第105話



「ふむふむ、威圧感というやつか? 自分ではよくわからん」



 秋雨が王都へやってきてしばらくたったある日、秋雨は改めて自分の存在について考察していた。その理由としては、ライラやゲイルといったある程度の実力を持った人間が、感覚的に自分の実力を肌で感じているという現象についてだ。



 ライラもゲイルもそうだが、秋雨が鑑定した結果ではそういった相手の強さを調べる系統のスキルなどは保有しておらず、人が持つ本能的な何かであると推測していた。



 よく漫画やアニメなどで、殺気を感じ取って不意の奇襲攻撃を避けるキャラクターがいる。今回もそれなのではないかと秋雨は考えたのだ。



 本能的な何かで秋雨の実力を肌で感じ取る人間がいるとなれば、彼にとっては由々しき事態であり、早急に対処する必要がある。



「【創造魔法】で何とかならんか? ……あ、なりそう」



 そう言いつつ、秋雨は一つの魔法を生み出した。それは、彼が生み出した光学迷彩の原理を使った透明人間になる魔法のようなもので、自身の存在感を希薄にすることができる魔法であった。



「差し詰め【プリセンスシャットアウト】ってところか」



 などと適当な名前を付け、常に発動しておく魔法として秋雨は新たな魔法を生み出してしまった。それもこれも、女神サファロデからもらったチート能力のお陰なのだが、ともかくこれで自分から漂う実力者の風格を抑えることができるようになった。



 そんな折、ダンジョンから帰還しいつもの通り素材の換金を終えたタイミングで、会いたくなかった人物に出くわしてしまう。



「よお、あの日ぶりだな小僧」


「……あー、えーっと。うーん……あっ! バケモン!!」


「誰がバケモンだゴルァ! バケラッタだバケラッタ!!」


「同じじゃないですか」


「野郎……舐めやがって。……まあとにかくだ。最近、随分と羽振りが良さそうだなてめぇ。俺は、最近財布の中身が寂しくてよぉー。というわけで、ちょっと金貸してくれよ?」



 といった具合に、金をせびるためにやってきたバケラッタだが、そんなことを言われて素直に従う秋雨ではないため、彼の答えはたった一つである。



「お断りします。金の貸し借りはするなと両親にきつく言われていますので」


「ああ? んな固いこと言うなよ。少しくらいいいじゃねぇか」


「駄目です」


「こっちが下手に出てりゃあつけ上がりやりやがって! いいから俺に金を寄こせ!!」


「うわぁ」



 そんな理不尽な要求など受けるはずもなく、秋雨はバケラッタの要求を丁重に断る。だが、その程度で引き下がるような賢明な判断のできる人間であるはずもなく、逆上して殴りかかってくる。



 咄嗟にバケラッタの拳をガードしつつも、後ろに吹っ飛び大げさに背中から地面にダイブする。傍から見れば、バケラッタの攻撃に吹っ飛ばされたように映るだろうが、その実わざと吹っ飛ばされたように見せかけるための秋雨の偽装工作である。



「おい、またバケラッタが新人に絡んでるよ」


「あいつEランクだろ? 自分より弱いやつに絡んで恥ずかしくないのかね」


「まったくだ」



 などと、秋雨とバケラッタの様子を見て他の冒険者たちがひそひそ話をする。だが、誰も秋雨を助けようとはしない。



 なぜなら、基本的に冒険者同士の諍いは私闘などの本気の殺し合いを除いて特に問題視されていないからだ。だから、ある程度の口論や喧嘩などは日常茶飯事であり、冒険者ギルドとしても実害がなければ介入してくることはない。



 もちろん、目の前で殺し合いが始まれば、周りの冒険者やそれこそ職員も黙ってはいないが、現時点では冒険者同士の個人的な話として捉えられていたのだ。



「ぐっ」


「ほう、今の俺のパンチを食らって立てるとはな。少しは根性あるじゃねぇか」


「……」


「おう、なんだその顔は? 文句があるならやり返してこいよ?」



 受け身から立ち上がり、秋雨がバケラッタを睨みつけるが、そんな彼に挑発の言葉を投げかける。だが、最近レベルアップを果たしている秋雨にとって力加減が難しい状態であり、下手をすればスプラッタな状況になる可能性があるのだ。



(たぶんだけど、小指で殴っても風穴が開きそうなんだよなー。なら、これしかないか。……【昏睡悪夢(コーマナイトメア)】)



 秋雨は周囲に気づかれないようバケラッタにある魔法をかけた。それは一種の呪いのような効果をもたらすものであり、特定の条件を満たさない限り昏睡状態から脱出不可能にさせる魔法である。



 特定の条件というのは、この魔法を使うたびに変更可能で、今回の場合“他者に迷惑を掛けない真人間になること”という条件に設定した。



「な、なんだ……急に眠く。……ぐごー」


「あ、あれ? 寝ちゃった? おーい」



 まるで、相手が突然眠ったかのような反応を見せつつ、バケラッタに近づき肩を揺らす。当然だが、昏睡状態になっているためどれだけ揺さぶっても彼が起きることはない。



 その様子を見ていた他の冒険者たちも何が起こったのかよくわからないが、先ほどまで喚いていた人間が静かになったから別に問題ないとばかりに、興味を失って自分たちの会話に戻った。



