第19話 煙草のにおいと甘焦げるにおい 壱

 

    

 白やぐ空に一筋の煙が立ちのぼるとスウッと細くなり、空の白さに混ざり消えた。

 また一筋上がるが今度はか細い。溜め息と同時に、煙草の煙が細く細く。


「フウ。朝かァ」


 ヤミは煙太の先へ視線を遣る。いや、更に先にある空を仰いでいた。


(昨日の雷。自分が呼んだモノに便乗され、翔は襲われタ。誰に……)


 ヤミは煙草を手にしていた灰皿に落とし、そしてカララと啼く窓を開閉して室内に入り、傍らのベッドに腰を据えた。

 ベッドに眠っている翔を見つめる。


(おまえを狙った者はまさか……) 


 細く寝息を立てる翔の頬をヤミは撫でやり、ほほ笑んだ。


「……無邪気だな」

「はっ、そうだろうよ」


 翔はひと言、発するや眼前の青年を睨む。


「お前は──」


 むくっと、上半身を起こし「初めまして」と挨拶した。初めましてだぁと訝しむヤミがおり、雰囲気の違う翔がいる。


「おぅ、初めまして。と言うべきだよな?」


 怪しい翔はヤミに話しかける。するとくうに静電気が走り、天井にある長い蛍光灯の一本がピシィと音を立て破裂した。


「ハハッ、してお前が言う「おひい様」は元気か? ははっ」

「お前」


 翔の乾いた笑いが部屋に響くと窓にひびが入り、降ってくる破片は宙を舞う。そして残りの電球が今またピキッと、ひび割れた。

 電灯が切れて薄暗くなる。


「あっ、いかん。戻しておくか」


 翔が手の平を鳴らす。掌音が木霊すると窓の罅と宙浮く欠片、ヒビ割れた電球が元に戻り光が差した。


「なんだ? ソレ」

「……おひい様、にも出来る芸当だろう?」

「!?」

「言っておくが……今のおれに出来ても、翔には出来ん」

「翔?」

「──……言っただろ? 『停止装置ストッパー』だと」


 翔は自身の左腕を見ると、溜め息をつく。


「フウ、とりあえずは【昇龍の痣】が出来上がった。ここからが問題」

「翔であっテ翔でない。銀龍でモない。お前はなんだ」

「──人格。翔のための人格」


 翔は胡座をかくとヤミの顎を掴み、顔を自分の真正面に近づけた。


「ふうん。目が細いだけで、顔はまぁまぁ」

「おまッ、質問!」

「煙草の匂い」


 不思議がる翔はヤミに口ずけ、口内をまさぐった。


「苦! 不味い!」

「おまッ」


 ヤミは掴まれた手を叩くのだが翔は手を、顎から離さない。それどころか強く持ちヤミをジッと見つめる。


「マセ餓鬼! 経験済みか!」

「ふっ、当たり前のことを聞くな。なぁ、自称妹おひいは翔そっくりか?」


 いきなり訊ねる翔がおり、ヤミは照れつつ頭の中でおひい様という存在と翔を重ねた。そして翔を睨み、ぽそっと答えた。


「……お前の方が綺麗」

「ン?」

「ああ、もうッ俺は美人に弱イ」

「ハッ、美人? だれ、がっおまえほんとアホウだ、な……ああ、……翔を頼む」


 言いたいことだけ云うとヤミの顔を離し、胡座の状態で翔は寝ついた。


(コイツ……、初対面でもないが初対面と抜かし、いけしゃあしゃあとトンデモナイコとするナ)


 ヤミは心中で、翔のもう一人の人格を威嚇する。

 とはいえ、ヤミの好奇心は止まらない。ヤミは翔の寝顔を観察した。


(人格? 障害……? でもなさそうだ。銀龍といいお前、なかに何を飼ってんだョ)


 熟考するヤミは翔の腕にある銀の鱗に、触れた。


(立派な鱗に昇龍の刻印が出来上がってる)


 左腕には、頭から尾まで姿形がはっきりとした龍痣がある。


「大丈夫か? 翔」


 ヤミは翔の腕を撫でた。鱗はザラッとしている。魚みたいな鱗かと思いきやビーズのように、滑らかな感触が指に伝わる。


(俺が持つ痣とゼンゼン違う。柔らかイ皮膚の鱗。だが時折チクッと)


 すると小さな声が上がった。


「イッぅ」


 クスッと笑うヤミに対し、悲痛を上げる翔がいる。ヤミは咄嗟に翔に謝罪するも手はぴしっと払われた。翔は左腕を押さえ、ベッドの隅へと飛び逃げた。


つ。触れた?」

「? そう逃げるナ。触れられるのはイヤか、すまん」

「……驚いただけ──だ」

「いや、すまん。俺のとは違うかラ」

「? ヤミさんのはどこに」

「ああ、俺はコレ」

「!!」


 ヤミはワイシャツを肩までずらせ、右肩にある痣を見せた。直径十センチぐらいの茶色く小さな龍。

 ヤミの肩にはくっきりと、龍印があった。

 

