第117話



「うっ、うーん」



 図書館で天災の魔女についての情報を手に入れた秋雨は、その日の夜またしても急な寝苦しさに襲われる。その不快感から徐々に意識が覚醒していき、目を開けるとそこにいたのは――。



「エリスさん?」


「はあ、はあ。目が覚めおったか」


「あ、あれ?」



 そこには、秋雨に馬乗りになったエリスの姿があり、何故か頬に赤みが差した息の上がった状態となっている。どこからどう見ても性的に興奮している状態であり、目もどことなく据わっている。



 その状態はまさに夜這いの状態であり、とてもではないが言い訳できるような状況ではない。



 そして、謎なのが前回同様、身体が動かせない状態となっていて、そのことに彼が戸惑っていると、口端を吊り上げ妖艶かつ挑発的な笑みを浮かべたエリスが口を開く。



「千年ぶりに現世に舞い戻って興奮しておってな。すまんが、お主を使わせてもらうぞ」


(どうやら、俺の存在を危惧した結果、寄生主から身体の主導権を奪ったようだな。であれば、目的は俺の口封じか。だが、何故だろう。別の意味の危機になってないか?)



 自分の正体を知ってしまった人間を生かしておくなどという選択肢はなく、天災の魔女の目的が自分を抹殺することであると秋雨は考えていた。だが、何故だか彼女がやろうとしていることは夜這いであった。



 それは、ペンドリクスが乗っ取った身体の持ち主であるエリスに問題があった。



 奴隷として日々雑用をこなしていた彼女であったが、肉体労働などは得意ではなく、エリスの契約主である男は日を追うごとに彼女が奴隷として役に立っているかどうか疑問に思い始めた。



 少しでも役に立とうと、彼女が力を入れたのが夜伽であり、その結果自分でも得意と自負するくらいの技術を手に入れることになる。



 そして、その身体は行為を重ねることで敏感なものになっており、そんな状態の身体を他人が奪えばどうなるのかは想像に難くない。



 エリスの身体を乗っ取ったことで、性的欲求を抑えられなくなってしまったペンドリクスは、いてもたってもいられずワンマンプレイに勤しんでしまい、気づいた時には日が暮れているほどに行為に夢中になってしまっていた。



 しかし、それほどまでの欲求を一人で抑え込めるはずもなく、秋雨を抹殺する前に己の欲望を満たそうとしたのである。



「何も心配することはない。すぐに殺しはしない。殺す前にいい思いをさせてやろう。なに、ちょっと天井のシミの数を数えておればすぐに終わる」


(め、目がやばいぞこいつ。どんだけヤりたかったんだよ!)



 秋雨とてそういった行為については好奇心が強い。だが、彼にも時と場合と場所というものを選ぶ人間なのだ。



 現状、ペンドリクスが秋雨を夜這いしている状態であり、これは彼の望んだシチュエーションではない。言うなれば、盗賊に捕まって慰み者にされる女性となんら変わりないのだ。



 彼としては、こちらが望んでアプローチをし、向こうもそれを受け入れるというのが理想である。だが、今は相手の一方通行であるため、襲われている状態といってもいい。



(に、逃げねば。くっ、拘束系の魔法か)


「逃げようとしても無駄じゃ。わらわの拘束から逃れることなどできぬ」


(やはりな。だが……うおおおおおおおおおおおお)



 ペンドリクスの拘束から逃れるべく、秋雨は体内の魔力を高める。自分を拘束している原因が魔法的なものであるあれば、魔力による抵抗で拘束から逃れることができると考えたからだ。



 その思惑は見事にはまり、ペンドリクスの魔法を無効化することに成功する。



「ほう、わらわの闇の呪縛鎖(ダークチェイン)を外すとは。やはり、小僧。貴様、只者ではないな」


「そんなことよりも、邪魔だどけ!」



 拘束が解かれたことで自由になった秋雨が、腕を横に振って馬乗りになっている彼女をどかす。もはや体裁を気にする必要がないため、演技を止めいつもの口調になっている。



 ペンドリクスもその反撃を受け、馬乗り状態になっている秋雨から降りつつ、警戒しながらも一定の距離を取る。



「何者だ小僧? わらわの拘束から逃れるほどの魔法の力。さぞや名のある魔法使いと見る」


「ただの冒険者さ」


「ふん、答える気はないか。まあよい。男は他にもいる。殺す時間が早まったが、死んでもらおう。貫け雷【雷槍(エレキランス)】」


「ちぃ、いきなりか。【魔防の障壁(マジックウォール)】」



 夜這いが失敗に終わったことで、用はないとばかりにペンドリクスが攻撃を仕掛けてくる。手から放たれた雷の槍が秋雨に襲い掛かるが、即座に対応し彼女の放った魔法を無力化する。



