第42話 クワァトの町とノア(5)

 ノアは小さい体を活かして背を低くし、草むらに隠れながらも少しずつ黄兎に近づいていく。思ったよりも慎重だ。ある程度近づいたところで一気に躍りだし、目の前の黄兎を一太刀しようと大きく剣を振りかぶった。


 だが、相手も魔物。ノアの攻撃を読んでいたかのように、素早く跳躍して距離を取る。黄兎は、灰兎や普通の兎と異なり、額に角が生えている。その角を武器に突っ込んでくるのだ。現に、今も大きく振りかぶったことによって生まれたノアの隙をついて、横から突っ込んで来ようと後ろ足に力を込めて跳躍したところだ。


 避けることができなかったノアは、とっさに短剣でそれを受け止める。その勢いに押されるが、その力を利用して後ろに二回跳躍して、敵と距離を取った。




「う~ん。さすが、身体能力が高いねぇ~」


 リリスは感心しながら、ノアの戦闘を眺めている。とはいえ、ノアが危なくなったらいつでも助けられるよう、リリスも両手に投げナイフを構えたままだ。


 先ほどからノアは、黄兎と一進一退の勝負を繰り広げている。強さで言えば、黄兎のほうが強い。それをノアは持ち前の身体能力を駆使して敵の攻撃を避け、隙を狙っている状態だ。一人と一頭の攻防に、うっかり黄狼が寄ってきてしまったが、ノアをリリスに任せてレイがさっさと倒した。もちろんこの報酬は、後でリリスと山分けする。

 黄兎の方も、これだけ戦闘を継続していれば普通は逃げそうなものだが、ノアが弱いことがわかっているのか、一向に引く気配はない。


 随分長い時間戦っていたが、結局勝負はつかず、黄兎は悔しそうに逃げて行……こうとしたところを、リリスが仕留めた。もはや兎は、リリスにとって一番相性のいい獲物である。


「あ~~~! クッソー!」


 ノアは力尽きたように、地面に大の字で寝転がった。呼吸が苦しいのか、その小さくて薄い胸が大きく上下している。戦いに集中して気配に気を配るどころではなかった、一人と一頭のおかげで、レイは寄ってきた獲物をそこそこ狩ることができた。たまにリリスと交代で狩ったりしたので、リリスもホクホク顔だ。


「ちょっと怪我しちゃったね~。痛くない?」

「これくらい、いつものことだから大丈夫」

「まあまあ、そう言わずに腕出して」

「ん、ありがと」


 寝転んでいるノアに近づいたリリスが、自作の傷薬をノアの傷口に塗りつける。昨日は緊張のためか、よく見ればボワッと膨らんでいた尻尾も、今は傷薬を塗ってもらっている腕を興味深げに見ながらゆらゆらと揺れている。生意気そうな雰囲気はすっかり抜けて、素直なノアの姿に再びリリスは胸を撃ち抜かれた。


(か、かわ……。鼻血でそう……)


 そんなリリスの様子に、レイは無表情の下で呆れていた。


「ノア」


 レイは、薬を塗り終わってもなお、手のひらをワキワキさせている変質者のようなリリスから、ノアを守るために声をかけた。


「ノアは今、力任せに剣を振っているだけだ。まずは素振りだな。それと、走り込みをした方がいい」

「はいッ!」

「とはいえ、動きは悪くない。さすがだ」


 レイに褒められたノアは、目を輝かせて尻尾を立て、その尻尾をプルプルと震わせている。



(ぐぉぉ。か、かわいいぃぃ――!)


 ノアの様子を間近で食い入るように見ていたリリスは、胸を押さえて地面に撃沈した。純粋なノアは、そんなリリスの様子を見て、不思議そうな顔をしている。


「さて、リリス。冒険者ギルドに寄って、一度ニコルの店に戻ろう」

「うん! 昨日の残りの報酬をもらわないとね!」


 リリスは、何事もなかったかのように素早く立ち上がった。


「俺! 俺もギルドに行きたい!」

「もちろんそのつもりだが、ノアはギルドに登録しているのか?」

「うん、Gランクだけど。登録だけしてある」


 冒険者ギルドの登録に年齢制限は無いが、依頼を受けられる年齢になってから登録するのが一般的である。初回登録時のランクは、年齢でGとFで振り分けられる。Gランクというのは、年齢が一定に達していない者やギルドの依頼を受けずに、身分証としか利用していない者のためのランクである。そのため、受けられる依頼も町中での雑用やお使い程度のものが多い。


 成人年齢に達している者が冒険者ギルドに登録すると、その者は基本的にFランクで登録される。Fランクは薬草採取が主な依頼だ。Gランクの者は、いくら依頼をこなしても、一定年齢を超えないとFランクにはあがることができない。これは、冒険者の安全を守るための仕組みでもある。ギルドにもよるが、ランク分けの判定は割とシビアだ。

 なぜなら、誰でも登録できる冒険者の能力は、ピンキリだからである。依頼を確実に消化するためには、ある程度ギルド側でも受注者をふるいにかけなければいけない。その基準が、ランクとなる。つまり、ギルドランクはそのままその冒険者の信頼の度合いを測ることに繋がるのだ。


 ギルドにてレイとリリスが昨日解体に出した分の金銭を受け取っている間、ノアは真剣な顔で依頼ボードを眺めていた。


「何かいい依頼ある?」


 清算を終えたリリスは、ノアの横にしゃがみ込んだ。ノアは、静かに首を横に振る。Gランクの依頼は雑用が多く、依頼自体も少ない。今日はノアの出来そうな依頼はなかったようだ。


「では、後日、ノアにはクワァトの町を案内をしてもらおうか」


 レイがそう提案すると、ノアの瞳がパァッと輝いた。尻尾もピンと立って嬉しさを如実に表している。それを見ていたリリスの瞳孔が、心なしか開く。

 気を抜くと手をワキワキさせる変態が出そうなので、ひとまず、ニコルの元に戻って昼ご飯を食べることにした。二人は宿で作ってもらった昼食があるが、ノアの分はない。外で買ってもいいのだが、ひとまず二人は保護者の許可を得るために一度戻ることにしたのだ。


 結局、ニコルの店で昼食を取ったノアであるが、昼食の最中にウトウトし始め、遂にはそのまま眠ってしまった。元気そうにしていたが、やはり黄兎との戦闘で疲れていたようだ。


「ほんと、申し訳ないわ~ん」

「いや、こちらもノアの体力の限界がわかなかったから、仕方がない」

「そうですよ~。私たちは今日は予約している宿に戻りますね。明日からまた、よろしくお願いします!」

「そう言ってもらえると、助かるわ~ん」


 レイとリリスは、ニコルに手を振って別れ、ひとまず食材調達に出かけることにした。

 狙いは海蟹である。リリスの瞳が怪しく輝いていた。

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