「俺の龍は見た目貧相だ。翔のように鱗はないし小さいシ」

「……───」

「翔みたいに、前腕ぜんわん部分に約二十センチの龍痣りゅうあざ無上極上だ」

「誰か他に……、俺以外にいるの?」


 ヤミは翔の質問に微笑み、ワイシャツを着直す。


「おひい様とおまえのお祖母様と瞳海沙様」

「血縁か!」


 翔は前髪をかき分け、言葉とともに嘆息を吐く。そのまま前頭を掴み、縮こまる翔がいた。

 ヤミはそんな翔を目に焼き付け、窓を開けると煙草を吸い始める。


「俺が間近で知る人間は以上だ。しかしおまえを狙う人間は皆それなりに大きい龍痣を持つと訊くゾ」

「それは、銀狙い?」

「ああ、それもあるが……」

「? ……言葉を濁すね。どうして?」

「─……ちなみに俺も龍遣いだゾ」

「ん?」

「あ、小馬鹿にしたろゥ? まあ俺の力はあとで見せるが龍の痣は二種類」

「二種?」

「俺の龍は下を向いてる」


 煙太を吹かすヤミの右肩に、翔は自然と目を遣った。シャツ越しに薄らと痣が見える。

 確かに龍は下を向いていた。


 ヤミは説明した。


 下を向く龍は降龍と称される。

 他の龍遣いにも、このように【痣】があるんだと。


「俺のは、格下なんで鱗はない。皮膚に浮かぶ【痣・刻印】だけ」


 ヤミは燻す草を消し、髪をくしゃ撫でる。翔の腕をヤミは見つめ指差し、当たり前のように話す。


「神の位、龍神に近いと上に昇る。翔のは昇龍だな」

「昇……」

 

 翔はポツリと呟き腕を見た。哀しげに視線を落とす。そんな翔を見つめ、ヤミは深々と謝る。


「実は俺もおまえを狙った。おまえのお祖母様の命で……」

「……やはり俺は邪魔か」


 ヤミのひと言を訊き壁を睨む翔に、ヤミは促すように言葉を足す。


「だが、おひい様からはおまえに巣くう『銀』の回収を命ぜられた」

「……意見が分かれたな」

「だな。そしておひい様の命もお祖母様のもだが、能力に目覚めてが前提であって……」

「……でなに?」

「─……フウウゥン」


 ヤミは容姿に似つかわしくない、感嘆のため息を吐く。


「ヤ、ミさん?」

「そこまで大きな痣があるに手出しができるものか。そんな者に手を出すと逆に喰われる」

「喰う……?」


 翔は首をかしげた。


「翔、龍の能力はなにも遺伝だけではない」

「?」

「突発的な者もいる。そして──」


 ヤミは深呼吸している。


(喰うんだ龍を……だが、そんな一度に説明をして良いのか?)


 話を中断するヤミを翔は訝しげに見、少しだが詰め寄りまた屈んだ。


「そして?」

「ああ……そして」

「くすり、なに」

「いや。ともかく俺は翔に勝てん。そんな大きな刻印を曝け出しさらに能力未知数……」

「……」


 翔は溜め息をついた。そして腕を見て考える。

 ヤミはそんな翔を見つめ、ギシギシとベッドの上を四つん這い近づいた。


「おまえ顔色悪いな」

「ああ、大丈夫だよ」

「ところでおまえの女だよな? アレ」

「あ?」


 顔を近づけてくるヤミに翔はたじろぐ。


「ン──やはり綺麗ダ。瞳も」

「ちょっ、近い。それに女って」


 迫ってくるヤミに翔は驚き、ベッドから床へとずれ落ちた。咄嗟に庇うヤミだったが───。


「ッェイ」

「?!」


 翔の掛け声とともにヤミは腕を取られ、床の上に落とされた。


「ゴハッ。なんで」

「あっ、ごめん……反射?」

「この!」


 諦観する翔がいた。ヤミはそんな翔の足首に足裏を添え絡め、掴んだ。足裏に力の一点を集中し、翔の足を払い体勢を崩させる。

 体勢を立て直そうとする翔の腕を瞬時に掴んで奪う。そしてヤミは翔を四つん這うように上乗り、彼を下敷きに組み伏せた。

 してやったと、ニヤリ笑うヤミがいる。


「残念。俺もソコソコな」

「へぇ……おじさん以外に久々かも。組み伏せられたの」

「やっぱり顔色がすぐれないようだ。とりあえず飯にするか」

「……」


 目を逸らす翔の顔をさらに覗き、額を合わせるヤミがいる。


「熱はないがよく動くなぁ。感心する身体ダ。鍛えてあるのが良かったのか」

「だから顔、近いよ」

「ああすまん」


 翔の上から退こうとするヤミがいるが丁度そこに、巫女二人が部屋に入ってきた。

 扉は開いていた。


「ヤミさま、今の音は」

「ちゃま、だいじょうぶ─」


 翔を床に組み伏せ、上になるヤミを見て巫女は顔を赤らめる。


でしたか」

「ちゃま、やらい」

「違う! コレは」

「ふぅん、ヤミはその気有り?」

「ないッ! コラッ翔、首を離せ」


 慌てるヤミの首に腕を回し、揶揄う翔だがそんな彼に冷ややかな声が届く。


「フウン、翔。楽しそうだね」


 声はかわいい音色を響かせ、翔の脳内に甘くとろけていく。同時に甘ったるい匂いも捉え、彼女の登場に驚きを隠せない。


 甘い声も匂いも、運んできたのは優希だった。


 



 

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