 その事実に目を見開き驚愕するペンドリクスであったが、焦ることなく秋雨に語り掛ける。



「ほう、わらわの攻撃を防ぐか。やはり、只者ではない。貴様はここで殺しておくべき相手だ」


(またこの展開かよ。まったく、どうして面倒事っていうのはこうも予告なく舞い込んでくるのかね)



 再び彼女が魔法を放とうとしたとき、秋雨はベッドから飛び起き、開いていた窓から外へと脱出する。



「【飛翔(フライング)】」



 そして、そのまま空を飛ぶ魔法で宿から外に飛び立ち、王都の外へ向かう。しかし、相手も魔法使いであるからして、当然同じように空を飛んで追ってきている。



 さすがに飛びながら魔法を打ってくることはないが、その飛行速度はかなりのもので、秋雨の飛行魔法をもってしても逃げることは困難だった。



 その事実に気づいているのか、口の端をにやりと吊り上げながら嘲笑するペンドリクスを視界の端に捉えつつ、秋雨は王都からできるだけ離れた場所へと飛び続けた。



 そして、王都から馬車で数時間ほど離れた場所へとやってきた秋雨は突如として飛行魔法を止め大地へと下り立つ。そこは何もない草原が広がっており、ある程度戦うにはもってこいだ。



 そうこうしているうちに、追いついてきたペンドリクスが降りてきて馬鹿にしたような口調で話し始める。



「どうした。もう逃げんのか?」


「ああ、ここで戦う」


「ほう、わらわが天災の魔女ペンドリクスと知っても戦意を失わないのは無知ゆえか? はたまた、無謀とわかりきったうえでの蛮行か?」


「お前と同じ理由だ。お前は、俺を始末するつもりのようだが、それは俺も同じ。俺が普通の魔法使いでないと知られた以上、俺もお前を生かして返すつもりはない」


「……ふふふ、面白い。であれば、どちらがより優れた魔法使いであるか力比べといこうではないか!」



 そう言いながら戦闘態勢に入るペンドリクスは、明確な殺意を秋雨に向けてくる。それこそが、彼が彼女と戦うことを決めた理由でもあった。



 圧倒的な悪意を持った人間は、巡り巡って多くの人間に被害をもたらす。それはいずれ秋雨のもとにもやってくるだろう。



 何度も言っているが、秋雨は最終的に自分に被害を受ける可能性がある案件については積極的に介入することをよしとしている。それは、ちっぽけな正義感だとか困っている人を見過ごせないといった高尚な感情からくるものではなく、どうせ後で対処しなければならないのなら今からでもやっておいた方がいいだろうという損得勘定からくるものである。



 このままペンドリクスを放置すれば他の人に被害が拡大し、その後自分のもとにやってくるとなった場合、そこまで被害に遭った人たちが無駄に被害を受けるというあまりに理不尽なことになりかねない。



 であるならば、彼女のヘイトが自分に向けられているうちになんとかした方が、他の人たちにも迷惑がかからず、あとからやってくるであろう問題もすぐに解決できるという一石二鳥な結果となる。



「まずは、小手調べじゃ。噛み千切れ【風牙の刃(ウインドファングエッジ)】!」


「【岩盤壁(ベッドロックウォール)】」



 先手はやはりペンドリクスで、風属性の魔法を放つ。不可視の風の刃が秋雨に襲い掛かるも、それをただ黙ってみている彼ではない。地面に両手をつき、そこから硬質な岩盤の壁が出現する。



