第65話(閑話)ねぇ、せーちゃん

 そこは、何もない一面ただ、真っ白に染まる空間であった。

 どこからが天で、どこまでが地なのか、その空間ではその境目すら曖昧になるほどの、白の世界である。


 そのただただ白い空間に、生命というものを感じさせない、例えるなら彫刻のように整った、いや整い過ぎた容貌を持つ人物が、座るような格好で浮かんでいた。


 その人物の顔には普段仕事の際に浮かべている、人を魅了する微笑もなく、今は何を考えているのかわからない無機質な様で、自身の太ももに居座るソレを撫でている。


――彼女は、そう、レイたちが暮らす世界の管理者である。



「ねぇ、せーちゃん」

何もない白の世界に、鈴を転がすような声がひとつ、落ちる。


「はい、マスター」

時を移さず、管理者に返事リプライを返す、その者の姿はその白い空間に、ない。返ってくるのは無機質な音声だけだ。そんなことを今さら気にすることもなく、管理者は自身の太ももの上で大人しく、なされるがままになっている、白いソレをただただ撫でている。


「そろそろ、上司に定期報告をあげろって言われてるんだけど」

「……先日レポートはお渡ししたはずですが? マスター」

「あら? そうだったかしら? もう一度出してくれる?」

「……ハイ。すぐに出ます、マスター」


 瞬きをするほどの時間で、管理者の正面には半透明のパネルが現れる。どうやら、それがレポートのようだ。女神は、耳の長い白い毛皮のソレ――神獣を撫でる手を止めることもなく、目線の動きでそれらの情報を読み取っていく。


「ありがとう。読んでいる間にエラーチェックをお願いできるかしら?」

「お任せください。マスター」


 目はレポートから離さぬまま、管理者は無機質な音声に対して、次の指示を出す。

 その後しばしの間、白の空間には沈黙の時が流れ、管理者のその金にも銀にも虹色にも見える美しい瞳には、レポートに映し出される文字なのか絵なのかすらよくわからない模様が映りこんでは消え、映り込んでは消えていった。


「エラーチェック完了しました。エラー、一件です。マスター」

「いつものやつかしら?」

「その通りです」

「なら、問題ないわね。ありがとう」


 管理者は、報告を聞きながらも、恐ろしいスピードでレポートを追っていく。半透明のパネルに映し出されるその模様が、管理者に負けじと加速度的にその淡い瞬きを早くするようである。


「あぁ~。目がやられるわ~」

「少し休憩しますか? マスター」


 管理者は神獣を撫でていた手で自身の目頭を押さえ、その瞬きを緩めたパネルを半目で眺めた。


「ん~、あら? ちょっと。この種、すっごく数が減ってないかしら?」

「そちらは、ここ何百年か周りとの交流を断っており、引きこもっているようですね」

「ちょっと、ちょっと。困るわ~。このままじゃ、絶滅しちゃうじゃない」

「試算しますと、86%の確率で近いうちに絶滅しますね」

「ん、ん、ん。絶滅した場合の世界の損失は?」

「そうですね、――では、――くらいですね。世界全体では……」


 こうして、細かい部分までチェックをしていくのは、なかなかしんどい作業である。だがこれも仕事なのだ。仕方がない。彼女の階級は、ほぼ下っ端の中間管理職という、なかなかに辛い立場であった。


「あ――。さすがに疲れたわ~」

管理者の美しい顔は今、神獣のその素晴らしいモフモフに埋もれている。仕事の疲れを癒しているらしい。神獣は、それが仕事とは言え、その時々で色を変える美しい瞳を薄っすらと開いて、迷惑そうに鼻を引くつかせている。


「ところでマスター。先ほどのエラーですが、いつものようにそのまま見守る形でよろしいでしょうか」

「そうね、それでいいわ。一時はどうなるかと思ったけど、まさかアイツが興味を持つとはね~」

「今回は上手くいくといいですね、マスター」

「そうね。汎用性のある対処法ではないから、他には応用できないけどね」

「その割には嬉しそうですね、マスター」

「ふふ。そうね、楽しみだわ。あなたもそうでしょ」


 そう言って、管理者はその白く長い耳を持つ神獣を、自分と目が合う高さまで持ち上げた。

 すると、神獣はピクリとその長い耳を立てて、跳ね上がった。不敬もなんとやら、白い毛玉は管理者の肩を軽く蹴って、そのまま毛玉と同色の空間に落ちると、そのままその白に同化するように、その姿を消していく。


「あら? 呼ばれたのかしら? もう行っちゃうのね。残念」


 全然残念そうには聞こえない声色で、そう言った管理者は、クスクスと無機質な笑い声を落としながら、自身もその白に同化させていった。



 残されたのは、音ひとつない、ただただ無機質な白だけである――。

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