源水晶の娘

 小綺麗な水色の着物を羽織った少年が、にこにこと一同に微笑みかける。

 その後ろには、色が落ち擦り切れた古い着物を身に着けた少女がおずおずと控えている。


「……あれが、みつとか言うガキか」


 矢彦に警戒の視線を這わせながら、紫狼丸が鼻を鳴らす。

 

「おい弓彦、あの子がどうした」

 

「この子はね、まあ、ボクの分身みたいなもの、かな」


 真安の問いに矢彦が答える。


「この子が必要だったから、沙耶には協力してもらったんだ。

 源水晶からヒトを作り出す方法を知っているのは、ボクの知り合いでは沙耶だけだったからね」


 がくん、と刀丸を持つ真安の肘に直に振動が伝わる。

 

「この子を作り出すために、まぁちょっと沙耶には血生臭いこともしてもらったけどね。それでも、これからボクがこの子を使ってすることに比べれば、そう大した問題でもないよ」


(ふざけやがって!)


 おびえたような視線で見上げるみつの頭を撫でながら、あくまで穏やかに話す矢彦の言葉に被さるように、真安の脳裏に若い男の声が響いた。


(問題ないだと……、沙耶はなぁ、沙耶は優しい奴なんだぞ。

 それを、それを……あんなことをさせやがって!)


 鼓膜全体を突き破るような強い衝撃。

 気が付くと、真安は一足飛びに矢彦の目の前に踏み込み、その頭上から刀丸を振り下ろしていた。

 まさに、瞬き一回分にも満たない時間。

 耳に感じた衝撃は、尋常ではない運動速度のためにおこったものらしい。

 月光を跳ね返し、刀丸の白刃が矢彦の脳天に叩き下ろされる。

 

 ガキン。


 金属と金属のぶつかり合う硬い音。

 刀丸の動きは矢彦の頭上でぴたりと静止した。


「な……に……?」


 見下ろす真安の眼下には、黒い鞘で刀丸を受け止めた胡蘭の姿。

 真安と目が合うと、ふっと目元が緩んだ。


「おい! 刀丸の野郎まだ手加減してやがるのか?!」


 ヒビ一つ入ることの無い鞘を見、紫狼丸が吼える。


「いや、刀丸は手加減はしていない」


 真安と胡蘭の動きを凝視しつつ、弓彦は忌々しそうに舌打ちをした。


「仮にも全てを斬る刀を納める鞘の強度。生半可な攻撃ではヒビひとつ入らない。

 しかも、相変わらずの沙耶の馬鹿力とあいまって、厄介なことに……。

 今思い切り沙耶と正面切ってぶつかりあっちまったのは刀丸としても誤算だとは思うが」


「ところが、こっちは計算ずくなんだよね」


 頭上で力の均衡争いをする刀丸と沙耶。

 それを目だけで追いながら、矢彦は優しくみつの頭を撫でていた手をとめ、やおら少女の襟元を掴み上げた。

 そう豪腕とも見えない小柄な少年姿の矢彦。

 それが軽々と同じ背丈ほどの少女を持ち上げている。


「! 何をするつもりだ! 矢彦!」


 慌てて一歩踏み出した弓彦は、やおらその場に膝を付いた。


「弓彦?!」


 慌てて駆け寄る紫狼丸。

 弓彦の傍らに近づき背中を抱え込むと、弓彦は肩で息をしながら矢彦を凝視した。


「無理はしないほうがいいよ、弓彦。

 まだ刀丸を封じた際に失った力が戻っていないんだろ。

 刀丸から霊気を借りてようやくその姿を保っているようだけど、刀の霊気で弓が癒えるとも思えないからね」


「野郎!」


「よせ!」


 矢彦に飛び掛りそうになる紫狼丸の腕を掴んでとどめる弓彦。


「止めんな! 真安坊主はあの女と組み合って動けねぇし、お前がそんななんら俺があのガキを助けるしかねぇだろ!」


「今お前が行っても犬死にだ」


「なんだと!」


「何でも切り裂く刀と、その攻撃に耐えうる鞘の一騎打ち。

 そして、完全状態の矢彦。

 ……近づくだけで身が裂けるぞ」


「じゃあ、なんで真安坊主とあの女は……」


「尋常ならざる力を持った武器と、その武器を扱える使い手。

 両者が揃って初めて、あの戦いにちょっかいが出せるってものだ。

 そのどちらも持っていないお前には、到底近づけるものではない」


「ち……」


 いつになく真剣な弓彦の言葉に、紫狼丸は唇をかみ締めながら従った。

 

「何を……するつもりだ?」


 刀丸を押し返そうとする胡蘭の力に耐えながら真安が問うと、矢彦はにやり、と白い歯を見せて笑うと、みつを抱えたまま真安と胡蘭の下から一歩退いた。


「大して面白くもない見世物だけどね。

 真安和尚、貴方の持つ刀丸が描いた刃の軌跡を見てご覧よ」


 腕にこもった力は緩めずに目だけで真安が上を見ると、丁度刀丸が振り下ろされた線、曲刀独特の柔らかな曲線を描いた刃の軌跡が、そのままきらきらと光の粒子を残し、光の線となって残っている。

 その光の内側。

 ほんの髪一筋ほどの黒い闇が見える。

 そして、その闇は、真安が見つめている間に少しずつ、少しずつ幅を広げているように見えた。


「時間が斬られた……?!」


 同じようにその様子を見ていた弓彦が、悲鳴のような声を上げた。

 