 その壁は頑強で、彼女の放った魔法をいとも簡単に受け止める。もちろん、穴は開いておらず精々が壁面に傷が付いた程度である。



「ご返杯だ。飲み込め【堅固な土石流(ソリッドデブリスフロウ)】」



 秋雨が呪文を口にすると、今まで彼を守っていた岩盤が砕け、大量の水と共に押し流される。それは土石流となって彼女に襲い掛かり、彼女を飲み込まんとしていた。



「【飛翔(フライング)】。やるではないか。守りに使っていたものを逆に攻撃に転じるために利用するとは。では、これはどうだ? 【大氷塊(ヒュージアイスブロック)】」



 秋雨の魔法を飛行魔法で回避し、ペンドリクスがさらなる反撃を追加する。彼女が両手を天に掲げると、そこには一辺が数十メートルもある巨大な立方形の氷の塊が出現する。



 その圧倒的な物量は凄まじく、並の魔法使いではまず防御は不可能に近い。そう、並の魔法使いであれば……。



「この巨大な氷の塊。防げるものなら防いで見せよ! くらえ!!」


「やれやれ、攻撃が大味過ぎる。そんなものは二流にしか通用しないぞ。【溶岩の大海(ラヴァーオブオーシャン)】」



 迫りくる巨大な氷塊を包み込むように突如として空中に溶岩が出現する。それは名前の通り海の如き質量で、彼女の放った氷を包み込み、何事もなかったかのように溶かしてしまった。



 完全に氷を溶かしきったあと、そこにあったはずの溶岩は幻だったかのように消失する。だが、残った熱量はそこに確かに溶岩が存在していたことを証明していた。



 それを見たペンドリクスも、目を見開いて驚愕するも、次の瞬間には挑発的な表情を浮かべ、にやりと笑う。



「はっはっはっはっ、まさかこれを防ぐ者がおるとは。どうやら、もう少し本気を出してもよさそうだ。……すべてを飲み込む大いなる炎よ。我が敵となった者に絶望を与えよ【炎帝球(スフィアフレイムエンペラー)】!!」



 ペンドリクスが次に使った魔法は、巨大な炎の球体を出現させるものだった。先ほど秋雨が使った溶岩の魔法よりも熱量はないものの、五十メートルは下らない巨大な球体はそれだけでも脅威となる。



 しかし、秋雨は首を振りながらため息を一つ吐くと、呆れた声色で言葉を発する。



「やれやれ、また大味な攻撃か。何度も同じことを言わせるな。そういうのが通用するのは二流の魔法使いまでだ」


「ふん、ならばわらわの最強最大のこの攻撃。見事防ぎきってみせよ!! 死ねぇーい!!!!」


「はん、宇宙の帝王フ〇ーザじゃねぇんだぞこの野郎……。時よ止まれ【時間停止(タイムストップ)】」



 再び大規模な攻撃が迫る中、落ち着いた様子の秋雨は一つの魔法を使用する。



 それは【時間停止】という魔法であり、読んで字の如く特定の物象に対して一時的に時間の経過を止めるというものだ。



 今回の場合、その対象となるのはペンドリクスと彼女が使用した魔法に対してであり、醜悪な笑みを浮かべながらこちらに魔法を放つ姿のままピクリとも動かなくなっている。



 そして、彼女の生み出した巨大な炎の球体もこちらに迫ってくることはなく、まるで天井からワイヤーか何かで固定されているかのように一ミリも動かずに停止している。



「さて、このただ無駄にデカいだけの火の玉。どうするかな。魔力量的にはこの辺り一帯に巨大なクレーターができそうだから放置は論外として。まあ、霧散でいっか。てことで、さいなら。【魔力四散化(マジカルスキャッタリング)】」



 秋雨がペンドリクスの最強最大と宣う攻撃に対し、魔力を霧散させ無力化する魔法を行使する。すると、彼女が構築していた【炎帝球】が瞬く間に消失し、そこにはなにもなかったかのような静寂が訪れた。



 彼女の魔法が消失したことで、彼女を停止しておく必要がなくなったため、秋雨は【時間停止】の魔法を解除する。



「……ん? 一体何が起こった? なぜわらわの魔法がなくなっておる?」



 再びペンドリクスの時間が進み始めると、そこには自分が放った魔法によってもたらされるはずである破壊の痕跡は一切なく、こちらに向かって呆れた視線で見上げている秋雨の姿しかなかったのであった。

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