第32話 ドワーフの薬屋(14)
「……レイ。今夜、ちょっと時間ある?」
朝食を終えて出かける準備をしているレイに、リリスが声をかけた。
「あぁ。夜でいいのか?」
「……うん」
「わかった。今日は早めに戻ってこよう」
レイに急ぎの用事はない。せいぜい迷宮に潜るくらいなので、今話を聞こうかと思ったが、夜の方が都合が良いらしい。レイは、ローグに頼まれている薬草だけ採取し、早めに戻るべく家を出た。
リリスはここのところ、明らかにしょんぼりしており、元気がない。魔法薬を作り始めてからひと月が経とうとしているが、上手くいっていないと聞いている。恐らくその話だろう。
ローグから渡されているリストをチェックすると、家からほど近い森で採取できるものばかりであった。数も多くない。リリスのこともあるので、定食屋に寄った後、迷宮に行かずに村の周辺で採集を済ますことにした。
ローグの家の庭でも薬草は育てているのだが、それほど数は多くない。今はリリスの練習もあって、大量の薬草を消費しているので、レイはもっぱら植物の成長の早い迷宮へ繰り出していた。
ちなみにレイは、この間に二十層のボスまで攻略している。ローグや村人にちょこちょこと依頼を出されるので、攻略はゆっくりだ。実はリリスと出会う前に、深部まで攻略済みなので、それほど攻略に力を入れていないというのもある。
さて、目的の薬草は、それほど時間をかけずに集めることができた。こういう時に自分の眼は便利だと思う。少し早いがローグの家に戻り、自分に『洗浄』をかける。二人のいる作業場に声をかけ、今日採ってきた薬草の処理を手伝う。
再び『洗浄』をかけて、レイはキッチンに立った。今日は酒盛りになるだろう。夕食のメインは、定食屋で包んでもらっているので、それを出す。今日は、
「チーズの手持ちが心もとないな……」
料理の手を止めて在庫を確認していたレイは、チーズが残り少ないことに気付いた。チーズは牛や山羊、羊などの乳から作られる。ある程度大きな町や商業都市へ行けば入手は可能だが、生産している場所は限られる。一般に流通しているのは、家畜として飼われている普通の牛や山羊などから作られたものだ。牛や山羊の魔物から乳が得られれば……とは誰もが考えることだが、そこは魔物、あまり現実的ではない。
「そういえば、どこかで灰牛を飼い慣らそうとしている牧場があると聞いたな……」
それが可能であれば、きっと美味いチーズが出来るに違いない。そのようなことに挑戦する
***
「それで、話とは?」
夕食が始まってすぐ、レイは話を切り出した。リリスは酒ではなく、果実水を飲んでいる。酒が入ると話にならないからだ。ローグは相変わらず、水のように酒を飲んでいるが。
「うん、あのね。ローグ師匠とも話し合ったんだけど、魔法薬を作れるようになるまでどれくらい時間がかかるのか分からなくて……」
「普通薬はいいものを作れるんじゃがの。魔力については、こう、感覚頼りじゃろう? 儂も上手く説明できんくての」
リリスの話は、やはり魔法薬作りについてであった。聞くところによると、魔法薬の作成はやはり上手くいっていないらしい。練り込む魔力が大きすぎて、素材が耐え切れず、成功しないのだ。
「……やはり、魔力の問題か」
「このまま続けて、何か掴めればいいんじゃが、いたずらに時間だけを浪費させるのも可哀そうでの」
レイはそれに頷いた。どうにかしてやりたいが、こればかりは感覚的なものであり、なかなか教えるというのは難しい。ローグも歯がゆい思いをしているようだ。
「爺さんは、どうしたんだ? 確か、魔法薬を作るには魔力が足りないだろう?」
ドワーフ全般にも言えることだが、ローグはリリスとは反対に、魔力がかなり少ない。リリスとは違うが、それはそれで魔法薬作りを始めたころは苦労したはずだ。
レイの問いかけに、それを待っていたと言わんばかりにローグが頷く。なんだか少しイラっとする顔だ。
「そこで、これじゃ!」
ローグが懐から出したそれは、調薬の際に使用する、普通の乳棒のように見える。ローグが掲げるそれを受け取ったレイは、手の中で転がしてみた。
「……魔道具か?」
「魔道具といえば、そうじゃの~」
ローグは上機嫌で酒を飲み始めた。レイの手にあるそれは、調薬の際に使用する乳棒のようであるが、ちょうど手を握る箇所に魔石が嵌っている。なるほど、素材は恐らく魔物の角だ。魔力の通りが良い。
「これは?」
レイは素直に説明を求めた。
「それは、錬金術師に作ってもらったもんでの。儂は始めの頃、素材に魔力を馴染ませることができんかったんじゃが、それは魔力を強制的に引き出して、調整してくれるんじゃ。今はそれが無くとも問題ないんでの。すっかり忘れておったが、リリスが来てから探しておったんじゃ」
「なるほど? つまり、これと同じものを作ってもらえば良いと?」
「リリスの場合は、魔力を抑えて調整するものが必要じゃがの」
レイは手元のそれをもう一度眺めて、頷いた。
そもそも調薬は、すぐに習得できるものではない。長い目で見ていたとはいえ、このひと月、一度も成功しない魔法薬を作り続けるのは、さすがに辛いだろう。その錬金術師に会ってみるのも悪くない。
「レイあのね。レイさえよければなんだけど、その錬金術師さんのところに行くのについて来て欲しいの」
「紹介状は、この爺が書いてやるでの」
つまり、リリスの話はそういうことである。
レイはリリスの申し出に頷いた。錬金術師は、隣町に住んでいるようだ。その町は多少距離があるが、港町である。
「……海か。悪くないな」
「土産は酒で頼むの」
「……」
こうして二人は、隣町の錬金術師を訪ねることになった。
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