(よしよし、よく眠っている。これならば、少しのことでは起きることはないだろう。しかも、この魔法は呪いではないから神殿や教会の神官による解呪もできないはずだ)



 そう、この魔法の恐ろしいところはそこにあって、この魔法【昏睡悪夢】はあくまでも“ある特定の条件を満たすまで昏睡状態が継続される”という闇魔法と精神魔法による複合魔法に相当するもので、決して呪術などで呪いをかけたというわけではない。



 そのため、神官が得意とする解呪が通用せず、眠りの異常状態を回復する類の治療魔法やポーションなども効果を発揮することはないのだ。



 この状態を解除するにはかけた術者……今回の場合は秋雨だが、彼が術を解くか昏睡状態になっている人間が見ている夢の中で特定の条件を満たすという二つの方法しかないのだ。



 よくおとぎ話などで、呪いをかけた悪い魔法使いを倒せば呪いが解けるという描写がある。だが、この魔法は例え秋雨が死んだとしても術が解除されることはなく、解除するには術をかけられた本人が夢の中で条件を満たす他ないのだ。



(まあ、条件としては軽いものだし、それほど時間はかからないだろう)



 そう楽観視していた秋雨であったが、これよりバケラッタが目を覚ますまで数か月を要することになろうとは、この時の彼は夢にも思っていなかったのである。







「ん? ここはどこだ?」



 意識が覚醒したバケラッタは、どこか現実とは異なる感覚を覚える。そして、すぐに周囲の状況を見てその顔が驚愕に染まる。



 そこは淀んだ空気が漂うまさに魔の森といってもいい場所であり、強力なモンスターの気配も感じ取れた。



「と、とにかく。早いことここからおさらばしねぇと」


「ガアアアアア」



 そんなことを言っているうちに、巨大な体格をした熊のモンスターと出会ってしまう。Aランクモンスター【ハイグレードベアー】である。



「や、やべぇ! ここは逃げるしかねぇ!!」



 本能的に勝てないと悟ったバケラッタは、そのまま脱兎のごとくその場から逃げだした。しかし、熊の膂力というのは侮れないものがあり、とてもではないが、人間の足で逃げ切れるものではない。



 それでも、足を止めて戦うという選択肢はあり得ず、迫りくる脅威から逃げるため、彼は必死になって走り続けた。



 すると、そこにいたのは見目麗しい可憐な少女の姿であった。



「え? な、なに?」


「し、しめた! 悪いがお嬢ちゃん。俺が生き残るために死んでくれ」


「え? きゃあー」


「ガアアアアア」



 圧倒的な体格から放たれた爪の一撃は、何の力も持たない少女の体をいとも簡単に引き裂き、彼女の肉体は上半身と下半身で二つに分かれる結果となる。


 

 それを餌と勘違いしたのか、ハイグレードベアーはバケラッタをそれ以上追いかけることはなく、少女だったものを捕食し始めた。



「へ、へへ。助かったぜ。う、うおっ!?」



 少女の命を犠牲にしたバケラッタだったが、突如として地面が消え奈落の底へと落ちていく。



 それから、ありとあらゆるシチュエーションが繰り返されることになる。



 金を奪おうとした男性から、病気になった家族の薬代だから奪わないでくれと懇願され、その願いを突っぱねて金を奪い盗る。



 ゴブリンに襲われそうになっていた美女を助けたが、逆にゴブリンに成り代わって自身が美女を襲って手籠めにする。



 人通りの少ない裏路地で、幼い兄妹が食べ物を恵んでくれないかと物乞いしたとき「おめぇらにやる食いもんはねぇ」と二人を無視した挙句、自分はその足で食事処に行き食べきれないほどの食事を注文する。



 それ以外にも、人としてあまり褒められた行為でないことを繰り返し続けたバケラッタであったが、ある時を境にして自分が冷遇した相手の末路を知ることとなる。



 ハイグレードベアーの囮にした少女が捕食され、その内臓や骨が噛み砕かれる描写や金を奪ったことで薬が買えなかった男性の家族が死亡し、自分に対し恨み言を口にする光景。



 そして、手籠めにしたあとその美女が精神的に病んでしまい、自らの命を絶ってしまう光景や食べ物を与えなかったことで飢えにより死んでしまった兄妹など、自分が取った行動によって他人が不幸になっていく光景をまざまざと見せつけられてしまった。



 さすがのバケラッタもそんなものを見せられては罪悪感を抱かずにはいられず、後悔の念に苛まれる。そして、再び視界が真っ白になり、あの淀んだ空気の森へと戻されていた。



「ここって、まさか」


「ガアアアアア」


「く、くそが!!」



 それから、案の定逃げている途中であの囮にした少女に出くわすバケラッタであったが、今度は彼女を囮にすることなく自分の足で必死に逃げ惑った。



 そして、他のシチュエーションについても真っ当な人間が取る行動を続けた結果、突如として頭に声が響き渡った。



『条件を満たしました。昏睡状態を解除します』



「うっ、ここは。……夢、だったのか?」



 その後バケラッタが昏睡状態になって数か月が経過していること、それに加え今まで寝ていた宿の料金が金貨数十枚あるということを知り、借金生活を余儀なくされることになるのだが、あの夢を体験したバケラッタが再び悪行に走ることはなかったのであった。

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