昔話

 昔々。時を数えるのも無意味なほど昔。

 部族間の争いに負けたある一族が、住み慣れた地を追放されることとなった。

 彼らは荒地を点々と流浪し、新たな住処を探し歩いた。

 ある者は海で死に、ある者は森で死ぬ。足萎えや老人、幼子といった弱い者から順に減り、一族が果てるかと思われたその時分、彼らはある山間に希望を見出した。

 そこは人を寄せ付けない切り立った山に囲まれた土地。彼らの他に人はなく、ただ閑散とした土地に、静かに風が吹いていた。

 流浪の旅に疲れ果てた一族の生き残りはそこを第二の住処と定め、ここに裕観邑が誕生した。

 そして幾数年の年月の中、徐々に裕観邑は邑としての体裁を整える。

 減り細っていた部族の人数も増え、僅かではあるが田畑や家畜を持ち、細々と生き残ることができたのである。

 邑を納めたのは、嘗て王族の司祭であった裕観一族。そして彼らの中に一人生まれる巫女であった。邑創りに多大な貢献をしたのは、将軍であった武人だったが、彼は一族流浪の責を自らの戦いの指揮のためだと感じ、支配者の地位を辞退した。

しかし、裕観一族は彼の功績を称え裕観の分家として扱うことを決定した。

 ここに、邑の実権を握る一族『裕観本家』と、『裕観分家』という二つの勢力が生まれた。


 さらに時はめぐり、今より二百年前の裕観邑に場は移る。

 裕観邑は一つの大きな問題を抱えていた。邑全体に関わる、大きく、深刻な問題だ。

 邑人達は連日頭を抱え、対応策に追われていた。

 その問題とは――水。

 彼らの生活を支える一本の生命線。邑に注ぐただ一つの水脈が枯れ始めているのだ。

 裕観邑が水を得る道はそこしかない。裕観一族の抱える巫女による雨乞いも、肝心の水脈が枯れてしまっていては、焼け石に水。

 邑全体を潤す水を乞い続けることなど、巫女一人の手には余る所業であった。

 邑人が暗い顔をして考えて込んでいると、ふいに一人の男がこう言った。


(……水の神様をつれてこようかと思う)


 まだ若い年頃の男だった。黒い髪を頭の上でまとめ、狩りと農作業で鍛えられた腕を袖丈の短い着物から見せている。

 日に焼けた肌は浅黒いが、なかなか端正な顔つきをした青年だった。

 名を彦六。裕観分家の長男にあたる男だ。


(昔、外から迷い込んだ行者に聞いたことがある。

 世の中には水を自在に操る神様がいて、人と暮らすことがあると。

 巫女を立てている部族には必ず一人の神様がいると。

 それなら、どこかに神の国があるのではないか? 俺はそれを探してみようと思う)


 邑の者たちは男の言葉に力ない笑いをこぼした。そんな夢物語を誰が信じよう。

 しかし、ただ一人。男の言葉を信じた者がいた。

 裕観一族の巫女、桜月である。

 白い肌は透き通るが如く、流れる髪は夜の闇のよう。

 毅然と前を見つめる両の目は、朝日に輝く湖面の如く静かに、美しく潤んでいる。

 美貌と知性を併せ持った仙女のような女人。それが桜月である。

 そして、桜月は彦六の許婚でもあった。

 彦六の強い意思と桜月の後押しから、邑人は彦六の『神探し』に全てを託すことにした。

 邑の宝として崇められていた『神の手』と呼ばれる神器を手に、彦六は邑を後にした。


 そして一年後。水脈の途絶える寸前に彦六は帰ってきた。

 一人の見目麗しい女人と供に。

 濡れ羽色の長い髪。紅い唇と碧色の目。一目でやんごとなき素性の者とわかる気品と振るまい。二人の侍女が恭しく後ろに続く。

 かの姫の名は「玉姫」。

 玉姫は桜月と主従の契約を交わし、裕観邑の神となった。

 玉姫が来た途端、水脈からは水が溢れ出し、裕観の邑のそこかしこに澄んだ水をたたえた池が湧き出した。

 雨季には雨が滞り無く降り注ぎ、作物の成長はそれまでの勢いを軽く凌駕した。

 ほんの短い時間に、裕観邑は外界のどんな邑よりも穏やかで、豊かな邑へと変貌を遂げたのだった。




(今までの苦労が嘘のようだった。

 俺たちは玉姫に感謝し、神を連れ戻った彦六を勇者として崇めた)


 玉姫の件まで話すと、石造師はうっとりと目を閉じた。


「それでは、玉姫が邑長の息子にとり付きに来たという話は、やはり出鱈目なのか」


(当たり前だ)


 真安の問いに、石造師は即答した。


(それどころか、玉姫様は我らの大恩人。まさに神だ!)


「そんな!

 それじゃあ、なんであんな伝説が……!」


「玉姫が邑にもたらしたのは、豊かな生活だけではなかった、ということだな」


 驚愕に目を見張る真生に無表情に弓彦が答えた。


「ここから先は俺の話になるぜ」


 岩の上にだらしなく胡座をかく弓彦。

 崩した右足が宙でぶらぶらと揺れた。

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