洞穴

 昼なお暗い洞穴の中。

 天井から滴り落ちる雫が岩畳を濡らす。

 軽い傾斜がついているのか、狭い洞穴内をその水は幾筋もの細い川となって流れてる。

 暗闇の中で、その様子はさながら人間の血脈が肉の中を流れているようにも見えた。

 闇の静寂の中、水音だけが静かに流れる。

 ふと、その音の中に異質な声が混ざる。低く、喉の奥で転がすようなその音は、大きく、小さく、振幅を繰り返す。

 洞穴の最奥。水の流れの元にその声の主はいた。

 滴り落ちる水をそのままに身体に受け、立ち尽くす影。

 岩石と見まごうばかりにいかつく、大きな影。

 それが声の主だ。

 しか、とは見えぬが、両の目だけは、はっきりと爛々と光っていた。

 影は肩をはげしく上下させている。

 分厚い胸板が大きく膨らみ、しぼむ。

 身体の揺れとともに、頭を覆う膨大な量の髪がばさり、ばさりと音をたてる。

 みじろぎすると、ガチャリという無機質な音をたてて、影を縛る鎖が鳴った。

 ふと動きを止め、まるで今気がついたかのように鎖を見下ろす影。

 身体全体に撒きついた鎖。

 両手両足の枷。

 ふと、鎖を外そうともがく素振りを見せた影は、ふいに肩を落とすと動きを止めた。

 そして、大きな、大きなため息とともに、一つの言葉を洩らした。


「さ……や……」







「父ちゃんも母ちゃんも、山で死んだ」


 さやの石を頼りに山を進みながら、空太はぽつり、ぽつりと話し出した。


「二人とも俺達が生まれる前からこの山にいて、二人して山の中で暮らしてた。

 毎朝毎晩、山の中に入っていって、泥だらけになってた」


 弓彦と紫狼丸に話す、というよりも独り言のように、地面をみつめながら空太は言葉を続けた。


「父ちゃんはよく俺に言ってた。『山に入るな。山には鬼がいる。鬼がお前を食っちまうぞ』ってよ」


「鬼?」


 前方を歩く弓彦が振りかえると、空太は目で頷いた。


「大きい、赤い鬼がいるって父ちゃんは言ってた。でも、母ちゃんは『山にいるのは神様だから、なんの心配もないよ』ってその度言ってた」


「なんだよ、夫婦して話があわねぇじゃねぇか」


 一番前で、手にした槍で道を切り開きながら進んでいた紫狼丸が、呆れたような声をあげた。


「……その話になると、二人していつも喧嘩になったな。

 二人とも頑固だったからよ」


 遠い目をする空太に肩をすくめると、弓彦は再び石を手にして紫狼丸の後についた。


「両親の死因は?」


「山崩れに撒きこまれたんだ。

 ……そのことを教えてくれたのがさやだった」


「さやとはその時に知り合った?」


「ああ。さやが俺の家にきて、母ちゃんの帯を見せてくれた。

 ……二人には会わせて貰えなかったけどな」


「……そうか」


 辛さも悲しみもない淡々とした空太の声が、木々の間に響いた。


「さやはそれからずっと、毎日家にきれくれた。

 みつの世話をやいてくれた。川魚をとるのを手伝ってくれた。

 山菜を持ってきてくれた。

 さやは恩人だ。それなのに……」


 手近な小石を拾うと、空太を苛苛と手の中で転がした。


「それなのに……、みつと一緒にあいつらにつれていかれちまった!

 俺は何もできなかった!」


「ガキ一人が女郎屋の男とやりあえるわけねぇだろ。

 お前になにができたってんだ」


 足を止め、振りかえった紫狼丸が顔をのぞきこむと、空太は手の中の小石を飲みこんだような顔でその顔を見上げた。


「……そうだよ、何もできやしなかったんだ。

 何もできやしなかったんだよ……畜生!」


 言うなり小石を藪に投げつける。

 物陰にいた小さな者の気配が、慌てて遠のいて行った。


「随分と、さやを信頼しているんだな」


 数歩前で歩みをとめた弓彦の冷静な声が、空太に投げつけられた。


「当たり前だ。俺とみつはさやに育てられたようなモンだ。

 親を看取って、面倒をみてくれた。恩人でなくてなんだってんだ」


「状況的にはそうだろうよ」


 腕を組み、右手で顎のあたりを障りながら弓彦はうなづいた。


「……なんか引っかかるぜ」


 空太から離れると、紫狼丸は弓彦を睨みつけた。


「お前……またなんか隠してやがるんじゃねぇのか?」


「別段、そんなことはしていないが」


 真っ向から紫狼丸の視線を受けながら、弓彦は手近な岩に腰を下ろした。

 

「お前、さやとの付き合いはどれくらいになる?」


「……五年……くらいだと思うぜ」


 突然尋ねられ、とまどいながらも答える空太。


「五年……か。五年も家族同然に暮らしてきた女に対する評価がなにをさておき『恩人』か」


「おい、弓彦。お前なに考えてんだよ」


「至極まっとうなことさ」


 とまどった顔を向ける紫狼丸に口の端をあげて笑って見せると、弓彦は空太の目を見つめた。


「お前くらいの歳のガキがな、身内同然の奴のことを話すのにいきなりそんな他人行儀なところから入るのが変だっていってるんだよ。

 何はさておき、そんな場合は『いい人だ』『優しい』『好きだ』なんていう言葉が自然と出てくるもんだ。

 確かにお前の言う『恩人』でもあるんだろう。でもまずその単語が出てくるところが引っ掛かる」


「そんなにおかしいか?」


「おかしいね」


 首をかしげる紫狼丸に弓彦が笑う。


「まるで"最初からそう決まっていた"ようじゃないか?

 ”さやは空太たちの恩人”。……刷り込みだな」


「刷り込み……?」

「どういうことだよ!」


 紫狼丸と空太の声が重なった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る