第30話 穂斑(ほむら)と燄(ホムラ)
苛立つ。苛立つ苛立つ。なんのなの、あの男?!
銀を宿す男もムカつくけど更にあいつはムカつく!
何なのよ、あの狐男──は?
「聖鈴大附属髙等学園」と校門に銘が刻んであるここは穂斑が通う学校。あの場から逃げた穂斑は、身を置きやすい場所へと避難した。
校舎の一角の壁に背中を預け、亜麻色のツインテールが揺れる。荒く息をつき、顎には汗が一滴すうっと流れた。
「ハァア、落ち着け私。そうよ! 私は」
感情も、壁を叩く拳からも沸々と
火は穂斑の足元も明々と灯した。赤黒い熱と排煙が這い上がり……壁一面の色が変わる。足下一部分では地面の水分は持っていかれ、細かい亀裂が迸った。
穂斑は自身を中心に伸びていくその裂け目を見て、落ち着きを払う。
(ふっ、そうよ私は強い。負けないの)
胸に手を当て、深呼吸を繰り返すも脳裡に張り付く低くても心地よい声がある。初対面にも拘わらず、ずけずけと物怖じせずはっきり諭す物言いが穂斑の心に優しく溶けていた。
『願われた名が泣くぞ』
穂斑はそれを反芻させ、目頭を熱くさせた。親から名付けられた名前の由来を、知らない他人に軽々と口にされた。そこにムカつく穂斑だったが、それと共に悲愴感と高揚感が押し寄せる。
(なによ。親なんて)
穂斑は目頭を熱くするこの思いを掻き消す為、壁を強く連打した。より激しく、力の限り拳から巻上がる炎の威力は──大きい。
何回も何回も幾重に重なる炎を吸い上げた柔らかい茶色い校舎壁。塗装は燻り、穂斑と間向かう区画は焼き焦げたホットケーキの表面を思わす。
そんな黒い煤を穂斑は指でなぞり、少し呆けた後、拳を振るう。
悔しそうな表情の瞳は涙が溢れた。ヤミを見据えたときよりぼやける景色の向こうには、何があるのか。
壁に置かれた手はまだ、拳をギュウッと固く閉ざしたままだ。握られた指は柔らかい手の肉に食い込んでいき、墨色の壁には紅い滴が垂れ滲む。赤黒い液体が輝らつく部分だけはまるで、悲鳴上げる涙を思わす。
穂斑は眉間にシワを寄せ瞼閉じ、翔を思い浮かべた。次に会う時はどう向かうのが正攻法なのか、と考えていた矢先のことだ。
黒い
影は蠢き、【黒い龍】を成していくと嫌な湿気を纏い、穂斑の身体にまったり絡んだ。雨が降った訳でもないのに灰色い空気を感じさす音があり、そうして耳にも厭らしく這いずった。
『ははは、そうだよなぁ。親はもぅう居ない』
「それはお前がっ……」
穂斑は
「ふ、ふん、なんの用? 指図は受けないわ」
『そんな口利きでいいのか?』
「……」
『生意気な! では、ここに、吾が体内に在るこれ──を、ふふふ』
「ダメ!! それは──駄目!」
慌てる穂斑がいる。相手の言葉に過剰反応を示す穂斑の全身は、紅蓮の渦が巻き上がっていた。
黒い影はそんな穂斑を嘲笑い、光る牙を見せ首を擡げた。
『早く、このワシの言う通りに』
「! してるつもりよ」
『そうか? 匂いに釣られ出向いたは良いが何もせず、おめおめ帰ってきたのではないのか? のぉ穂斑よ』
「黙れ」
『早く、言う通りに』
「だまれ、黙れ」
『銀と……』
「だまれ! だまれ! 黙れ! だまれ! 黙れ!」
穂斑は連呼する。思いの丈を言葉に乗せた。まるで自分に言い聞かす呪文のように。
「───だまれ──!!」
最後の言葉を重く吐かれ、すっきりと晴れる筈の気持ちは晴れず、まるで膿の塊が胸にあるのではと思わす陰りある。胸に当てていた手を今度は上に、そして耳を塞ぎ頭を振った。
ツインテールがその都度、可愛らしく揺れている。
(聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。ききたくない!)
「だが……聞かざるを得ない」
ぽそっと自身に言い聞かせ、穂斑は胸の奥から熱く湧き上がる思いを
両手を胸に当て、屈んだ。
それを見た黒い影は顎を全開にし、ぎざった細かい牙は鋭く見せ穂斑を嘲笑う。
下向き、胸を抱えしゃがむ穂斑の頬をつぅと熱い物が伝った。地面には丸いものがポタポタと染み、屈む穂斑の身体からゆらりと湯気が立ち上がる。全身を緋色の
緋の翳りは呻き声を吐くと伴に、龍の
黒龍の黒い鱗に紅い熱気が映えた。緋い小片は焔の緋々とさせ、燃ゆる鱗は黒鱗を覆い尽くした。
『これ以上、我が主を苦しめるなら、ワレが相手しよう。主の意に背き、貴様を』
「
穂斑は静かに緋龍の名を述べた。両手を結び、唇をわなわなと震えさせ、栗色に輝く双眸からは大粒の涙をぽろぽろ溢れさせた。
黒い影に巻きつく緋龍こと【燄】だが逆に、牙を剥かれ巻きつかれ緋い躯体の全てを持っていかれる。互いは激しく鱗を鬩ぎ合わせ、互いの意地を譲る事なく
「ヤダ。【燄】を離して」
涙を浮かべ、穂斑は懇願する。目の前の黒い躯体に、逆鱗を鎮めるよう願っていた。
『
『ほう! 吾に勝つ? と』
『今お前は影。蹴散らしてくれるわ』
「ダメ」
穂斑は炎龍を、【焰】を睨んだ。すると穂斑の龍の炎は弱まり、黒龍への巻きつきが緩んでいく。
『クックックッ 面白いなぁ 人間は』
『嗤うな! 様々な人の思いのお陰でワレたちは存在する。人を馬鹿にするとは!』
赤く、怒りを滾らす者は穂斑を護るように半身を巻きつていく。
『わかったよ。今はその言葉に免じ去ろう、だが次はない』
黒い
一陣の風は穂斑のスカートを巻き上げると静かに去った。
「燄」
『すまぬ、主。勝手を仕出かした』
「ううん。燄は炎龍は……名を与えた途端に意志が強くなったね」
『嫌うか?』
「ううん、嬉しい。今は」
『ふむ。ワレもこの名が好き。ありがとう穂斑』
「フフ、早く銀を仕留めるか、もしくはアイツ……かな?」
(でもあいつの中には……)
『アレ《銀龍》は手強い。そして少年も。大丈夫か? 下手を打つとワレが消える』
「ヤダよ。そんなことは今は言わないの」
『あの嫌味な真っ黒助から大事な物を先に、早く取り戻した方が良い気もするが……』
「真っ黒すけ? ふふそうね……私に付き合ってくれるよね。燄」
『もちろん。我が主。そして大事なあれも』
「うん、取り返すから、だから炎龍、【燄】」
『御意、我が主君の御心のままに』
穂斑は
自我を焼き払い、自身の煩悩を抑え、一つの思いを、先を捉えようと空を睨む瞳が在る。
大事な物を、取り戻す為ならこの身、焦がしても遣る!
瞼を閉じ、炎龍に頬をすり寄せる穂斑。
穂斑の瞳は緋く、妖しく光る。
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