瀬月は一礼すると、さくら姫達に見送られながら謁見の間から退いていったのであった。
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