「そのとおり」


 口の右端をきゅっ、と上げ犬歯を見せながら矢彦が笑う。

 

「ボクを空間的にも時間的にも抹殺しようとした刀丸は、空間を沙耶のせいで切りそこなったんだ。

 そして時間の流れだけを斬った。

 ここにあるのは時間の狭間。

 過去か、未来か。そのどちらかにつながっている場所だよ」


「矢彦……!」


「もちろん、これはボクが計算して作ったものだけどね。

 これを……こうするために!」


 言うなり、矢彦は片手でぶら下げていたみつをその闇に向かって放り投げた。

 

「……!」


 目を丸くしたみつが宙を舞う。

 色あせた着物の裾が翻る。

 徐々にその幅を広げていた闇が、まるで獲物をみつけた野獣のように、みつに向かって急速に広がる。


「……みつ!」


 真安が叫ぶが、胡蘭は真安を離さない。

 

「あ」


 短い。ほんの一言を残して、少女は頭上の闇の穴に落ちた。

 

「……待て!」


 下から押し上げる胡蘭の力をよけるため、いったん刀丸を上へ弾くと、真安は胡蘭から飛びのく。

 そして、その勢いのまま、みつの飲み込まれた闇に手を伸ばす。

 真安の人差し指がかすかにみつの着物をかする。

 しかし次の瞬間、時間が逆周りするように、すさまじい勢いで穴がしぼんでいく。

 みつの着物の裾も、それにしたがって飲み込まれ、消えた。

 真安の手の中には、ただ、刀丸の軌跡が起こした光の粒子のみが残った。


「な……」


 呆然と手の中の粒子を見つめる真安。


「ボクの用事はこれで終わりだよ」


 無常なほど明るく、矢彦が笑う。


「なんの……真似だ」


 額に冷たい汗を浮かべながら、紫狼丸に支えられた弓彦が問うと、胡蘭が高らかな笑い声を上げた。


「まだ分からないの? これだから弓真君(きゅうしんくん)の創るものは嫌なのよ」


「胡蘭……いえ紅槍君(こうそうくん)。弓真君はボクの主であることもお忘れなく」


「そ……そうだったわね」


 今まで浮かべていた笑みを消し、冷たい口調で言う矢彦に、慌てて胡蘭は顔をしかめた。


「紅槍君だと!」


 目を限界まで見開き叫ぶ弓彦。

 ついで、ばったりと倒れ伏す。


「弓彦!」


 紫狼丸が慌てて抱え上げようとするが、弓彦は拳を握り締め、身体を硬くしたままうつむいた。


「……弓彦?」


「紅槍君だと?

 みつとあの胡蘭という女が一緒のものだということは……紅槍君を源水晶の容器に?

 とすると、矢彦は"神"をこの世に生み出したというのか?」


 下を向いたまま小刻みに震える弓彦の身体。

 

「……どういうことだ?」


 左の拳を握りしめ、刀丸を右手にぶらさげた真安が振り向いた。

 その顔には表情が無く、ただ蒼と碧の瞳が冷たく光っている。


「つまり、みつと胡蘭は同じ物――同一人物だってことだよ。

 ボクはこのボクと同じく自分の身体をもたないこの人――紅槍君を蘇らせたくてね。

 源水晶で作ったみつの仲に、かの方の魂をいれたんだ。

 それを体に安定させるのに必要だったのがこの数年。

 程よく安定したところで、今度は熟成の段階。

 体に魂が定着してもそのままじゃただの人、元の魂と同じ人にするには一定の環境で熟成させないといけないからね。

 だから、ボクがじっくりと環境を整えた40年ほどまえの世界に放り込ませてもらったってわけ。

 人間の気配も消えて、記憶も戻って、やっと元通りになったのはごく最近だけど」


「何故わざわざこんな手の込んだ事を……?

 もっと簡単な方法もあっただろうに」


「そうでもないよ」


 感情の無い真安の言葉に朗らかに答える矢彦。


「今、この時にボクは紅槍君の力が必要なんだよ。

 でも、ボクが自由に動けるようになったのはここ最近だからね、いまからゆっくり仕込みをしていたんでは間に合わないんだよ。

 だから、刀丸を利用して時間に切れ目を入れてもらったんだ。

 切れ目さえ入れてもらえれば、時間の流れはボクでも読めるからね。

 場所をここに選んだのは、君も知ってのとおり、ここは鬼谷山との境にある実に存在的に不安定な場所だからだよ。

 この世の摂理に安定してしまっている場所では、元の魂を呼び起こせないからね。

 ちなみに、ここの人間が全て死人なのはボクの仕業じゃないよ。

 死に絶えていた人たちを蘇らせたのは、ボクだけど」


「なるほど」


「おい……真安。お前大丈夫か?」

 

 長々と矢彦と問答を繰り返す真安の冷たい声を聞き、弓彦はふと一つの嫌な予感が頭をもたげた。


「大丈夫か……とはどういう意味だ?」


「お前……。お前にとって沙耶はなんだ」


「当たり前のことを聞くな」


 視線を矢彦に向けたまま、真安はきっぱりと言った。


「沙耶は”俺”の大事な妹に決まってる」


「……何言ってんだ……あいつ……?」


「まずい!」


 ぽかんとした顔をした紫狼丸とは対照的に、青ざめた顔を紙のように白くして弓彦が叫んだ。


「融合が始まりやがった!」

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