第138話
「ふう、こんなもんか」
秋雨がダルタニアン魔法学園の職員として働き始めて二日が経過した。今のところ問題らしい問題は発生していないが、少々困ったことが起きている。
それは、初日に学園の案内をしてくれた職員のうちの一人が、毎日彼が割り当てられている部屋にやってくるようになってしまったのだ。
まさか、薬の調合を行っただけで目を付けられるとは夢にも思っていなかった秋雨であったが、彼の予想に反して職員としての学園生活は多忙の日々を送っていた。
「ヒビーノ先生、少々お時間よろしいでしょうか? この魔法と魔術の定義について先生の意見を頂戴したく……」
「ヒビーノ先生、魔道具と魔法陣の関連性についてですが……」
「ヒビーノ教諭! 是非某と錬金術についての議論を交わしたく!!」
「先生、魔法の詠唱について先生のご意見をお聞きしてもいいでしょうか……」
などといった具合に、表向き上はただの雑用をこなす事務員として雇い入れられているにもかかわらず、ひっきりなしに職員たちが彼のもとを訪ねてくるのだ。
秋雨としても突っぱねればいいのだが、すでに自分が魔法陣についての知識を持っているということは、職員の間で知れ渡っている状況だ。そんな中で「そんなものは知らん」というのは筋が通らず、支障が出ない程度の当たり障りのないことを言って追い返している。
一部過激な人間もいるが、件の人物についてはやることがあるだの仕事が忙しいと何かにつけて断り続けている。
「どうしてこうなった?」
すべては編入試験でやらかした自分の失態からくるものであったが、それでも今の状況を嘆かずにはいられない。
秋雨がその気になれば、すぐにでも国外逃亡することはできるのだが、一度やると約束した以上、最低限の筋は通さなければならないため、ある程度の雑務をこなしたあと、彼は部屋へと戻った。
「さて、できるだけ早急にレポートを完成させてしまおう」
そう言って、秋雨はさっそく魔法陣に関するレポートを作成し始める。これは、学園長であるバルバスと交わした約束であり、逆を言えばこの条件さえ守ればあとは自分の好きなタイミングで逃亡することができるのである。
「汚らわしい獣人風情が! 身の程を知れ!!」
「ん?」
部屋に戻ってレポートの作成に取り掛かろうとしたそのとき、外から誰かを罵倒する声が聞こえてくる。内容から罵倒されているのは獣人らしい。
「……」
「お前ごときが、この栄えあるダルタニアン魔法学園に入学すること自体が問題なのだ!!」
「……」
「獣人である貴様には、その姿がお似合いだ!!」
「……」
「獣人風情が――」
「ああ、うるさい!」
無視してレポートの作成を行おうとしたが、罵倒する声があまりにもうるさすぎたため、作業に集中できなかった。仕方なく外へと出てみると、彼の部屋のすぐ近くで一人の獣人が二人にタコ殴りにされていた。
「くっ」
「なんだその目は!?」
「俺たちに逆らおうってのか?」
「……」
その光景を、黙って遠目から見ている秋雨。彼の心境としては、あまり関わり合いになりたくないといったところである。できることならば、このまま踵を返して見なかったことにしたい。しかし、神は無慈悲にもそれを許してはくれなかったようだ。
「ヒビーノ先生? こんなところでどうしたんです?」
そこに現れたのは、彼を初日に案内してくれた職員のアリマリであった。なんでこんな絶妙なタイミングで現れるのだろうと、理不尽な怒りをぶつけたくなる彼であったが、それはただの逆切れにもなっていない彼女にとってはわけのわからない言い分であるため、そういった感情を押し殺して今の状況を彼女に示唆した。
「あれを」
「あれは……なんて酷い。止めなければ! 行きましょう先生」
「……ああ」
秋雨は内心で「ですよねー、そうなりますよねー」と半ば諦観の思いで、アリマリに付随する。そして、彼らの間に割って入った。
「あなたたち何をやっているのですか!?」
「ちっ」
「なんでもありませーん」
「こんなことが許されると思っているのですか? これは、この学園の人間として見過ごすことはできないですよ?」
「そんなことを言っていいんですかね先生ぇー? うちの家が一体どれだけ学園に寄付をしているかわかっているんですか?」
「俺やこいつの家も黙っちゃいないでしょうね。今なら、なかったことにしてあげますけど? どうします?」
「……」
獣人の生徒をいじめていた二人の生徒は、どうやら身分のある家の出身らしく、それを笠に着せてアリマリの追及を黙殺しようとしてきた。
それを見ていた秋雨は、やはり権力者というのはどこの異世界でもこういったどうしようもない人種なのだなと、改めて貴族や王族に対する認識を自覚する。
「ところで、そいつは誰だ? ……それは、学園職員の身分を表す職員バッジ?」
そんな中、秋雨の姿を見咎めた生徒の一人が、彼が一体何者なのかと尋ねてきたため、首元にある職員バッジを指し示してやると、その正体が誰なのか理解したらしい。
「こいつが職員? 俺らとほとんど変わらない歳じゃないか?」
「なにかの冗談か?」
「二人ともヒビーノ先生に失礼ですよ! 彼はれっきとした――」
「アリマリ先生?」
「……いえ、なんでもありません。それよりも、今回は厳重注意ということでこれで終わりですが、次からはこういったことはしないように。行きなさい」
生徒の反応に反論しようとしたアリマリを秋雨が窘める。職員とはいっても、表向きでは雑用として雇われている事務員である彼の事情を知られるわけにはいかないのだ。
そのことに思い至った彼女は、すぐさま今回の生徒の行動を注意し、その場から退去させた。いじめの処罰としては軽いものではあるが、彼らの家と学園の関係を崩さないようにするためにも、末端のいち職員でしかないアリマリが彼らを処罰することは避けるべきであったのだ。
「大丈夫ですか」
「くっ、さわ、るなっ」
片膝をついて動けない生徒を助け起こそうとしたアリマリであったが、その申し出はすげなく断られる。彼女の申し出を断りよろよろと立ち上がると、その生徒もどこかへと去って行った。
獣人の生徒がいなくなってすぐにアリマリが口を開いた。
「私は間違っていたのでしょうか?」
「何が正しくて、何が間違ってるかなんて人それぞれだからな。もし、人の価値観がまったく同じであるなら、戦争なんて起きはしない」
「そう、ですよね」
秋雨の言葉を聞いたアリマリは、がくりと肩を落として、とぼとぼとした足取りでその場を去ろうとしていた。だが、そんな彼女の背中に彼はこう投げ掛けた。
「だが少なくとも、あんたの行動で一人の生徒がこれ以上傷つくことだけは防げた。それは、紛れもない事実だ。例え生徒があんたの取った行動に感謝していなくても、その行いは正しかったと言えるんじゃないか?」
「……ありがとう、ございます」
それだけ言うと、今度こそ彼女はその場を去って行った。
現代社会においても、こういった生徒同士の価値観の相違によって起きるいじめ問題は社会現象として取り沙汰されており、場合によっては犯罪として取り締まる事案となることも珍しくはなかった。
「若いうちは誰でも間違いを犯すものだ。そんな些細なことで、将来有望な若者の未来を断っていいのだろうか?」とよく耳にする言葉であるが、それが原因で自ら命を絶った若者もいるというのに、生きる未来を絶たれた若者はどうすればいいというのだろうか?
そんな小難しいことを考えながら、秋雨はため息一つ吐くと、やるせない気分で部屋へと戻って行ったのだった。
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